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【東京_023】映画を観るのにも許可がいる私

なんかふと思ったので、今日のこの気持ちを書いておきたいと思います。
今日は昼間にライブ配信を終えて、映画を見ようとしたんです。


映画館に行きたかったけど、行けないままになってしまった「クルエラ」楽しみにしていて、それがDisney+で8/27配信スタートだったから。

だけど、この映画を観ようとした瞬間、
「映画を観るよりも、他のことしなくていいの?」
「とりあえず、仕事しようよ」ってね、言葉が湧いてきたのです。


今月の仕事(納品物系)はもう仕上がって納品済み。毎月のクライアントさんとの仕事も滞りなく落ち着いているので、今は穏やかな感じ。


この何もない週末って、本当だったら完全にOFFにしてベッドの上でゴロゴロしていても何も言われない。なんなら、毎日ゴロゴロしていても、やるべきことを当たり前にやっていたら、確かに何も言われない。全て自己責任の世界にいるはずなのに…


なんかね、ドキドキするんですよね。
あれ?私、大丈夫かな?みたいな(笑)


映画を観ようとしても、映画観てて大丈夫?とか。
YouTubeを観ていても、これで本当に大丈夫?とか。
テレビを観ることはほとんどないけれど、それでいいの?とか。
(谷原章介さんのスーツ姿をチェックしたくて見ている「めざまし8」をチラ見はするw)


とにかく、自分の仕事に関する以外の行動をする時に、脅迫まではないけれど、自分に対するブレーキが生じてるって、再生ボタンを目の前にして感じてしまいました。


映画にも、本にもインスピレーションを刺激するようなシーンや音楽、セリフがあるのに、その全てを遮断していくが故に、この枯渇感に陥っていたのかもしれないと、同時に思ったんです。


インスピレーションに触れるきっかけさえも、許可が必要な状態になってしまっていたのかと、だから、何か自分に触れる時間や、自分のことを考える時間、ふと湧き上がるインスピレーションの感覚が乏しくなっていたのかと、映画の再生ボタンを押しながら感じました。


映画見るだけなのにね、それでも自分を制御する言葉を感じるんです。
90分の映画を観ることで、得られることの方が多いだろうに。
どっかで無駄な時間だと制御して、遠ざけて、逆に寂しい気持ちになっていたと思って。


このブレーキは必要ないなーと。
映画を観たいと思ったら、時間を作って観て、そこから得られるものがあれば得ていけばいいし、ピンと来なかったらそれはそれでよいし。
無駄なものはないよーと。思考しておりました。


こんな記事が何の役に立つのかは分からないけれど、自分を遊ばせたり、映画を観たり、好きな音楽を聞いたり、好きなものに触れる時間。


大切にしてあげることは、自分を満たすことに繋がるよー!
って、感じたので言葉にしてみました。
ということで、ジャスミンティーを飲みながら、これから読書の時間にしようと思います。


皆様も素敵な週末を…


恭子



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