シンプルな暮らし方
私が、ものについて考え始めたのは、主人が会社を辞めた後です。
無収入になってからです。
主人のために使っていた時間が余って、ふと周りを見渡すと結構な量のものがあったのです。
なので、そのものを一つ一つ確認する作業が始まりました。
私がその時にびっくりしたのは、まだ開封していない袋に入ったままのものがあったことです。
その全てがオンラインで買ったものでした。
履歴を見ると、かなり前に購入したものでした。
「これ・・・買って全然開けてないのだったら、その分お金だった方がいいのになぁ・・・」
とっさに思ったのがこれでした。まぁ収入がないので、少しでもお金が欲しかったのもありますが。
この、開けてもいないもの、を買っていなかったら、少なくとも◯万円が手元にあったのに・・・
そう思ったら、とことんものと向き合ってみようと思いました。
断捨離、まではいかない、ミニマリスト、とかでもない。
とにかくものと向き合おうと思いました。
けど、ものと向き合うのはかなり大変なことでした。
「なんで着れないものを買ってしまったんだろう」
「これ・・・使う???」
「これは完全に見栄で買ったよなー」
自分の過去の行動がものすごく憎たらしくなりました。
何度も言うようですが、それを買ってなかったら○万円・・・
おしゃれなお店で主人と二人でディナーでも出来た金額です。しかも豪華なディナー。
その分のお金を私は着もしない服に、使いもしないものに使っていたのです。
泣くと言うより悔しい、悔しいと言うより情けない。そして馬鹿らしい。
「今度はなるべく後悔のないような買い物をするぞ、そのために一個一個ものを分別してみよう」
そして始まった「ものの分別」。
断捨離まで行かない、ただ分けてみる。その時頭にあったのが「笑う犬の生活」に出てくるウッチャンのキャラクター「小須田部長」です。
小須田部長とは、毎回色々なところに配置換えされます。そしてその時どきで「いるもの」と「いらないもの」を分けるコントです。火山の仕事の時には持っていたものを、次の配属先の海の中ではいらないものに分けたりします。
私は小須田部長を思いながら「今の私がいるもの」「今の私がいらないもの」に分けていきました。
そしたら、出るわ出るわ「今の私にいらないもの」が。
念の為言っておきますが、主人のものには一切触りません、言及しませんでした。
私は「ごめんね、ごめんね」と言いながら、今着れない服を処分しました。泣きました。
いらないものが多すぎて泣いていた私ですが、途中から少し変わってきました。
「ああ、これは今はいらないけど一時期すっごい使っていたなぁ」と言うものが出てきたのです。
私はその時に初めて「ごめんね」の感情に「本当にありがとうね」が加わりました。
少しの間でも私が熱中したもの、私の身になったもの、それは全部私の中で生きておりました。
だからそのものを処分するときは不思議とすぐに処分することができました。本当に本当に大事に使っていたから。「ありがとうありがとう」って処分しました。
あと、私にはサッカーが好きということがありますが、サッカーのグッズも「推し」の選手がいる方にその「推し」の選手のグッズを渡すことができれば、その選手のグッズも嬉しいのではないだろうか?と思い、開けてないものをお譲りすることにしました。全ての方がとっても嬉しがってくださり、「ああぁこんなに喜んでいただけるなら、私のところにいるよりものは幸せになるなぁ」と強く思ったものです。
分別をしていて、途中からあることに気づきました。それは心が軽くなっていること。
部屋にスペースが出来るたびに私の心にも余裕が出てきました。
ものを処分した部屋の窓を開けて入ってくる風が私の心に吹いているような、そんな感じです。
なんでだろう?と思いましたが、周りを見てすぐにわかりました。
私の好きなものしか周りにないのです。
有名なお掃除の方がいう、いわゆる「ときめくもの」しか私の周りにないのです。
ときめかないはずがありません。
私はそれから毎日をるんるんと過ごしました。
実は少し心配だった主人の転職のこともスッキリ考えることが出来るようになりました。
自分の中でちょっと笑う回数が増えました。
心に余裕ができると、なんでもすぐに出来るようになりました。
今までは「面倒臭いな」と思っていたことも「なんかわかんないけどやってみよう」と思うようになりました。
その結果、昔から描きたかったエッセイ漫画なるものを描いてみようと思いました。今まで理由をつけて描かなかったのですが、やらない理由が見つからなくなったのです。
エッセイ漫画を描いたら、昔の夢が叶ってすごく嬉しくなりました。とてもとても心が上がりました。皆様に反応していただいたのもとっても嬉しかったです。
とにかく描きたいものを描くということで、身軽になった私はいろんなところへ行き、描けるものは描きました。どんどん上がっていく私の心。
もちろん他の方の反応はとっても嬉しいです、ありがとうございます。けど一番は自分がやりたいことをやれたということがとっても上がりました。
好きなことができたんです。
小さいながら夢が叶ったんです。
私はまた泣きました。今度は嬉し涙です。
それから、主人に確認してから主人の部屋の分別を始めました。
主人は私が「それいるの?」と思うものを残したり、私が「それ処分していいの?」と思うものを処分しました。理由をさりげなく聞くと納得しました。人によって思い入れのあるものって違うんだなーと思いました。
私はこの頃から「整理収納アドバイザー」というものに興味を持ちました。今までの私だったら、興味を持つだけだったのですが、資格を取らない理由も見つからないので資料請求をして、すぐに学習が始まりました。
ちなみに、主人の部屋の分別を終わらせたら、主人は「スッキリした」と言っていました。そしてそれから主人の就職が決まりました。偶然かもしれませんが、スペースを作ったらそのスペースに就職が入ってきたようでした。主人も満更でもないように考えているようです。
消費とはよく言ったもので、私たちはどんどんものを「消費」します。どんどん買って、そのものに時間を費やして、その存在を消してしまいます。
時間を費やすのはいいと思います。ただ、その後、そのものはどうなるかを考えるとあくまで私の場合ですが、「本当に大事に使うもの」を買いたいと思いました。
確かに以前にも書きましたが、ちゃんと使ったものは手放すときありがとうの気持ちをすごいこめることが出来たし、手放すときも、十分使って満足させてもらったと上から目線ですがそんな気持ちがあるので、ぞんざいに使ったものとは気持ちが違うのです。
だから今度から買うときは本当に大事にするものを買おうと思いました。値段をあまり気にすることもやめたいと思いました。流石に家計に似合わないものは買えませんが、気に入ったら少し高価でもそれしようと思いました。
考えてみたら、100円ショップで買ったものでも一回しか使わなかったら、そのものは100円ですが10000円でも10000回以上使えば100円以下になりませんか?
まぁよくわからない私の価値観はさておき、そろそろ簡単に締めたいと思います。
師走だよ、大掃除しよ。
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