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背中越しの「八十日間四畳半一周」

「四畳半神話大系」との出会いは少し独特だったので、10年以上前だが覚えている。

出会いはぎゅうぎゅうの満員電車で背中越しに覗き見えた「八十日間四畳半一周」という文字である。

「四畳半」何だか問答無用で慎ましくなる響き。その言葉をはさむ「八十日間 一周」の二単語。この二単語はジュールヴェルヌを連想させる。実際そのとおりなのだが。ジュールヴェルヌといえば少年心をうずかせる冒険小説。「四畳半」の響きとは対極。どういうこと?

私は猛烈にこの小説が気になってしまった。しかし何ぶん満員電車であるため表紙も見えなければ小説の本文も読めない。見えたのはページ上部に印字された各章のタイトルのみである。

でも大丈夫。10年以上前でも既にインターネットは存在している。

「四畳半」「小説」で検索。「四畳半神話大系」という本のタイトルがしれた。冒険小説どころではなく神話ときている。どんどん遠ざかる四畳半の慎ましさ。

さすがに四畳半がテーマの小説は複数存在せぬであろう。これだ!とさっそく本屋に走った。私はポチらないで本屋で買うことが好きなのだ。

まず、「四畳半」がここまで深淵かつ広がりを見せるものだと思わず、度肝を抜かれた。

主人公は廃墟寸前である下宿の四畳半部屋で起居する大学生。華やかな大学生活を夢見て奮闘し破れ3回生目にして鬱屈している。一回生目の時分にちがうルートを選んでいれば今ごろ薔薇色のキャンパスライフを送っていたはずだったのに。そう後悔しながら四畳半部屋で殷殷滅々と過ごす。

次々とくり出される講談師の口上のような滑らかな文章。びっしりと埋め尽くされた鮮やかな伏線の数々。すっかり四畳半という空間に引き込まれてしまった。

四畳半は話が進む?につれさまざまな顔をあらわす。主人公の選ばなかったルートと重なったりずれ込んだり。しかし出会いは変わらない。

誰もが一度は思う、「あの時、ちがう人生を選んでいれば」

私も思う、「学生の時ちゃんと勉強しとけば良かった」「あの人に勇気を出して話しかけていれば」「自分のことしか考えておらず居候先に多大な迷惑をかけていたことに後ほど気付き深く後悔した。もっと気遣い、そしてさっさと出ていくべきだった」

「四畳半神話大系」は出会いの話だと思った。主人公はどのルートでも明石さんと出会うし唾棄すべき親友、小津に何かしらに巻き込まれる。「袖すりあうも他生の縁」とはこの小説にふさわしい言葉だ。濃度は違えど出会う人間はほとんど同じである。

四畳半は美しい正方形である。ぴったりと正方形を型作るために半畳は在る。そしてそこで完結する。

主人公はその完結した世界からなかなか抜け出せず懊悩する。そこから、ほんの少し、道が伸びたところでどのルートも終わる。

今の自分を受け入れたとき、ほんの少し道は伸びるのかもしれない。

後ろばかり見ていても先には進めませんものねぇと思いつつ、つい振り返ってしまう。



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