大学における「自治」に関する概念の再整理の試み:意思決定への参画という観点での新たな実践に向けて

本稿は、大学において「自治」と呼ばれうる概念や理念について、最近の大学をとりまく情勢の観点を取り入れつつあらためて検討を加え、再整理を試みるものである。

冒頭で結論を提示してしまえば、ひとくちに「自治」といっても以下の3つの概念に区分することができるのではないか、というのが本稿の中心的仮説である。

  1. 特定の政治的勢力ないし短期的・近視眼的政策からの大学自体の独立(大学の自治)

  2. 構成員それぞれによる大学の意思決定への参画とその仕組み(全構成員自治)

  3. 学生の自主的活動に対する大学当局の不介入(学生活動の自治)

そして、これら3つの間の関係や比重の置かれ方が時代によって変動し、またときに渾然一体として扱われてきたことが、こんにちの状況把握や事態への処方箋の提示が難しくなっている一因ではないか、という問題意識もある。本稿の副題から想像されるように、最終的な議論の焦点は第2項目にあてられることになるであろう。以下、順に解説するとともに、近年の状況や課題もなるべく述べていきたい。


特定の政治的勢力ないし短期的・近視眼的政策からの大学自体の独立(大学の自治)

見出しは回りくどい言い方をしているが、大学が「自治」的存在であるべきという観念は早くから存在していた。詳細は大学史・高等教育史の書物に譲るが、日本の大学は明治時代に国家の近代化政策の一環として誕生したので、大学がそれに従属する側面を持つこともまた無理からぬことであったものの、幾度かの摩擦の末、大学が大学自身に関する事項を決定する権限を持つという意味での自治が慣行として認められるようになった。特に教授会の人事権はその中心に位置付けられるものである。ただし第二次世界大戦の時期においては、国家体制と相容れないとされた教員が職を追われる事件が複数生じており、時代の趨勢もあるとしても、自治の基盤はけっして盤石ではなかった。戦後はその反省もあり、日本国憲法の「学問の自由」によって大学の自治を基礎付ける考え方が取られている。

一方で、大学は社会の中で教育研究という公共的な役割を担う存在であり、加えて公的な費用負担を享受する存在でもある。基本的に国・自治体の予算によって運営されている国公立大学はもちろん、私立大学も(相対的には限定的であるが)私学助成金などの形で公的資金を受けている。したがって単純な自由・独立を主張できるものではなく、社会との関係で大学に課せられた責務を果たすことは常に必要とされる。特に近年は、大学に限らず社会の幅広い主体に「ガバナンス」が求められている。政府は公費の支出についての説明責任を持つし(現下の実態をどう評価するかはさておき少なくとも理念としては)、そうである以上、国家や政治からの完全な自由・独立はありえない。あえて一言でまとめれば、大学が特定のイデオロギーや政治的勢力からの独立を保つことに意義を見出しているものと考える。

くわえて、国家・政策と大学の関係では、近年の国立大学は、2004年の法人化(近年といっても20年前であるが)のころ以来のさまざまな“改革”により、国の政策から直接の強い影響を受ける傾向が生じていることも指摘しなければならない。法人化というと一見政府からの独立性を高める施策に見えるが、実際には中期目標・中期計画といった手段によって国の関与は残っており、また運営費交付金の継続的な削減は周知の通りである。さらに、大学を直接に所管する文部省・文部科学省だけでなく、内閣総理大臣が管轄する会議において大学政策が取り扱われる機会が増えている。遡れば中曽根政権下での臨時教育審議会に端緒を見出すこともできるし、最近では安倍政権下の教育再生実行会議の名は広く知られているだろう。加えて、10兆円ファンドこと国際卓越研究大学制度が生み出された場である総合科学技術・イノベーション会議 (CSTI) も内閣府の会議である。そもそも国立大学法人化も、教育政策というよりはむしろ、独立行政法人制度という国全体の行政改革の流れのなかで実行されたたものであった。このような事態の進行にはガバナンスの担保や国家財政の観点という背景もあるわけで、大学と社会の関係から見れば、一概に否定するのが難しい論点も含まれているように見受けられる。その上でなおこれらの事態を「自治」の観点から批判する議論が立脚するのは、短期的・近視眼的政策を問題視するものではないかと思われる。

以上の点をもって「特定の政治的勢力ないし短期的・近視眼的政策からの大学自体の独立」として項を立てた。

構成員それぞれによる大学の意思決定への参画とその仕組み(全構成員自治)

