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バイクの走行距離が10000kmに近づいた頃、信州へ4泊5日ぐらいでまわろう、という企画が持ち上がった。

私が約一年働いたその職場をやめたのだ。
入職して配属されたのが、希望するクラフトではなく、玩具だった。全く興味のない分野で、それでもいろいろ覚えたり研究したり、楽しもうとしたのだが、ずっと続けるのは無理だった。
店内には木材加工サービスがあり、その工房では元大工さんとか家具製造経験のある人とか、その道のプロがいた。自分の仕事に行き詰まると、口実をつけては工房に入り浸っていた。電動ドリルや電動糸鋸ぐらいは扱えるのでなにかと工作していると、工房の主任さんが、いろいろ教えてくれたりした。主任さんは木工のプロである。
彼の口癖は、アンタがオトコやったらなぁ、である。大きな電鋸となると相当危険を伴うし、実際嘱託で働いている元大工のおっちゃんは指先が欠損している人が多い。職人の世界は男社会、男気の強いその主任さんは、いくら手先が器用でも、女子をそのような世界に引っ張るには抵抗があるらしく、ため息のようにそう言われ続けたのだ。
けれども私は、どうしても職人になりたかった。

取引先でガラス細工を扱う小さな会社があり、そこの社長さんが、自分のところの商品管理を手伝ってくれたら、空き時間に職人さんにガラス細工を教えて貰うようにする。最終的にはショールームみたいにして、そこでデモンストレーション的に製作もすれば良いと誘ってくれた。

そこで思い切って退職して、その話に乗ることにしたのだ。

すぐ上の上司から話をしていった。
チームリーダー的なポジションのその人はまだ三十代前半だったはずだ。中途採用の契約社員だったのだが、正社員を目指していた。
本社は東京で正社員は大卒のみで本社で採用、地方にある各店舗の契約社員から正社員になる人は少ない。
二十代の若い契約社員は、その場に長居する気のない人が多い。当時はその店舗は出来たばかりだし、コンセプトも今までにないタイプでかなり人気があり、関西在住の芸能人もよく来店していた。なんか面白そうぐらいのノリで働いてるのだ。
商品知識や販売ノウハウ、イベントもよくやっていたのでそのノウハウなど吸収して、次のステップへ踏み出す人が多い。
しかしその人は、そんな若い私達とは一線を引いていた。

職人になりたいから辞めたいと言ったら、止められはしなかった。けれども、職人の世界は甘いもんじゃない。男社会だし、そんな仕事は見つからないか、あっても続かない、と言われた。実は前職が歯科技工士だったのだそうだ。
なーんだ、自分がたまたま上手くいかなかったからって、偉そうにいうんじゃないわよ、三十以上は信用するなの信条通りに、右から左へ聞き流した。

さらにその上の部長クラスの人には、ふーん辞めるの?結構役に立ってたのにねぇ?まぁ代わりはいくらでもいるから、的なことをすぐ溶けちゃうペラペラのオブラートに包んで言われたのだった。
まったく!大人ってやつは!!


周りの同僚たちは皆応援してくれた。
そして、社外の人となった私をカウントしなくてよくなったので、メンバー全員が揃ってまとまった休みがとれ、信州ツアーの話が持ち上がったのである。

ガラス細工の会社には行き始めていたが、来る日も来る日も商品整理で、職人さんには辿り着けていなかった。
商品の種類が多いこと、中国や台湾からの輸入品が大半を占めていて、ガラス細工という特色からも微妙に色形が揃わない、送ってくるものもなんかテキトーだったりして、思った以上に苦戦していたのだ。

また家族経営で、家庭的なのは良いのだが、慣れてくるとお茶出しさせられたり、お使い頼まれたり、職人への道は遠のくばかりだった。

信州ツアー日程が決まり、そんな毎日の気晴らしにはちょうどいいかなと、思った。
それは、出発の日の朝だった。
新聞の求人欄に小さな記事を見つけた。
彫金アクセサリーの職人求む。
ドンピシャリじゃないか!!
けれども、もう出発だ。
電話をしようにも、早朝集合で5時とかに電話できない。当時はね、携帯電話などなかったのです。
途中で電話してみようか、どうしようか、迷いながらも、その小さな小さな記事を切り取って財布に入れて、家を出た。

結局、ツーリングの間には電話できなかった。
夢が叶いそうになると、怖気づくものである。叶って欲しいという気持ちと同じぐらい、怖いのだ。

結局連絡したのは一週間後だった。
もうダメだろうな、とは思いつつ、ダメ元でぐらいの気持だった。
意外なことに、まだ誰も採用していないから面接に来るように言われた。
私の前に何人か問い合わせがあったが、ほとんどが未経験の人だった。経験者もいたが、かえって出来上がってしまっている感じがして、その小さなアトリエに馴染まないような気がしたそうだ。
うーんと悩んで返事を保留しているところへ、私が登場したのだ。
学校で基礎は習っているので、ズブの素人ではない、けれども職歴はないのでスレていない、販売をしていたので、製作現場からなかなか想像がしにくい販売の現場を知っている、絵が描ける?デザインもできるか?というわけで、なんと採用されたのだった。

ガラス細工の社長さんには、えー、これから職人さんに紹介しようと思ったのに、と言われた。けれども、彫金の学校を出たことも、元々その仕事を探していたことも知っていたので、あまりにもドンピシャ過ぎて、諦めて下さった。


こうして、職人見習いがスタートするのであった。お給料は8万円。けれども夢が叶ったのだ。お金なんか後からついてくるさ。
21歳の秋になっていた。


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