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MOTORCYCLE ride1

18歳で、原付の免許を取った。
最寄りの駅からバス利用で、しかも坂道なので、自転車は不便なのだ。
アルバイトで貯めたお金で、中古の赤いスクーターを買った。
ちょうど50ccの二輪車に一定以上のスピードが出ないようにリミッターが付いた頃で、大人しくバスがわりに最寄り駅と自宅の間の足に乗っていた。

ハタチの時に、またまたお金を貯めて、中型二輪を取るために、教習所へ通った。たまたま一番近い教習所を選んだのだが、後で聞くと一番教官が厳しいことで知られた所だった。そんなこととはつゆ知らず、暑い夏の間通っていた。

当時はオートバイのブームがくる少し前で、女性ライダーはまだまだ珍しかった。
免許取得の最初の難関は、400ccの、しかも安全のためにガード器具がついてさらに重量を増したバイクの取り回しである。
乗ってしまえばスイスイ動くのだが、降りて押すなり、ましてや倒れたバイクを立ち上げるのは至難の業である。しかし、これが出来なければ試験には通らない。
コツを教えてもらって何度もチャレンジしてなんとかできるようになった。

次の難関が、クラッチ操作だった。スクーターは、エンジンをキーで掛けたらあとはアクセルグリップを回すだけ。しかし、マニュアル車はクラッチレバーを離すと同時にアクセスグリップを回す。パワーも50ccとは桁違いであり、しかも二輪であるから出だしにつまづくと、当然車体が不安定になりこける。

専門学校の先輩でタケルさんという人がいた。クールなイケメンで一見近寄りがたい人なのだが、とあるイケメンしか雇わないというアルバイトを紹介したことがあって、卒業後も付き合いがあったのだ。タケルさんは大型免許を持っていて、当時のバイク乗りが憧れる車種のバイクに乗っていた。
普段のチョイ乗りに使っているHONDAの50ccを練習車としてお借りし、特訓に付き合ってもらった。なんと丸一日練習して、最後に近くのカフェへ、公道に出て行こうと連れ出してもくれた。そして、免許が取れたらお祝いにツーリングへ一緒に行くことになったのである。何というイケメンなのだ。
おかげ様で第二の難関はクリアした。

つぎの難関はスラロームだった。

何しろ400ccの重量とパワーが手に負えないのだ。真っ直ぐ走るのは難なく出来ても、細かいカーブは車体が倒れるので恐怖を感じる。怖いからアクセルが戻る、スピードが落ちると車体が不安定になる、腕力がない分持ちこたえられずこける、のである。

どうしても恐怖の壁が越えられない私を見かねて、普段めちゃくちゃこわい教官が俺の後ろに乗ってみろ、と言う。スピードを出したかと思うと急ブレーキ、車体を限界まで倒してスラローム、恐怖がなくなるまで、体で感覚をつかめ!と教えてくれたのだ。


決して優等生ではなかったけれども、何度も試験に落ちたけれども、おかげで体で覚えるまでたくさん練習してからの公道デビューとなって、返ってよかったのだ。


無事免許が取れて、ローンで250ccのYAMAHAのバイクを買った。新車である。
ツーリングデビューは、もちろんタケルさんと、タケルさんの友達のアメリカ人のジョンさんと、日本海の方へ連れて行ってもらった。

ジョンさんは、元軍人で、奥さんが日本人で、その当時は英会話スクールの先生をしていて、日本を含めいろんな所を旅していたそうだ。日本語は充分に理解されているが、彼の方は英語しか話さない。英会話スクールでもそうなのだ。彼が日本語で話してしまうと勉強にならないからである。プライベートでもなぜかそれを貫いていた。

初心者を含むメンバーでツーリングに行く時は、初心者を真ん中に挟む形で走る。その時は、ジョンさんが先頭、私、後ろがタケルさん。ジョンさんは大型のアメリカンで、タケルさんは大型のスポーツタイプで、どちらも馬力があってビュンビュン飛ばせるのだが、この時ばかりは初心者の私に合わせて、トコトコ走ってくれた。なんとも珍道中で申し訳なかったが。

初心者の難関は高速道路である。
今はどうなのか知らないが、四輪車ドライバーからは二輪車は鬱陶しい存在らしく、幅寄せとか、合流で譲ってもらえないとか、いろいろあるのだ。
その日もその洗礼はやってきた。
しかし、私にではなく、私の目の前でジョンさんに、だった。
ワゴン車が、幅寄せして進路を阻むようにして走り去っていこうとしたのだ。
すると、私に合わせてトコトコ走っていたジョンさんが、ものすごいスピードでワゴン車を追いかけて行き、ジョンさんの方から幅寄せして、なんと運転席のドアを蹴ったのだ。遠くで聞こえなかったが、映画でみるような例の言葉も叫んでいたように思う。あの、例の手つきをしていたからだ。
話している時はとっても穏やかな方だったので、驚くとともに、これぐらい根性がないとツーリングで世界中をまわれないのだと思った。

最初の休憩の時にジョンさんが私に何か言おうとする。さっきのことがあったので、何言われるんだろうかとビクビクして、英語がうまく聞き取れない。ドギマギしていると、紙ナプキンに絵を描き出した。
車道で複数台が隊列を組んで走る時は、一列ではなく、互い違いになるように二列で走る。つまり前のバイクの斜め後ろに位置するのだが、気をつけないと前のバイクの死角に入ってしまうのだ。後ろから前のバイクのミラーに自分が見えれば死角ではない、見えない時は距離を調整して死角から出て欲しいとの説明だった。
わかった、と英語で伝えると、彼はニヤリと笑った。あ、怒ってないんだ、と力が抜けた。
そこからは大した事件も危険もなく、ツーリングの楽しさを教えてもらった。

初ツーリングから間もなく、転職したのだが、その先で師匠と出会うのだった。


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