ここまでは大学とその外部の関係の話だった。次は大学の内部の話となる。1960年代後半まで、「大学の自治」はいわゆる「教授会の自治」であると理解されていた。大学が外部から独立して意思決定するとしても、内部でその意思決定に携わるのは教授という特定の(“特権的”な)層に限られたわけである。しかしこれは大学紛争の折に厳しく非難されることになり、結果として、1969年の東大確認書は教員・職員・学生がそれぞれの立場で「大学の自治を形成」していると宣言することになる。東京大学の場合、この原則は2003年の東京大学憲章にも「運営への参画の機会を有する」という文言で書き込まれ、現在も理念の上では引き継がれている。

ただしその実践について見ると、必ずしも体系的な成果をあげてきたとは言えない部分がある。国全体としてみれば法令・制度に学生の参画は取り入れられなかったし(大学紛争はむしろ大学の運営に関する臨時措置法という管理の圧力を生み出した)、学内の規則などで学生の参画を制度化する動きも(筆者の知る限りは)ほとんど出なかった。学生の参画は、当局側の然るべき組織(評議会・教授会や学生委員会等)と学生側の自治会等の組織との間での交渉・協議の形を取り、それが慣行として定着することによって実質的な実践をなしていったということになるだろう。逆から見れば、教授会等の既存の教員組織は何ら変わることなく存続したということである。

ここで少し話題を変えて最近の情勢をみたい。文部科学省の主導により、学内の意思決定を中央集権化する動きが進んでいることである。従来の国立大学では学長・部局長(学部長)などによって構成される評議会が主要な会議体であり、全学的事項について学部単位の教授会と全学の意思決定を結ぶメカニズムをなしていた。しかし2004年に国立大学が法人化された際、最上位の会議体は学長と学長が任命する理事からなる役員会とされ、部局の教員の代表者が参加する仕組みではなくなった。部局長が参加する教育研究評議会という制度はあるが、審議事項は「教育研究に関する」ことに限られ、「経営に関する」ことは学外委員を含む経営協議会で審議されるようになっている。それだけではない。さらに2015年の学校教育法改正で、教授会の位置付けが「重要な事項を審議する」機関から特定の事項について「意見を述べる」機関へと変更された。大学の自治、特に教員自治の重要な一翼を担ってきた教授会は、ここでその権限を法的には剥奪されたことになる。

長くなったのでまとめよう。大学の内部での意思決定は、理念としては教授会自治が否定されて全構成員の参画が志向された。とはいえ実践としては学生の参画は必ずしも十分な制度化・体系化がなされず、従来の教員集団による意思決定は長らく小さくない位置を占めてきた。そのなかで近年の国の政策の動向は、むしろ教員集団による意思決定への参画さえ狭め、少数の経営層によるトップダウンの意思決定を推し進める方向にある。なお念のため付言すれば、このような近年の動きは、上で述べた短期的・近視眼的な政策関与と一体をなすものと言えるだろう。

学生の自主的活動に対する大学当局の不介入(学生活動の自治)

大学の意思決定への体系的・制度的な学生の参画は進まなかったが、一方で大学における学生の活動そのものが低調だったわけではない。まず上でも述べたように、自治会等を通した大学当局への意見反映の動きは継続した。そしてそれ以上に、サークル・学園祭・自治寮などの学生自身のための活動ないし空間が「自治」的性格を持った。教職員の指導・関与を伴わずに行われるこうした活動は、大学という組織のなかでの位置付けが実は難しい。国立大学の場合は、国の資産である大学の施設を利用する以上は、本来は何らかの管理を受ける必要があるというのが当局の立場であっただろう。しかし歴史的に、自治会や学園祭実行委員会・自治寮委員会などが当局と交渉・協議し、学生の自主的活動に対して大学当局が直接的に管理することを避ける形が取られることが多かった。そしてその実務的・日常的な課題は、学生側の組織と大学当局側との間における平時の焦点として前景化してくることになる。

部室や自治寮などの学生が自主的に活動する空間は、学生の言論空間としても機能し、大学の意思決定に参画するための意見形成に重要な役割を果たすはずである。しかしサークルや学園祭などは、それ単体ではあくまで学生の活動として完結している。そこに重心が置かれるとき、それは大学と外部の関係での意思決定・自治というよりも、学生と大学当局との関係が問題となっていることになる。言い換えれば、たしかに教授会が学生を支配するのではないという点は重要だが、学生が大学当局の介入を受けずに活動するという理念を「教授会自治」と対置される「全構成員自治」に含めるのは違うのではないか、ということである。筆者がこの見出し項目を前の項目から区切ったのはこの観点によるものである。

