見出し画像

アルバイト番外編 後編

土建屋さんチームはまだ20代の若い現場監督率いる7〜8人の作業員で、皆それらしくニッカボッカを履き鳶職のようなスタイルだった。プレハブの小さな作業小屋があり、休憩も別で彼らは彼らのペースで作業をしていた。実際重機が入ったりベルトコンベアで土を運び出す作業中はシロウトがウロウロしていると大変危険なので、その間アルバイト組は室内で土器の整理などをしているのである。

その中にミッちゃんと皆から呼ばれるにーちゃんがいた。32歳独身だという。現場では中堅で、甲高い声で指示を飛ばしたりしていた。痩せ型ながら引き締まった肉体で、日に焼けた鞣し革のような肌をしていた。なぜ知っているのか?それは彼は常にその肉体を見せつけるかのように、上半身は裸の上にチョッキのようなものを羽織っているのみ、時には裸だったからである。

どこの現場でもそうなのだが、男性社会なのである。おばちゃんはたまにいても、若い女性など、たとえ30代であっても、まずいない。ヨリコねーちゃんはその性格はオトコそのものだが、見た目は小柄ながらボンキュッボンでなかなかのベッピンさんである。そこへ中の下とはいえ当時は若かった女子が加わり(ええ、私のことです)現場は色めき立っていたらしいのである。

ある時、ベルトコンベアでの作業のため、私たちは学校から借りている教室で内勤作業をしていた。
掘り下げられた校庭の方から、指示を出すミッちゃんの甲高い声とベルトコンベアのゴウンゴウンという音が聞こえてきていた。

内勤作業は地味な仕事ばかりである。
出土品(土器など)はグリッドごとにカゴに集められ、それらを丁寧に洗い、乾かして、割り当てられた番号を記入していくのである。土器はほとんどが破片である。ひとつひとつ細い面相筆でできるだけ小さく目立たないところに記入していくのだ。静かに時間が流れ、ふと気がつくとベルトコンベアの音もミッちゃんの声も止んでいた。
翌日から3日ほどミッちゃんは現場にいなかった。

炎天下上半身裸でいたためか、泡を吹いて倒れたのだそうだ。彼の名誉のためか救急車は呼ばずに、監督さんが車で病院に運んだらしいのだ。復帰してきたミッちゃんの甲高い掛け声は以降すっかりおとなしいものになってしまったのだった。


アルバイトチームはベテランのおばちゃんが2人と、男の子が2人、そして私だった。

おばちゃんは現場にはとても慣れていて、足を踏み入れてはいけない場所をヒョイヒョイよけながら、手早く作業を進めていくのだ。頼もしいのだが何しろ主婦なので午後の早い時間には引き上げてしまうのである。

男の子の1人は、当時で20代の若い子だった。割のいい短期のバイトで稼ぐだけ稼いで、ある程度お金が貯まるとシルクロードを旅して回るのである。バックパッカーというやつである。
発掘現場の仕事は期間限定だし土方ほどにはキツくなく都合がいいので度々しているのだそうだ。
次の目的地が中近東だということで、ウォークマン(!そんな時代だったのよ)で語学学習をしながら土器に番号を書いたりしていた。ヨリコネーちゃんの方針なのか何なのか、内勤の時はイヤホンを使えば音楽など聞きながら作業してもオッケーだった。最初の頃は音楽でも聞いているのかなと気にしていなかったのだが、時々「ギュレギュレ?」とか意味不明な言葉を発するのだ。何なんだこいつは?と思って聞くと、何でも同系統の言語を4つぐらいまとめて覚えているのだという。文法や法則が似ている言語は一緒に覚えてしまった方が楽なのだそうだ。
沢木耕太郎の影響?と聞くとそうだという。深夜特急の話で盛り上がったりした。

もう1人は男の子というにはやや無理がある、当時の私と同じか一つ二つ年上だっただろうか。
彼も発掘現場の仕事は、私同様初めてだった。
実は募集枠1人に対して彼を採用したので、本来私は必要なかったのである。しかし彼のおかげで、私はアルバイトの口を得てホームレスにならずに済んだとも言えるのだ。

