合気道開祖、植芝盛平が大木を一人で持ち上げた!?
合気道開祖、植芝盛平の最も有名なエピソードで、鉄砲の弾を避けたというのがあります。
これはただ避けただけではなく、同時に五人に撃たせ、更に撃たせた瞬間に25メートル先にいる相手も投げ飛ばしたという、まるで漫画の様な話です。
しかし武道の達人で、鉄砲の弾を避けたというエピソードは他にもあったりすることもあって、それを信じています。
今回紹介するエピソードは、三十人でも持ち上げられない大木を、一人で持ち上げたというもので、またそれも、「爪楊枝程の軽さだった」と言うのですが、個人的には、こちらの方が少し信じがたい。
しかしこの世の中は、量子力学の世界であり、一種のバーチャル空間であることが、科学の世界で分かっていて、サイキック能力があるのであれば、それも可能なのかもしれません。
神がかり的な事を色々とされていたので、これも、そういうことなのでしょうか。
四十代の頃と思われるが、三十人で動かせない大木を一人で動かされたことがあったという。それを実際に見た多くの人がいる。
昭和三十六年(1961年)に御来熊の際に、御食事のあと雑談に入った折に、筆者が翁にお尋ねしたのである。
「大先生(翁のこと)が三十人で動かせない大木を、お一人で持ち上げられたとのことですが、どのような状態でしたか」と。
翁は、爪楊枝を持たれて、
「このようなものだった」
と言われたのである。
爪楊枝を持つように軽かったということである。これは翁に霊がかかって力を貸されたのである。霊力で大木を持ち上げられたのである。
合氣道で悟る たま出版 著 砂泊諴秀 90項
植芝盛平は、大本教の出口王仁三郎についてから、全身が黄金に包まれる、黄金体験をしました。
その結果、合気道の悟りを開き、神がかり的な力を身に付けた人なのですが、力自体も、もともと力士の家系であったこともあり、怪力の持ち主でもありました。
これは江戸時代に黒船が来た時、米俵でお手玉する力士。
↑これは300キロのコメを担ぐ女性。プロテインも飲んでいないのに凄いですね。
今の常識ではとても考えられませんが、昔の日本人に、こうした怪力がいたことは事実で、その事から考えれば、植芝盛平翁もそうした怪力の一人だったのでしょう。
その他に、神がかり的な力が働いたのでしょうか。
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