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なんでもできる。では何をするか?「見えてくるのは煩悩だらけな自分」

隙間時間にはAIを触っているお坊さんな私です。
文章、画像、動画、音楽などだいたい雰囲気はつかんできました。なんならウェブサイトやアプリも多少はいけそうな気までしてきました。
1,2年前の自分から比べると驚くべき進化。能力も時間も無いからと諦めていたことが全部できるかもしれない。

もともとやりたかったこと

実はYouTubeも諦めかけていた時期もあった。

あれから2年か。もはや懐かしい。笑
数字が自分を揺さぶってくる気持ち悪さと、時間的な厳しさがあった。自分の「やりたい」とか「おもしろい」よりも、視聴者に刺さりそうなものを考えてしまう。もちろん悪いことではないんだけど、自分が無くなってしまうような感覚があった。
コロナが落ち着き始めて、それまでのように時間が取れなくなったのも、動画編集ができないという悩みがあった。
「もし時間があれば」とは常に思っていたが、ガンガンにYouTubeやSNSを回したかったし、仏教心理学研究もしたいし、英語で海外発信もしたいし、お寺の活動もどんどんやりたい。でも、それは無理だなと思っていた。

リミッター解除

1年前からChatGPTが流行り始め、さっそくに触ってみた。その可能性はすぐに実感できた。今まで諦めていたことが全部できる。なんんら、もっといろんなことができる。
画像や音楽が自分で作れるなどと考えたことも無かった。動画編集も恐ろしく楽になった。サムネイルだって、テンプレートでかっこいいのが簡単に作れる。
「待て待て、考え方を一気に変えなければいけない」むしろ、次の大きな変化を見据えたことをしていかないと、今の努力は一年後に無意味化するようなリスクさえある。
この一年は時間があればAIを触ってきた。自分の脳みそが拡張されていくような感覚。


それでも、人とのご縁が前に進める

「AIがあれば一人で何でもできる!!!」
というのは勘違いでした。進化のスピードが早すぎて情報についていけません。触ってみたら、意外と思うように動かない。

そして、触ってみると、自分がAI以前の脳みそから進化できていないことに気づく。ついつい、今までと同じように自分の頭だけで考えてしまう。自分の手を動かそうとしてしまう。それではあまり意味が無い。
自分が考えも及ばないような世界に連れて行ってくれるのがAI。でもそれをどう使っていいかが分からない。

そんななかで、Xではいろんなご縁が広がりまくっている。すごい人がたくさんおられ、惜しみなく情報をくれる。みんな、この時代の流れのなかで、新しいコンテンツをとても楽しそうに作っている。

仏教コンテンツに関心を持ってくださる方も少なくない。メールを2,3往復している間に凄いものができてしまうこともある。スピード感が気持ちいい。
そして、このスピードを体験すると、自分が次にどうすればいいのかというイメージも拡張される。この気づきを得る体験は、やはり誰かとの出会いのなかで生まれる。
今日はランウェイを触りまくった。動画もいけそうだ。いやはや、楽しすぎるぜ。何作ろうかな。

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