ハッテン場で求めるものとは

いやセックスでしょ、っていうのは置いといて


今は幸いにして恋人が出来たためハッテン場に行くことはなくなりましたが、少し前までは狂ったように通っていました。もはや寝床と言っていい。
土日は夕方から夜まで粘り、何も出来なければ臍を噛み、出来たら出来たで言語化できない虚しさを感じていました。夜を明かすことはさすがになかったですが、終電近くまで無意味に粘ったりして。

僕は体がいい感じの方がタイプです。いわゆるガチムチ・ガッチリ・マッチョという世のゲイのマジョリティーのど真ん中を好んでいます。
なので、必然相手に合わせ筋トレを頑張っていました。マッチョなのに普通体型が好きという希少種よりも、マッチョが好きなマッチョの方が圧倒的に多いという世の流れに反抗するプライドはゼロです。

筋トレが趣味です!と世間様にはいいつつ、実際は趣味=ハッテン場というクソ以下の存在でしたが、ハッテン場で何を満たしていたかというと……実際のところ性欲発散はその存在を知った最初の1,2年で、後はそれ以外のことでした。

僕はアプリで顔出しもしていない隠れゲイで、いわゆるゲイ活動自体が遅かったタイプなので、20代後半まで男性経験がありませんでした。そんな人間が発展場に出会ったらそりゃもう…なわけですが、そんな興奮が落ち着くと、次に求めるのは心を許せるつながりでした。

ハッテン場でそんなもん求めるなや! という当然の突っ込みはあるでしょうか、じゃあどうすれば……という。ゲイバーは敷居が高く(いまだに数回しか行ったことがないです)、顔出ししていないアプリでは出会っても2,3回で終わりという具合で。

しかしハッテン場は相手の顔が分かる、体も分かる、相手と致せば少なくとも相手も自分に多少の興味があることが分かるので、その先に進めるんじゃないかという夢想をしておりました。

まあ、実際そんな甘いものでもなく。発展場ピロートークで仲良くなり連絡先を交換しても、その後一回会うかどうか。その後継続的に会ったとしても、セフレ止まりなわけです。

そんな絶望感の中、偶然恋人と呼べる人と出会えたので卒業できましたが、もし会わなければ、今もまだハッテン場の暗闇の中を亡霊のように徘徊していたのでしょう。

ハッテン場は孤独な人間にとって都合のいい場所かもしれません。一度でも手を出されれば承認欲求を満たせますし、体を重ねれば孤独感をちょっと潤すことが出来ます。あとここにいる連中は所詮自分と同じだな(笑) と無意味に自分を慰めることができます。

ただあくまでもちょっと……なので、すぐにまた乾いてササクレだった心を慰めるがごとく、また赴くわけです。

ヤリたい盛りでとにかく性欲満たしたい!という剛の者にとってはよき場所ですが、そうでない人間にとっては麻薬のような危険な場所、、、というといいすぎでしょうか。

今自分が住んでいる場所はゲイのメッカにほど近いので、かつて通っていたハッテン場の近くを今も通りがかることがあります。
中で何が行われているのか、不思議と気にはなりません。ただゲイの友達欲しいな……と思いつつ通り過ぎています。

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