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おそらく、これなあにあれはどうして?なぜなぜ期だったのだろう、父親に聞いた。脛にある十円玉大のケロイドを見て、これは何? これはね、昔お父さんが鹿だった頃に猟師さんに撃たれた痕、と。

喉仏を見てこれは何? これはね、昔おとうさんが猿だった頃、栗をまるごと飲み込んでしまったもの、と。

たわいのない嘘だが、私は結構高学年になるまで信じていたのだった。

輪廻転生やスピリチュアルなことや話に、なぜか子供の頃から抵抗感がなかったので、素直に、信じるというより、あ、そうなんだという感じで受け入れていたのである。



歳を経て、私はすでに家を出て、やりたい仕事につき、自立生活を謳歌していた。しかし、母親からの干渉はやまず、楽しいはずの生活に影を落としていた。

今となってはわかるのである。

ちょうど母は更年期にあたり、兄も就職で家を離れ、私も逃げるように家を出たかと思うと、水を得た魚の様にやりたいことをして好きな様に過ごしている。母の実家は商売をしていて、店を手伝う者がいなくなると困るからという理由で、当時の結婚適齢期を過ぎても、家に繋ぎ置かれたのである。母と大ゲンカをした時に、あんたばっかり好きなことして見てると腹が立つ!とポロリと本音をこぼしたことがある。私はどうなるの?みんなもっと私のこと構ってよ!わかってよ!のかまってちゃん状態で重くて堪らん時期であった。

当時私がいた職場は、アトリエ兼住居(オーナーさんの)で、猫がたくさん居た。飼っていたというより、外にも中にも猫がいて、猫たちに合わせたのんびりした時間と空間があった。

母の干渉や今までの仕打ち(ヒステリックになると幼少の頃は叩かれたりしたし、持ち物を捨てられたり衝動的に当たられていた)をオーナーの奥さんに、よく話を聞いてもらっていた。すると奥さんは、猫を飼えばいいのに、と言った。

確かにその御宅では、気性の激しいオーナー、継母継子の関係である奥さんと思春期の娘さん、なかなか複雑な人間関係であったが、猫を飼うようになってから、いい感じの潤滑剤になって穏やかな空気が流れるようになったのだそう。

そこには保護猫が持ち込まれることが多く、折良く(後になれば折悪くだったが)サバトラの子猫が貰い手を探していた。

我が家で飼ったことはなかったが、母は猫好きを自認していて、家に寄り付くノラ猫に餌をやったりしていた。私自身もその当時は飼ったことがなかったが、その職場の猫たちが本当にのびのびと自然に暮らしていたので、猫がいる生活の良い面しか見れていなかったのである。あとから思えばであるが、見解が甘かった、、、わたしにも責任の一端があるのである。

両親に猫を飼わないかという提案をした。父親は空気だったように思う。当時の母を持て余していたのだろう。母親はどうだったのだろう?その言葉や表情や何もかも記憶にはない。ただ結果としてその仔は実家へ貰われていったのである。

子猫は女の子だった。なぜか母よりも父に懐いて、父の後ばかりを追っていたらしい。

避妊手術のことや、ワクチンのことなどは最初の頃に伝えたような気がする。わからないことがあれば、いつでも相談してとも伝えたが、ヤンチャで困るていうこと以外にはあまり相談して的なことは聞かなかった。ワクチンで病院へは行ったと聞いたので、専門家から直接聞いたりしているのかなと思っていた。

子猫がもらわれていってから1年も経っていなかったと思う。寒い時期だった。突然母親から泣きながら電話があった。猫が家出をして帰ってこない。こんな寒い時期に、もうダメだろうと。

猫は迷子になっても直ぐには遠くへ行かない、すぐにビラとかまいて、探そう、そっちへ行くよと言っても、あのこはもういないと泣くのみだった。


母が亡くなったあとしばらくして、父から真相を聞いた。ヤンチャで畳や家具を傷つけること、鳴き声が近所迷惑だから(実際に苦情を受けたわけではない)、飼いきれないからと、なんとかかりつけの獣医さんに頼んで安楽死させたのだという。

言葉を失った。

なぜ一言でも相談してくれなかったの?

飼いきれないからと、こちらに戻してくれればなんとでもやりようがあったのに、、、


そんなにムスメに弱みを見せたくなかったのか、ムスメに何か言われるのが嫌だったのか、自分の両親が小さな命を犠牲にする方を、そんな程度のことで選んでしまったことが本当にショックだった。

そして何より、嘘をつかれたことが悲しくてしょうがなかった。

子猫にも、申し訳なくて申し訳なくて、ごめんね。母からの干渉から逃れたいが為に、生け贄に差し出したも同然のことをしたんだ。


子猫が死んで、いや、殺されてから、真相を聞くまで随分間があったので、聞いてその場で絶句して、抗議しようにも母はおらず、たいして悪びれもせず真相を漏らした父に(どうせなら墓場まで持って行けよ!) 抗議する気も失せ、そこからどうやって気持ちの整理をつけたのか覚えていない。


つい先日、90歳になった父に、あの時嘘ついたんだよね、と言ってみた。傷つけまいとついた嘘かも知れないけれど、それって私のこと信用してないんだよね?そういう風に受け取ったよ?と。

神妙な顔でしばらく黙って聞いていたが、話が終わったと(父から見て)判断した頃合に、知人に90歳の誕生日を祝ってもらった話をしだした。

私は小さな声ではあるが、正直に、ごめん、興味ないわ、と呟いた。


こういう人なんだなぁ。こういう人といたから、母はいつもかまってちゃんだったんだなぁ。一番近くの人とも向き合えない、それって自分とも向き合ってなかったからなんだろうな。

もう今更責める気もない。そういう人生だったのだろう。それでも泣いたり笑ったり、生きたんだ。私はわたし。じゃあねと言って、父のもとを離れた。

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