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マンション

2年間下宿で暮らし、いよいよ念願のマンションに越すことにした。


専門学校に通い始めた頃、初めて天王寺に降り立った時、懐かしさを感じた。
天王寺駅を降りて、線路を跨ぐように陸橋があり、西を臨むと右手に天王寺公園や美術館、天王寺動物園が見える。線路が夕陽に向かって伸びていて、左側にはビルが立ち並ぶ。
この景色に見覚えがあった。知っている気がした。
実際には、知らないはずなのだが。


専門学校は天王寺から一駅のところにあり、土地勘もあったので、そのあたりから探し始めた。天王寺に近ければ近いほど家賃の相場が高く、少しずつ南下していきながら探していた。
何故、その街に降り立ったのかは忘れてしまった。駅から一番近い不動産屋を訪ねたのだった。

ちなみに不動産屋は昔からやっている店構えのところを選ぶ。地元のおじいさんとかおばさんがいるところがよろしい。
カタカナ名のチェーン店みたいなところは避ける。その土地の者ではない若いサラリーマン風の営業は避けるべきである。
地元の人がやっていそうな小さな不動産屋に入るのは勇気がいるが、女の一人暮らしである、地元の情報がより多く欲しい。なので、地元のことは地元の人に聞け!なのである。


そこはおばちゃんとおばあさんの間ぐらいの、やり手ババア風なおばちゃんが一人でやっていた。家賃や広さなど条件を話していると、仕事はなにをしているのか?彼氏はいるのか?など、お見合いの世話焼き婆のようなことを次々と聞いてくる。
素直に答えていくと、まるで、よし合格だと言わんばかりに深く頷くのだ。

聞けば、1階2階が大家さん宅で、3階4階を貸し出しているこじんまりしたマンションがある。こじんまりしているだけに、店子は選びたいという大家さんの希望で、そのおばちゃんのメガネにあった者だけに紹介しているのだそうだ。

行ってみると、ワンフロア2件で、お部屋もこじんまりながら、2部屋あり、広いベランダがついていた。

一目で気に入ったのだが、家賃が予算より8千円高かった。
少し考えますと言って一旦帰った。

別のところで、予算に合った物件も見つけていたのだが、安いだけに、下宿の部屋にトイレとお風呂をつけたような、流し台はタイル貼りのレトロな所だった。
それはそれで、よいかしらとも思うし、でも、あのマンションもステキだし、いやいや毎月のことだから無理はしちゃダメだとか、グルグルしだして決められなくなってしまった。


いつもは30以上は信用しないのだが、よし、こんな時はオトナに相談しよう、そう思って見渡したところ、T氏に白羽の矢を当てたのである。
一晩グルグル悩んだのが嘘のような答えが返ってきた。
差額分を給料を上げてあげるから、いい方に住みなさいと言われたのだ。
はえ?そ、そんなつもりで相談したんじゃないんだけども、、、と戸惑ったのだか、T氏はあっさりと言い捨てて、どこかへ行ってしまった。

こうして、いかにも一端の社会人らしいマンション生活に突入することができたのだった。


隣は、お花の教室に使っているとのことで、住んでいる人はいなかった。
すぐ上の部屋は、私の部屋のある東面が斜め天井になっており、上に行くほど狭まり、ワンルームしかなかった。見たことはないのだが、かなりコンパクトらしく、未入居だった。
その隣の部屋は広めの2DKで、南向きのベランダがあり、一番よい部屋に思えた。トモさんという、当時で30歳ぐらいの社会人のお姉さんが住んでいた。テキスタイルパタンナーをしていて、明るくでざっくばらんな人柄だった。すぐに仲良くなり、週末時々一緒に遊ぶようになった。


