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なぜ、政治について呟くことにしたのか

はじめまして、『竹野義士』です

竹野は私の本名ではありません。勤めていた会社の先輩の苗字です。特に尊敬していたり彼から大きな影響を受けたわけではなく、ご実家が神職の家系というのが記憶に強く残っているだけです。

神道というと、戦後、政教分離政策がGHQ指示のもとで行われ、それから70年以上も続いていますから、神道が政治に関与するなんて戦前の話だろうと思っている人も多いのではないでしょうか?

ところが、調べてみるとそうでもないのです。
神道政治連盟」という政治団体をご存知でしょうか?

全国津々浦々にある神社のほとんどを包括する、まさに神道そのもののような「神社本庁」という組織があります。名前からして官庁のようですが、宗教法人法に基づく文部科学大臣所轄の包括宗教法人です。その神社本庁の関連団体が神政連と略される神道政治連盟です。
まぁ、民間宗教である神道の代表的な宗教法人が政治団体を持つこと自体はおかしな話でもありません。

ですが、神社本庁もその前身は国家組織であり「国家神道」そのものです。更に言えば、神政連に賛同する組織として「神道政治連盟国会議員懇談会」というのがあります。ここには自由民主党(自民党)の多くの議員が参加しています。自民党は言うまでもなく政権を担う与党ですから、神道はその主流である宗教法人の神社本庁の政治団体である神政連を通じて、日本の政治に今も関与しているのです。

それで、私が政治を語るためのツイッターアカウントを作成する際に、そのハンドルネームで咄嗟に思いついたのが神職の息子である竹野さんの苗字だったわけです。結局、つまらない話になりましたね。

それで始めた当初は「竹野神宮」というハンドルネームでしたが、後々になって「”神宮”って何だよ」とおかしく思うようになり、神宮ではなく「義士」としました。
義士というと赤穂義士(赤穂浪士)を思い出す人が多いかと思いますが、赤穂義士とは関係なく、どちらかと言えば、志士や烈士といった意味で、野にあって政治を語るのだから、それくらい大袈裟でもいいじゃないかという軽い気持ちでした。

安倍晋三銃撃事件

2022年7月8日、突然のことで驚き、心が沈みました。
とはいえ、私は安倍晋三さんの支持者ではなく、逆に批判的な考えを持っていました。ただ、日本の内閣総理大臣(首相)を務めた人物が殺害されるというのは、1936年の二・二六事件での高橋是清、斎藤実以来であり、戦後もだいぶ経ってから生まれた自分には歴史教科書の中で接するような話であり、現実に起こるようなことではないと何処かで考えていたのだろうと思います。
テレビを見ながら仕事をしていたので、その速報で知りました。実際に事件が発生した11時台だったと記憶しています。その時の報道で「心肺停止状態」とあったのですが、医学に酷く疎い私は、

「どうせ、夕方くらいになれば、”一命を取り留めました”なんてニュースが流れるのだろう」
と高を括っていました。

ですが、夕方になり、外出先で安倍さんの訃報をネットで知って、酷く暗い気分になりました。高を括っていたことが裏目に出たことで、それまでの自分がとても不謹慎な態度だったのではないかと思いました。

この時は、安倍さんを殺害した犯人、既に山上徹也被告(執筆時点)と名前も分かっていましたが、彼は政治的な理由で殺害、すなわち「暗殺」なのだと想像していました。

しかし、後になって安倍さんを殺害した理由が、世界平和統一家庭連合(旧統一教会)というカルト宗教団体への私怨であり、旧統一教会と政治的に癒着していた安倍さんへの私怨だったということが分かりました。それから、私はこの事件を「暗殺」と呼ぶことをやめました。

国葬決定に対する怒り

首相まで務めた安倍晋三さんの葬儀が、一般庶民レベルの小規模なものになるとは当然ながら思いませんでした。この年の初めに亡くなった海部俊樹元首相の葬儀は家族葬のみで、元首相としては慣例の「内閣・自民党合同葬」もご遺族が故人の意向ということで辞退されました。もし、海部さんの内閣・自民党合同葬が実現していたら、2022年には国が関与する大きな葬儀が2回も行われたことになりました。

安倍さんの葬儀も慣例の内閣・自民党合同葬で行われるだろう、ただ、悲劇的な死であり、社会に大きな影響を与えたことから、規模を少々大きくしたものにはなるだろうと思いました。費用の約半分は国費を投じるものですから反対する人も多いでしょう。しかし、私はそれほど強い反対ではありませんでした。

しかし、同月14日、岸田文雄首相は安倍晋三さんの「国葬(儀)」を行うことを表明し、その後閣議により決定されました。

そこで私はとても強い反発を覚えました。
安倍晋三さんは確かに7年8ヶ月も首相を務め、その前の約1年を含め8年以上も日本の最高権力者でした。しかし、ただそれだけです。
安倍政権になって、何も良くなったと思えず、逆に経済の実質的な停滞、貧困問題の出現と増加、強引な政治手法、森友・加計問題に代表される公私混同の汚職疑惑と、短命政権を含めたこれまでの政権以上の悪政だったというのが私のずっと抱いていた感想です。それに加え、新型コロナ対策でも「アベノマスク」なる使えない布マスクを多額の国費をもってばら撒くといった、世界中から物笑の種になるような愚策しか行えず、最後は持病を理由に逃げるように辞任したという、これが「国葬」に値する偉大な首相とはとてもではないが思えず、せいぜい、慣例どおりの葬送で充分だと思っていました。

更に、決定プロセスについても、岸田首相の強い意思というよりは、麻生太郎元首相の「理屈じゃねぇんだよ」と迫ったことや、清和会(安倍晋三派)所属議員を中心とする勢力の強い要求だったなど、国民感情など無視し、「国葬」という国家が国民を大々的に巻き込む厳粛な葬送を、彼らの感情や考え、人間関係や権力関係だけで決定するなど、故人の悪しき点であった「公私混同」そのものではないかと強い怒りを覚えました。

それまでの自分は、安倍政権や自民党政治に批判的な感情はあっても、ネットの匿名の世界ですら「サヨク」と言われて周囲から叩かれることを恐れていました。そして、自分自身も「サヨク」を冷笑することで誤魔化していました。

しかし、安倍晋三さんの死をきっかけに、自分の思想信条に嘘をついていてはいけない、言いたいことを言い、一人の有権者として投票だけですが政治活動に結びつけなくてはいけないと思うようになりました。また、後になってですが、自らを「保守」であると思う人でも安倍政権や自民党政治に酷く反対する人が多々いることも知りました。

こうして、政治について呟くツイッターアカウントを作成し、呟き続けることを始めました。

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