筆者は先日のツイートで、東大確認書において「学生・院生の自治活動の自由について」という部分と「大学の管理運営の改革について」という部分が分けて記されていることを指摘したが、これも同じ趣旨である。自治会の公認などを内容とする前者が学生と大学当局の間の関係を扱っており、いっぽう後者が全構成員自治の理念を明らかにした箇所である。

さらに触れておかなければならない経緯がある。大学紛争から連なる学生運動は、大学の内部に閉じず、さまざまな政治的主張・勢力と同調しながら展開していった。自治会などの学生組織も学外の政治勢力との結び付きからは無縁ではなく、それは近年まで(大学によっては現在まで)続いてきた。もちろん学生であろうと政治的自由はあるが、それが学内における自治組織と関わるとき、本稿の第1項目で確認した意味での大学の自治とは相容れない部分が生じる。学生の自治組織が交渉・協議主体として一定程度は認められつつも、大学全体の意思決定の担い手としての制度的・体系的な地位が与えられなかった一因として、この事実は一つの仮説となるのではないだろうか。

まとめると、学生の自主的活動は大学のなかで一定の場所を確保してきたが、サークルや学園祭といった日常的な活動のなかでの実務的課題が焦点化しやすいことや、学生の活動が特定の政治勢力との結び付きを持っていたことから、かえって全構成員自治の実践に対して繋がらなかったとも言えるのではないか、ということになる。

まとめと展望

冒頭で提示したまとめをあらためて述べよう。ひとくちに「自治」といっても以下の3つの概念に区分することができるのではないか、というのが本稿の中心的仮説である。

  1. 特定の政治的勢力ないし短期的・近視眼的政策からの大学自体の独立(大学の自治)

  2. 構成員それぞれによる大学の意思決定への参画とその仕組み(全構成員自治)

  3. 学生の自主的活動に対する大学当局の不介入(学生活動の自治)

そして、これら3つの間の関係や比重の置かれ方が時代によって変動し、またときに渾然一体として扱われてきたことが、こんにちの状況把握や事態への処方箋の提示が難しくなっている一因ではないか、という問題意識もある。

ここまでの整理を踏まえて、現下の情勢を課題として切り出せば、国の政策の大学への関与が増大し(第1項目)、それが学内の意思決定をトップダウン型へと変えていくこと(第2項目)を通してなされている、ということになる。構成員の意思決定への参画すなわち全構成員自治は、学生どころか教授会の参画すら切り崩されている。これらを急速な変化というには長い年を経ているが、制度変更の実質的な影響が現場の実践に浸透するには時間がかかるわけで、現在の大学が新たな局面を迎えていることは間違いないだろう。

それでは事態にどのように対処すればいいだろうか。むろん確実な答えがあるわけではない。しかし、これまでの学生の「自治」的活動(第3項目)が必ずしも大学の意思決定への十分な参画をもたらしてきたわけではないことには留意すべきであろう。従来の延長線上のアプローチとは異なるアプローチが必要だと筆者は考える。特に、(あえて否定的なニュアンスでこの語を使うのだが)各種の“運動”における伝統的な方法論は、現時点において、必ずしも幅広い人々の理解を得られるものではないように見える。(たとえば“連帯”や“抗議”のために)本当に有効だと考えるならそれを採用する選択肢が排除されるものではないけれども、その場合でも、それが何故・どのように有効だと考えるのかを丁寧に示すことは不可欠ではないだろうか。この点、既に何名かの関係者から意見表明が出ており、議論と実践が深められることに期待する。

そして、もっと根本的なこととして、学生や学生組織と大学当局との間の関係を固定化して捉えず、大学という共同体のあるべき内部構造を見据えつつ事態に取り組む必要があると思う。直近の当局への不満は大いにあろう。だがそれに引きずられすぎると、意思決定にイニシアティブを持つ当局とそれに抵抗する学生が対立的な関係にあるという構図を必要以上に強調しかねないようにも見える。東京大学の授業料値上げをめぐる状況では、学生からの組織的な意見表明は進みつつあるところ、理念として学生の参画を基礎としているのは良いとしても、細部を見ると、当局が大学を代表して意思決定する主体であるような前提のもとに読めてしまう文言が無意識に見え隠れしてはいないか、気になっている。学生と教職員、すべての構成員による意思決定への参画が真に実現するとき、それを司る組織がどのように構成され、どのような役割を果たしているべきか。その構想なくして全構成員自治には辿り着けない。


(2024年6月22日追記)この投稿は、筆者以外の著作物を引用している部分を除き、CC BY-NC-SA 4.0の下で利用できるものとします。なお、同ライセンスの認める範囲をこえて利用したい方は、個別に対応を考えますので、筆者までご相談ください。

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