彼の名前は忘れてしまった。発掘現場と同じ市内の農家の長男坊だったと思う。30歳ぐらいだったろうか。ひどいアトピーだった。当時はまだアトピーに関する情報も出回っておらず、おそらく大変な思いをしていたのだろうと想像する。
家の農業を継ぐのか継がないのか、なにか本人にもモヤモヤするものがあったのか、家の手伝い以外に何かできることがあるんじゃないかと、募集に応募したのだと言う。
ある意味お父さんお母さんおじいちゃんおばあちゃんに、ものすごく可愛がられて大事にされてきたのだろう。が、なんといったらよいのだろう。狭い世界で甘やかされすぎちゃったのだろうか、客観的に自分の立ち位置を見るという感覚が、あまりにもなかったのである。

まず、指示が一度では通らない。勝手な判断で動く。周りが見えていないので、入っちゃいけないエリアに入ってしまう。
私が来るまでに、散々法面を崩したり(法面も地層の変化などをちゃんと測量してスケッチするのである)、写真を撮るために整地したところに足跡つけたり、重機とニアミスしたりしたらしいのだ。
販売や製造の仕事ではないので、成果主義では全くなく、ある意味このような仕事を選んだのは彼にとって正解だったのだが、あまりにも不器用だった。
現場に置いておくには危険なので、ヨリコねーちゃんは彼の仕事を、彼の居場所を探していた。そこへ私が登場したので、現場仕事は私へ振り、彼は自分の目の届く範囲で無難な仕事を振るようになった。
ちょうど、というか何というか、あまりの暑さでアトピーが悪化したこともあり、内勤作業を主に行うようにしたのだった。
ところが彼にしたら、しごくつまらないのだ。ヨリコねーちゃんにも不貞腐れたような返事をするようになったのだ。
30オトコがそれってどうよ?と私なら思うのだが、ヨリコねーちゃんは根気強く彼の居場所を探していた。

ある時、ワープロの入力を教えてもらってしていたら、じっとりと彼の目線を感じた。それを見ていたヨリコねーちゃんは、気がついた。彼の居場所を見つけたかもしれないと。

その場には私はいなかったと思う。後で聞いた話だ。ヨリコねーちゃんは彼に「もしかしてワープロとか、出来る?」と聞いたのだそうだ。するとものすごく嬉しそうに「ハイッ!やったことあります!できます!」と答えたのだと。
翌日、ヨリコねーちゃんに呼ばれて、
悪いけど、ワープロの仕事あの子に渡してやってくれる?何かひとつでも自信を持って出来ることがあれば、それをやってもらったほうが彼のためにも私のためにもなる。もうさ、ずーっと見張ってるのも、疲れたわー(乾いた笑)ごめんね、テンプレートとか教えてあげて?
と。
そっか、できるんだね?と教えましたともさ。テンプレートは間違って削除されてはいけないので、さらにコピーを作って、さぁさぁ入力するだけですよという状態にして、ワープロの前の席をかれに譲った。
ヨリコねーちゃんも少し離れたところから見るとはなしに見ていた。
彼は自信たっぷりに人差し指を立てると、その指でキーボードを押した。カチャリ、、、、、カチャリ、、、、、
できる、、、出来てるよ〜、、、指一本でな、ひとつ押しては画面を確認、ウンウン確認大事〜
けれどそれは、、、いつ終わるのかしら?
ヨリコねーちゃんは頭を抱えていた。
そして彼が帰ったあと、ものすごいスピードでキーボードを叩くヨリコねーちゃんなのであった。


仕事はとにかく楽しかった。測量の仕方を教えてもらったり、その現場で出土したものからどういう場所だったかを聞いたり、地層の見分け方も教えてもらってスケッチを描いたりした。
勉強をして、アルバイトとしてではなく調査員としてやってみないか、と言われた。

ところが、私は金属加工職人の道を諦めてはいなくて、現場に通いつつもハローワークへ足を運んだり、求人誌を熱心にみていたのだ。
夏の終わる頃、求人誌に小さく、仏具をつくる工場で働きませんか?という記事を見つけた。これだ!!と思って連絡をとり、面接まで漕ぎ着けたのだ。
そのことをヨリコねーちゃんに伝えると、そっかー仕事見つかりそうで良かったやん、と言ってくれた。

現場は終了し、何事もなかったかのように埋め戻され、記録的な猛暑も幕を落としたように過ぎ去っていた。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?