見出し画像

にだいめが訊く 奈良 ちかみちらーめん ロングインタビュー 前編

ご無沙汰しております。にだいめです。本日は奈良県面塚にあります「ちかみちらーめん」の若井教生オーナー様(以下敬称略)と対談した内容を皆様にお届けします。

今回3時間にも及ぶ対談に付き合ってくださった若井オーナーが生きてきたらぁ麺道とは一体、どのようなものなのか。そして、その影響を受けたにだいめの心情。そして西日本のコロナ禍の影響はどうなのか。その一部に触れてみたく思います。

画像1

・たけにぼは近所の有名ならぁ麺屋さん程度だと思っていた

にだいめ まずですね、若井さんがらぁ麺屋を目指した経緯について詳しくお聞きさせてください
若井 きっかけはね、元々東京でミュージシャンをやってて それが大体30歳辺りでやっぱり厳しいと感じたんよ で、この状況で俺にできる事って何かなって考えた時、まず実家が喫茶店をやってるから、それを継ぐ事が頭に過ぎったんやけど、正直、喫茶店も喫茶店で厳しいとも思ったんよ
にだいめ なるほど
若井 で、自分の中で何が好きかなって考えた時にらぁ麺の方に目的が向いたのがきっかけかな
にだいめ じゃ、計画的にではなく、成り行きな部分もあったりしますか?
若井 そうかなぁ? まぁ、当時、居酒屋でバイトもしてたけど、だからといって、居酒屋をやろうとも思わなかったなぁ
にだいめ 当店での修行が最初で最後であってますか?
若井 そうそう、らぁ麺屋の修行は「たけにぼ」が最初で最後
にだいめ 一緒に働いていて、そういう話にはなったことがあるので、覚えてはいるのですが、若井さんがらぁ麺屋に本気でなろうという志が強い印象があったので、若井さんがらぁ麺屋さんになろうと思ったきっかけが、個人的には「あっさりしてるなぁ」って思いました(笑)
若井 入り口はね で、問題は何処のらぁ麺屋で修行しようかってことよ で、ミュージシャンやってる時とか、当時の自分の趣味が車で、その時の車仲間とかがらぁ麺が好きで、よく、いろんならぁ麺屋さんに連れてってもらってたんよ それで、深大寺時代のたけにぼに行った事があるのよ そん時に衝撃があったわけさ
にだいめ いつぐらいか覚えてます?
若井 いやー、大分前やな 当時、連れてってもらってたのが24歳くらいやから
にだいめ じゃ、丁度西暦2000年ですね その6年後に当店は移転するんですよ 確か若井さんはオープニングスタッフではなかったですよね?
若井 実は狙ってたんよ けど、何回も店の前に行ったけど、従業員募集の張り紙がしてなくて「これアカンわ」って諦めてオープニングは入れなかったんよ
にだいめ なるほど
若井 で、その後も何回もちらほら調布まで行っては張り紙してへんかなぁって確認はしてたんやけど、全然してなくて「もうええわ、待たれへん!」って思って電話したんよ
にだいめ なるほど!
若井 で「たけにぼで働かしてもらいたいんですけど、募集とかしてないですか?」って聞いたら、マスターに繋げてもらえたんよ そしたらマスターが「店に来てくれ」って言ってくれて、それで直ぐに店に行って、直ぐに面接
にだいめ 結構、緊張しませんでしたか?
若井 けど、当時はまだそんなに「たけちゃんにぼしらぁ麺」のブランド力っていうのを理解してなくて……
にだいめ 近所でちょっと有名ならぁ麺屋さんみたな感覚ですか?(笑)
若井 そうそうそう(笑) それが調布の駅前にくるんや! めっちゃエエやんって感じ(笑)
一同 (笑)
にだいめ そこから当店で働きはじめて、どんどんとたけにぼを知っていくと
若井 そうそう どんどん頭の中で「あれっ?」ってなっていくんよ
にだいめ 僕、若井さんと一緒に働いてる時の思い出は「年々、怖くなっていった」思い出が強いんですよね(笑)
若井 俺が!?(笑)
にだいめ そうです(笑)
若井 マジで!?(笑)
にだいめ いや、暴力的にとか、精神的に怖いとかそういう意味ではなく、仕事に向かう姿勢が鋭くなっていったのがあって、下手な茶々が入れにくくなったような思い出があるんですよ
若井 あー、はいはいはい
にだいめ 当時、私も18歳くらいでしたから、まだ人生の方向性も定まってなければ、らぁ麺屋とは別の事をやりたいという気持ちもあったので、どうしても温度差っていうものが生じるじゃないですか
若井 なるほど
にだいめ けど、若井さんは本気で仕事を習得しようと真面目にやられてる訳じゃないですか だからこそ、自分のチャランポランさを押し付けてはいけないなっていう気持ちが「怖さ」に繋がったのかもしれません
若井 あー、なるほど

