休日とはいうが休日とはなんなのか

 業種や勤務形態によっては一概にそうとは言い切れないのだけれども、一般的には土曜と日曜を休日と呼ぶ。休日出勤を強いられたり休日なのに仕事の作業をさせられたりするせいで実感は薄いが、今日は休日だ。

 休日という言葉には二つの漢字が使われている。休むの休に日時の日なのはいうまでもないだろう。そんなものは文面であれば一目瞭然だ。恐らくここまで目を通した者はみな、何を今更と怪訝な顔を浮かべているはずだ。

 日という漢字は分解しようにも難しく、それらしく語ろうにもこじつけが難しい。口と一が合わさっていると言っても意味が分からず、片仮名のトとコが組み合わさっているとでも言おうものなら狂人扱いを免れない。

 しかし休は違う。人偏と木の二文字から成り立っている。人偏とはもちろん人のことを指し、休という漢字は人と木があって初めて完成するのである。林でも森でもなく木。どうしてそうなってしまったのだろうか。

 シンプルに考えれば『人が木のそばでやすんでいる』という意味がそのまま『休』になったのだと思いつきそうなものだが、中にはそれは違うぞと、異なる説を提唱している方々も居るようだ。

 ただ他の説はどうもしっくりこないものばかりで、意味合いも木のそばで『休息』ではなく、木のそばで『停止』していることから『休』となり、休日は休む日ではなく停止する日なのだともいう。ううむ、違和感。

 もう一つ気になったものとしては、木そのものというよりは木のイメージが大事という内容があった。動きを止めて、木のように英気を養うというものである。こちらも『停止』という意味があり、解釈もまあ理解できる。

 残念ながら他の有力そうな説は見当たらず、結局休日とは何なのか、何故木でなければならなかったのかという疑問は解決しなかった。それどころか余計に疑問を深めるばかりで、いつの間にか貴重な休日も失われている。

 ちなみに語源や成り立ちを調べても人偏に森の漢字は見つけられなかったが、人偏に林の漢字はあるらしい。そのまま㑣と書き、これで読みは『りん』ではなく『らん』だという。もちろん日本ではほぼ使われない。

「こんなの日本人にはわからん」と親父ギャグを書き残しておきたい気持ちはある。しかし書いたが最後。親父ギャグでわざと滑るというボケを解することもなく、鬼の首を取ったような勢いと圧力で突っ込まれてしまうのだ。

 馬鹿も休み休み言え、と。

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