見出し画像

【東京_030】いっぺん死んでみるワークショップを受けてみました。

もしかしたら明日死ぬかもしれない。
このまま眠って、目覚めないかもしれない。
それが自分に起こるかもしれないし、大切な人に起こることかもしれない。

誰にでも必ず訪れる「死」を意識するワークショップを受けてみました。

死はとても身近なことだけれど、少し遠いもの

1日の中で、
日本では毎日2,934名が生まれ。
毎日3,279名の方が亡くなる。(引用:インフォグラフィック/保険市場

大切な友人のひとり、ぽかちゃん(@pokabe_com)から、
「いっぺん死んでみるWSすごかった!絶対受けた方がいいよ!」という激アツなレコメンドをもらって、申し込みをしました。

私が「死」を意識した瞬間

ギランバレー症候群になった時の闘病体験は「死」を意識する経験のひとつ。当時19歳の私にとってはインパクトが大きかったように思います。

それまで当たり前に生きていた自分自身が「生かされている」という命のあり方に意識が向くようになったこと。

同時に、病室で仲良くなるおばちゃんやおばあちゃんが「死」に近い場所にいることを感じさせられたり、実際に個室の仲良くなったおばあちゃんが翌週には亡くなられたり。

夜眠る前に、このまま身体が動かなくなったら死んでしまうこともあるのかな…と思いながら眠ることもあった日々を思うと、病院という場所は死を意識するには十分な場所だったように思います。

死生観だけでなく、その後の生き方、あり方、人との関わり方に影響を与えた経験でした。

大切なものを手放していく作業

画像1

ワークの中で自分の大切なものに向き合い、ひとつひとつを手放していく作業を体験します。多くはお話できませんが、ぜひこれは体験して欲しい。

ただこのプロセスで感じたのは息子の存在でした。
大切な息子だけれど、死の間際に息子を思うと、息子も一人の大人になっているので、私が死ぬ時に迷惑をかけちゃダメだーっていうこと。
同時にだとしたら、私は一人なのか?という小さな孤独感も感じつつ。

それだったら、その時に大切なパートナーがいて、その人には近くにいて欲しいと思うけれど、その願いは本当に叶うかというと難しそうだなー。でも、大切な人がそばにいる人生は幸せかもしれない。とかね!(笑)

大切な人を見送る側にいるとするなら、その人はどんな最後を願っているのだろうか?と、聞けるタイミングでちゃんと聞いておかないと、と思いました。生きてるって当たり前じゃないから。

意外とワガママに願いがたくさんあることを知りました。
あと、私にとって大切なことは、美しく死にたい。という願望でした。

死ぬ前まで、会話をしていたい。
口にご飯を入れて、噛んで味わって、美味しい食事をしていたい。
なんならギリギリまで仕事していたい。
海外のホテルは巡っておきたい。
死ぬ時には大きなお葬式はしなくていいから、お金はしっかり準備しておくから、カサブランカの花で包んで欲しい。
最後に流す曲は、「ALL MY LIFE」にして欲しい。

なんてワガママなんだと思いつつ。
意外と一人で生きていこうとするのか?と、友人たちと語り合いながら美味しいもの食べてたら幸せなんじゃないか?とかね。それらを考えるきっかけがたくさん詰まっていました。

物は結構早めに手放して、やりたいこともある程度までは、きっと叶えてるだろうし、まぁ、いっか!という感覚になるけれど。

一緒に生きていきたい人、大切な存在を手放すのには勇気がいり。
人は一人で生まれて、一人で亡くなっていくと言うけれど、多くを共有していくみんなとの出会いを考えると、本当に大切な人と過ごす大切な時間を、しっかり味わい尽くしておきたいなーと思いました。

大好きな人にはどんどん大好きって言っておきたいし。
たくさん抱きしめてもらおうと思いました。
(たくさん抱きしめたいではなく、ここは抱きしめられたい!という感覚がポイントです!)


そして、息子のことも今のうちにたくさんギューってして、
健やかに大人になってくれると嬉しいなーと思います。

現時点での感覚なので、きっとまた変わっていくかもしれませんが。
大切なものを、大切にできる人生。
悔いなく、生きていきたいと思いました。

ということで、いっぺん死んでみるワークショップ。
ぜひ、ご縁のある方は参加されるのをおすすめしてみます。

いただいたサポートは、新たなCOZY〜居心地の良さ〜を発見するために使わせて頂きます♡