マンションの斜向かいに、昔ながらの連棟長屋があった。ヤンキー風の姉弟、ちょっとヤクザな風体のお父さん、働き者で優しそうなお母さんの家族と犬が住んでいた。

どうもマンション建設から目にしていたので、どんな人が住むのが興味があったらしく、こちらも顔を見れば挨拶するので、なんとなく顔見知りになったのだ。

ある時、お兄ちゃんがバイクに乗ろうとして、エンジンがかからなくて苦戦していた。
2ストロークのバイクだったので、押しがけしたら〜とベランダから声をかけると、なんだそれ?という顔をする。
降りて行って説明して、押すのを手伝うと、飲み込みが早くあっという間にかかった。
まだ二十歳前のにいちゃんで、バイク仲間にも教えてあげたそうで、以来、顔を見ればバイクの話をするようになった。

お父さんは、昼間から自転車でウロウロしているのによく遭遇する。仕事をしているようには見えない。機嫌良くいつも鼻唄を歌っていた。ある時出会い頭でバッタリ会った私に、ウキウキした顔で「おっちゃんなーもうすぐシーデー出すんやで〜、歌手デビューやで〜」と言うだけ言って、またフラフラと自転車でどこかへ行ってしまった。ご機嫌でなによりである。

黒っぽい犬がいて、名前は忘れてしまった。一見やさぐれた顔つきをしていたが、結構かわいがられていた。

ところがコヤツが大変よく鳴くのである。
おばちゃんは、うるさくてごめんねぇというが、ウチとしては一人暮らしなので、知らない人に必ず吠えてくれるのは防犯上、大変有り難いのである。

知らない人、とは言っても最初の頃は私もドアの影から突然吠えられてビックリしたことがあった。ところがそれは犬の存在を忘れてボーっとしている時で、姿が見えなくてもドアの影にいるな〜と思って近づくと吠えないのだ。

ベランダから観察していると、どうやら彼は、吠えて、人があービックリした!!と驚くのを楽しんでいるようなのである。
それを知ってから、彼と目が合うと、なんだコイツはやりにくいぜという顔で、彼から目をそらすのだった。


ある時、上の部屋に人が入ったようで、物音がするようになった。
ところが、これが深夜で異常にうるさいのだ。プロレスでもしているのかと思うほどである。

トモさんに相談したが、彼女はお酒を飲む人なので、飲んで寝てしまうとわからないという。

どうしたものかと思っていたある深夜、異常な物音で目が覚めた。
上の階ではなく、ウチの玄関のすぐ向こうから、ガリガリという音がする。何事かと様子を伺うと、フーッフーッと荒い息音が聞こえ、玄関ドアをガリガリと言わせているのだ。イノシシのようなケモノが、扉の向こうにいるのかと思った。いやいや、こんな都会で、しかもマンションの3階でありえんでしょう、冷静に考えればそうなのだが、唯一の逃げ道である玄関でのわけのわからない気配に、流石の私も震え上がってしまったのだ。
しばらくして、気配が消えた。


翌日トモさんが来て言うには、その部屋の住人は、近所の自分の行きつけの居酒屋のマスターなのだと。今朝偶然出会って、知ったのだと言う。
なんでもお客さんに付き合って飲むので、深夜自宅に帰れなくなることが多く、店の近くに部屋を借りたのだと言う。酔って帰れなくなった時に来るので、深夜にバタバタと物音がしていたのだ。
さらに前夜は、酔っ払って3階と4階を間違えて、自分の部屋のだと思って鍵を開けようとしたが、開かない(ガリガリはこの音)、しばらく格闘して間違いに気づいて上に上がっていったのだと言う。

トモさんが、迷惑かけちゃダメだよ!と注意してくれ、店にも連れて行ってくれた。
マスターは平謝りで、それから店で使いきれなかった高級食材が、玄関のドアに時折ぶら下がるようになった。

その後も相変わらず酔って深夜に帰ってきたが、知っている人だと思うと、不思議と気にならなくなるものである。ああ、今日も酔っ払ってるわーと思う程度なのだ。

私にとってもいい勉強になった。

子供ができて、何かとうるさくするものだが、隣近所の人にはしつこいぐらい挨拶と、言われなくても、うるさくしてスミマセンと先に謝っている。
この時の経験が役立っているのだ。


そこには、5年ほど住んでいただろうか。
とある事件をキッカケに、私のまわりの環境はグルリと変わり、引っ越すことになってしまった。


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