・たけにぼで唯一の偉業を成し遂げた男

にだいめ で、若井さんの当店に関するエピソードで唯一ですよ 当店で唯一、達成できたことがあるじゃないですか
若井 そやねぇ
一同 (笑)
にだいめ 僕はちゃんと聞きますよ!(笑)
若井 是非とも聞いてほしいね(笑)
にだいめ 今回の目玉商品ですしね(笑) そしてようやく僕側からも語れます(笑)
若井 そこを語らずして!(笑)
にだいめ ちかみちらーめんは語れません!(笑)
一同 (笑)
にだいめ そう、若井さんは唯一、私の父と喧嘩別れせず「卒業できた」方なのですよ

画像2

           (若井オーナーと坂本鐐一)
若井 ちゃんと卒業できたね
にだいめ 後にも先にも若井さんしかいらっしゃいませんでしたね
若井 マスター亡くなっちゃったからね
にだいめ 若井さんが辞められた後も、僕はたけにぼを見続けてきましたけど、誰一人「マスター、有難うございました」って言えて辞めた方は見た事がないですもん
一同 (笑)
にだいめ だって、若井さんだけでしたもん お別れ会が開催されたのは
若井 そうそう あれ嬉しかったねぇ
にだいめ ああゆう会も最初で最後でしたし、本当に奇跡に近いですよ
若井 かもなぁ
にだいめ 基本、涙流して辞めた人しか見た事がなかったので
若井 それか、呆れて辞めるかやなぁ
にだいめ そんな中で、若井さんにお聞きしたいのが、マスターと接する際に心がけていたこととは何ですか?
若井 えー、無になることかな
にだいめ よくわかります(笑)
若井 余計なこと考えるとマスターは勘付くのよ
にだいめ マスター、嗅覚鋭いですからね
若井 だから、変な邪念というか、変な気持ちでいると絶対に無理 向こうから指摘されるからね
にだいめ あー、なるほど よく分かります 僕は若井さんよりマスターと一緒に居る時間は当然長いじゃないですか
若井 うん
にだいめ だから、無になるって言葉はよくわかってるんですけど、教育面とかでも理不尽な部分ってあったんですよ
若井 あったなぁ 俺、覚えてるよ たけちゃんがさ、空き缶を集めてるのにマスターが腹立てて、店の鍵でシバかれてるのを覚えてるよ(笑)
にだいめ あー、そんなことありましたねぇ(笑)
若井 あったなぁ(笑)
にだいめ けど、当時、僕も甘いから「この惨事を見たらお弟子さんは助けてくれるだろう」って考えてたんですけど、そんな事、誰も言える訳がないんですよ(笑)
若井 だから、あの時に絶対たけちゃんは聞かないと思うけど「若井さん、どう思います?」って聞いてきたとしても「ゴミやと思う」って答えてたと思う
一同 (笑)
にだいめ で、話の終着地点として「無になればよかったな」って話なんですよ
若井 そこなんよ
にだいめ これ色々と書きたくないなぁ(笑)
若井 書いてよ、ちゃんと(笑)
にだいめ けど、そういう厳しさもある意味、独立すれば「自分一人で戦っていく」ってことになる訳じゃないですか そういう時に理不尽さの辛酸を味わってるからそこ耐えれるところがあったり、臨機応変に対応できる技術が物凄く身についてて有難いなぁって思ったりしますよ
若井 そやねぇ

・何故東京ではなく奈良を選んだのか

にだいめ で、何故東京で独立されなかったのかのかが気になっているのですよ
若井 いや、東京でやるっていうのは少し頭には過ぎったんよ けど、敢えて奈良で東京の味をやることに意味があるんよ
にだいめ なるほど!
若井 奈良生まれの奈良育ちが東京に行って、たけちゃんにぼしらぁ麺に出会って、影響を受けたわけでしょ
にだいめ 有難うございます
若井 だから、関西出身の自分が、東京のらぁ麺の味に感動してる訳やから、だからこそ関西でやりたかったんよ
にだいめ なるほど しかし、関西は薄味が主流が故に「関西出身の若井さんが心に響いた濃いめの味が関西の方に合わない訳がない」という考えは大勢を相手するには確率論としては少し厳しい部分もありますよね けど、そこは自分自身を信じて挑んだ訳ですよね?
若井 そうそう だって、結局考えてみたら東京にも関西出身の方は多いし、その人たちが東京でも暮らせてるってことは関西で敢えて東京の味は絶対に受け入れてもらえるって確信があったんよ
にだいめ だからこそ、奈良で東京の味を出すという覚悟を決めた訳ですね
若井 そうそう だから関西の味に寄せて薄味にするって考えは一切なかった
にだいめ なるほど けど、東京にも関西の方は多くいらっしゃいますけど、僕自身、ある意味事業の立ち上げはギャンブルでもあると思ってるんですよ そんな中でも小さな希望を大きく見出して、結果を出しているところは若井さんの実力だと思います
若井 今となってはそうなのかなぁ……
にだいめ ちゃんと結果として出してる部分もありますし、今となってはって部分もあるかもしれませんが、当時のことを考えると僕は自分で資金を出して何かをやってる人ではないので、若井さんのように覚悟を決めて飛び込むっていう経験をしてないんですよ だから、若井さんが自分の血を流してお店を立ち上げる際の判断として「敢えて奈良でやる」という考えと「東京の味を奈良で出す」という覚悟は本当に難しかったと思います……
若井 しかも、屋台やからね

