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二面性の存在を肯定するか否か。

一つの顔しか持たない人間などいない。誰しもどこか、二面性を持っていると思う。

家族と友達に見せる面が違う人が多いように、皆それを自覚し、どこか上手く、使い分けて生きている。

僕自身は、最近生活環境が変わったことで日々が忙しく、とても楽しく生活できている。職場の人にも学校の人にも、そして側にいてくれる親友や大切な人にも、本当に恵まれたな、と。本当に、周りの人達のおかげです。皆さんいつも本当にありがとうございます。

でも一方で、すべての人間関係に置いて単一の自分でいられないことに違和感を、そして、少しの自己嫌悪感を覚える自分がいて、なんだか最近モヤモやしていたんだよね。

例えばだけど、話し始めて最初の1〜2時間はすごく楽しい。これは時間を忘れるほど。けれど、そうやって楽しい時間を一定以上過ごしていると、だんだん自分の時間が欲しくなってきて急に落ち着いてしまう。楽しいはずなのに、ね。

インスタで、友人と長時間ドライブしたり、朝まで飲んだりする友達を見る度に、楽しいけど少しの時間でいいな、と思ってしまう自分を思い出して少しチクッとする。友人に「明るいよね」とか「めっちゃ喋るじゃん!」とよく言われるけど、そうじゃない時の僕を、自分自身、一番知っている。今見られているのは「愛想のいい人」。でも考え事したり、カフェで仕事したり、大好きな地元のBarで1人飲んでいる時の僕はきっと「なんだかよくわからない人」だと思う。


僕は裏がある人があまり得意ではないのだけれど、それは相手の本音が見えなくてこちらも当たり障りのない会話をしてしまうから。

どうせ会話するなら楽しい方が良いに決まってるし、また次に繋がるような話にもっていけた方が良いもの。


こういう表と裏が一致しない自分を最近認識してしまってすごく困惑してた。

どちらも何も無理していない本当の僕だし、それを一番理解しているのに、僕はそれを、許せない。僕自身が裏ある人苦手なくせに、僕がそれになってしまっているという自己矛盾。

苦しいわけじゃないんだけど、これを解消するのには少し、時間がかかりそう。



冒頭のイラスト作成者である松田たかしさんの作成経緯に、(松田さん、勝手にイラスト引用させていただきました。ありがとうございました。)

『どちらの面が一方的に正しいということはなく、面の出し方、使い方を知るべきなんだと思います。そんなことを思って描いたイラストです。』

と書いてあって。

見た瞬間、今までなにかと晴れなかった心にすごく気持ちいい風が吹いたようで、すごくすっきりしたんです。

単一でいられない自分がいけないんじゃなくて、そんな自分がいても良いんだなと、二面性の存在を許すことができた。

その2つの面の差から滲み出された雰囲気、完璧になろうとしてなれなかったその哀愁、そんなものに、人は色気を感じるのかもしれませんね。

香りが目に見えないのと、全く同じ理由で。







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