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【小説】不確かな何処かに向かひて 〈「六十度」#4〉 [本文無料]

クレオールコーヒースタンドの小説サークル「六十度」四号に掲載した作品です。

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 川べりの道は延々と続いていた。僕はただ砂利の音を頼りに歩き続けていた。空は曇っていてジメジメとした体感が纏わり付いていた。川の流れに沿って歩いているのか、逆らっているのか、僕が歩いている道からは川自体は見えることなく、ただ時折水流の音が聞こえてくるから川べりなのだろうと何となく思っていた。

 どれ程歩いたか時間の感覚はもはやなかった。歩き始めてそう経っていないのかも。曇天の下なので太陽の位置も分からないが、まだ夕暮れの空気にはなっていないからもしかしたらまだ午前中なのかもしれない。時計は所持していないし、スマホの電源は立ち上がらなかった。

 ずっと頭痛がしていた。トクットクッと血流が血管を押すような反復が続いている。あまり覚えていないのだが、酒を飲みすぎたのか、それとも風邪のせいか、そんなところだろう。ただ頭痛があるにも関わらず足取りは軽かった。お腹も空かないし、疲れも感じない。何処までも歩いていける、そんな気がした。

 景色の変化は突如訪れた。視界のはるか遠くに橋梁が渡っていた。橋には欄干はなく鉄道橋だろうと思った。僕は少しワクワクしていた。歩幅が少し広くなる。砂利は軽快な音を立てていた。

 近づくにつれてそれは廃線跡だと気づいた。橋は茶色く錆びついていて長年使用していない様子だった。 僕は少し落胆した。しかし鉄橋が見えた事で、今の状況を打破する手がかりがあるだろうと思い小走りに橋の下へ向かった。そこで歩くのを止め橋を見上げた。こんな立派な鉄道橋は初めて見た。人間の技術でこのような建造物が作れるものだろうか。かつては機関車が轟音を立てて、汽笛を鳴らし、蒸気を吐き出しながら、重い鉄の車体はゴウゴウと鉄橋を渡ったに違いない。そんな想像を巡らせるだけで楽しい気分になった。

 すると突然本当の汽笛が耳をついた。
 驚いた僕は急いで橋をくぐり抜けた。鉄橋の影から抜けたところで振り返り鉄橋に目を向けると、黒光りするまだ真新しい機関車が黒煙を立ち上らせなているではないか。D51でもC57でもない初めて見る型だった。異国のものにも見えた。汽車は客車を引いていた。車窓には所々物影があった。青白い影はもの寂しそうに外を眺めていた。写真を撮ろうとスマホを取り出したがやはり電源は入らなかった。
 汽車が鉄橋を通り抜けカーブを曲がって姿を消すと、その場はまた静寂に包まれた。

 鉄橋を尻目に歩き始めた僕はふと気付いた。それまでと違って周りにポツポツと人影があった。気がつかなかったが鉄橋の近くに駅でもあったのだろうか。ローカル線の駅舎なら見てみたかった。それにしてもみんな何かの巡礼のような、祈りを捧げるような感じで歩いていた。
 しばらく歩いていると巡礼の人の間から小さな女の子が僕に向かって歩いてきた。どこかで見たような青いワンピースを着た六歳くらいの女の子。
「お待ちしていました」
 女の子は僕の手を握ってきた。冷たい手をしていた。その大人びた話口調の彼女に引かれるまま土手を川縁の道から土手を登って行った。土手を登りきると黄色と緑のツートンカラーの光景が広がった。緑の方は畑で黄色の方はどうやら砂漠のようだ。
「これジャガイモ畑なんです。私はサツマイモが好きだったのに」
 彼女は土を掘ってジャガイモを引き抜いた。小さなジャガイモだった。
「大きく育てなかったのね」
 そういうと彼女は土の上にジャガイモを放って砂漠の方へ向かって行った。
「でも花は咲いたかもしれないよ」
 しばしの沈黙の後「再会はもう少し遅くなるかと思っていました」と彼女はポツリと僕を窘めるような口調でそう言った。僕はそんな事に構わず「サツマイモが好きだとは、あいつに似たんだね」と軽口で返したら、彼女は一瞬戸惑ってから小さく微笑んだ。好きな笑顔だった。
「ここからはラクダに乗っていきます」
 一頭のラクダが砂漠と畑の境のところにいた。彼女は慣れた様子で飛び乗ると、僕に手を伸ばしながら口が何かを話していたようだった。僕には聞き取れなかったが僕の事を呼んだのだと思う。
 彼女はラクダのスイッチを入れた。ラクダは歩き始めた。間隔の広い砂の音を立てながら。
 急に眠たくなった。瞼はゆっくり下りてきた。一瞬、意味ありげに強烈な映像が浮かんで消えた。頭を冷たいものが伝ってきた。ああ、そういう事か。全部わかった。
「…さん、見えますか。あの光が見えますか」
 朦朧とする中で聞いた最後の彼女の声だった。
 目を閉じていてもハッキリ見える、暗がりの向こうに生まれたての光が。あそこに行けば良いんだね。

 会いにきてくれてありがとう。導いてくれてありがとう。僕はもう大丈夫だからここで別れよう。君のスピードは僕より早い。僕に構わず先に行ってくれ。
 ふっと軽くなった体は魚になったようだった。見えない光を頼りに、僕は泳ぎ始めた。(了)

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