画像6

画像3

(ちかみちらーめん屋台時代)

にだいめ そうなんですよ 何故、屋台から始められたのですか?
若井 それはね、結局、皆、お店を出す時って必ずやることって「どれくらいの人口で〜」とか「ここの道はどれくらいの交通量で〜」とか軽いマーケティングをするやん
にだいめ 統計を欲しがりますよね
若井 それが屋台やったら何処でも行ける、と
にだいめ なるほど!
若井 「ここアカンわ」って思ったら次の場所、と「動ける」っていうメリットがええなぁって考えて
にだいめ なるほど
若井 それプラス、マスターも屋台からスタートでしょ?
にだいめ そうです
若井 これ、メッチャ繋がるやんって思ったんよ 話題性があるわって
にだいめ なるほど!
若井 車も好きやったし、それら全てが屋台から始める理由に繋がったんよ
にだいめ けど、このご時世、どうしても法律上の理由で屋台って厳しい部分があるじゃないですか
若井 そやねぇ
にだいめ そんな中で、屋台でやられててトラブルとかはなかったのですか?
若井 トラブルはなかった 基本的に屋台をやってる場所が自分の土地やから、何処かに行くのも法律上の条件をクリアした上での事やし
にだいめ なるほど
若井 道でポーンとやっちゃうと、やっぱりすぐに警察はやってくるし
にだいめ まぁ、我々の当時の屋台時代は規制が緩めでしたからねぇ
若井 今では許可されてない場所でやるのは、ほぼ無理やね
にだいめ で、屋台から店舗に移ったのは何年後でしょうか?
若井 2009年の12月から屋台で始まって、2014年の12月に店舗化してるから、3年後かな

画像5

画像6

(ちかみちらーめん 店舗時代)

にだいめ なるほど そこで質問なのですが、店舗に変えた理由やきっかけを教えていただけませんか?
若井 やっぱり屋台の車もガタがきてたんよ このまま続けていくのも大変かなって思ったのと、奈良でらぁ麺屋の横の繋がりも増えてきて、その方々から資金の作り方を色々教えてもらったりしてたんよ それらが全て上手くいって、お金の面が調達できるようになったから、そのタイミングで切り替えようって思ったのがきっかけかな
にだいめ 様々な事が本当に綺麗に重なったんですね
若井 そうそう
にだいめ この話をお訊きした時、ビックリしましたもん 勿論、御目出度いって気持ちもあったのですが、それよりも「あぁ、俺、そんなに歳取っちゃったんだ」って(笑)
若井 本当は3年くらいで切り替えた方が良かったのかなって今は思ってるんよ
にだいめ 何故、今、思えば3年だったという考えが浮かんだのですか?
若井 世の中の流れって大体3年周期な気がしたんよ
にだいめ あー、なるほど
若井 石の上にも3年ってよく言うやん
にだいめ 確かに、それはありますね けど、それでも個人的に思うのは、少し脱線するかもしれませんが、若井さんが独立されてから時は経ち、私の父が亡くなり、自分自身で店をやらなければならなくなった時に、たけにぼの食べログを見始めたのですよ
若井 おー、なるほどね!
にだいめ 親父が亡くなって今年で7年目なんですよ この7年間は食べログを見ない夜が一切、無かったのですよ
若井 なるほど
にだいめ で、食べログってどうしても賛否両論がありますし、私自身、この場でそれに対して議論するつもりは全くもってないのですが、こちら側から唯一言える事は「評価という見えにくいものが数値化されている」ところは非常に便利なツールだと思ってるのですよ
若井 そやね 目安になるからね
にだいめ で、父親が亡くなった時のたけにぼの食べログのスコアって3.45だったのですよ
若井 ほうほう
にだいめ で、次にすぐ調べたのが若井さんのお店なのですよ(笑)
若井 ほう、ウチか
にだいめ その時のちかみちらーめん様の食べログのスコアが曖昧なのですが、3,7なんとかくらいだったのですよ
若井 へぇー
にだいめ で、店名の隣に「TOP 5000」と金色の四角のアイコンがついていたのですよ その時、若井さんは凄いところに行ってるんだなぁって思ったんですよ
若井 いやいや、俺なんて本当まだまだよ
にだいめ けど、私にとってはそのきっかけがこの分かりにくい世界に対しての唯一の目標地点が立てれた訳ですよ
若井 あー、なるほどね
にだいめ だから食べログのスコアを上げてくという覚悟でやっていけば、自ずと数字にも反映されるだろうと考えた訳なのですよ
若井 ほうほう
にだいめ で、話を戻しますと「石の上にも三年」という話を今、お訊きした時に「いやぁ、そうかなぁ?」って思ったのですよ 既に店舗化されてて、Web上で見た中では非常に順風満帆で、同業者が羨ましがるらぁ麺屋さんという構図は既に出来上がっていたように僕は当時思いましたよ
若井 (笑)
にだいめ 父親が亡くなる前までは、若井さんのことを「一緒に働いていた仲間」と思っていた部分があったのですよ 何と言いましょうか、言わば戦友ですかね
若井 うんうん
にだいめ そこから、食べログの件で先輩ってところにグーンっと上がってしまったので
若井 あら、そう?
にだいめ 僕はもう若井さんのお願いは断れないです……(笑)
若井 そんな寂しいこと言わんといてや(笑)
一同 (笑)
にだいめ けど、それでも僕は一緒に戦ってきた仲間というよりかは「結果を出してる業界の遠い先輩」ってイメージになってしまいましたね
若井 なるほど
にだいめ けど、それはそれでアリなんですよ もし、若井さんを尊敬する様になれなかった自分が居たら、今のたけにぼは絶対にないので
若井 ほう なるほどね
にだいめ 業界人として尊敬できるところからスタートできるところってあるじゃないですか 例えば、音楽ですと「あのアーティストを網羅してみよう」とか
若井 なるほどね
にだいめ だから、僕は若井さんに本当に助けてもらいました 心の底から感謝してます
若井 俺、なにもしてへんけどね(笑)
にだいめ いやいや、若井さんが関西で名を馳せるという覚悟で事業を立ち上げ、且つ、皆様に温かい評価をしていただけるお店にまで成長された訳じゃないですか それを僕がたまたまWebで見ただけかもしれませんけど、そういう刺激や影響の元は若井さんの努力でしかないと思います
若井 そういうことになるんかなぁ……
にだいめ 僕は若井さんの背中を追っかけていなかったら今はないと思っています 親父が亡くなった当時の事は今でも鮮明に覚えてますけど「たけにぼは俺が潰すんだろうなって思ってましたからね
若井 うーん……
にだいめ 今、続けられてることも正直、奇跡だと思ってます まぁ、最近少しだけ「世間様はたけにぼを見捨ててはいない」という自覚が持てるようにはなってきました けど、その自覚を持てる様になったのも7年掛かって、ようやく何か小さなものを掴めた様な気がするってレベルですね
若井 なるほど、俺、今だから言えるけどマスターが亡くなった後に店を覗きにいった時、あの段階で正直「ヤバい」とは思ったね
にだいめ そうですよね、それは僕もそれは凄く強く感じてました あれは若井さんに見せたくなかったたけにぼでしたね
若井 なるほど……
にだいめ 今でも覚えてますよ、若井さんがいらっしゃった時、僕は長く一緒に働いていたので、些細な顔の引きつりも直ぐに分かりましたもん(笑)
一同 (笑)
にだいめ もう、本当に御弟子さんの皆様にご迷惑を掛けてしまう可能性があるのが、ずっと頭の中を駆け巡ってましたね……
若井 なるほど……
にだいめ そこから自分自身の心のリノベーションが大切だなって思ったのですよ 要は大人にならなきゃいけない そこからあっという間の7年 今でも1年前くらいに父親が亡くなったような感覚に陥る時がありますもん……
若井 ホンマ、そうやねぇ…… そうか、7年か……

さて、今回はちかみちらーめん若井オーナーとの対談の前編をお届けしました。坂本鐐一を同じく屋台から始まり、そしてここまで大きく名を馳せた若井オーナーの努力には私、頭が上がりません。

さて、次回も引き続き若井オーナーとの対談は続きます。次回のインタビュー内容は若井オーナーはある出来事をきっかけに大きな仕事に携わります。その内容が本当に飲食業界としてのプロフェッショナル精神に溢れた内容でして、これは私、是非とも皆様に読んで頂きたいと強く思っております。是非とも次回もお楽しみに。