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古典的ホジキンリンパ腫ステージ3

7月29日に沖縄徳洲会千葉徳洲会病院で、妻は首のリンパ節から細胞を摂取するための手術を受け、採取された細胞は生検へと回された。
済生会習志野病院では、首のリンパ節を手術できる医師がいないとの事で、徳洲会を紹介されたのだった。
速報が出るという話だったのが、一週間でも出ず、二週間でも出ず…と延び延びになり、1か月が過ぎた。

1か月以上経っても連絡がないので、痺れを切らして、済生会に電話したところ結果が出ているというので、2020年9月10日に病院へと赴いた。
そして、担当の血液内科の医師から告げられたのが、この病名だった。

1か月もの間を検査結果を待ち、その間、妻の腰やお尻がかぶれてしまい、発熱があったり、だるくて動けなくなっていた。
7月上旬に、東京ベイ先端医療・幕張クリニックでPET検査を行い、その結果、首のリンパ節と、お腹全体が光っていたので、覚悟はしていた。

6月に腰の痛みを訴えて検査を始めてから、3か月。
やっと、病名が確定。
これで治療が始められる。

妻は、涙を流して、医師の説明を聞いていた。
自分は泣いてる場合ではなかった。
こういう時こそ、強い意志を持って、淡々粛々と治療を進める原動力になって支えなくてはいけない。
それが健康である側の人間の務めだと考えた。

実は、2019年の時点で、妻の首のリンパ節のあたりにしこりがあるので、済生会習志野病院で診てもらって、経過観察という判断になった。
その際にPET検査もしたが、その当時は、特に異常は無かった。
それならば、この一年でここまで広がったということなのか?

一年で広がったのであれば、3か月は、その4分の1に相当するわけで、病名確定まで、そんな長い時間が掛かった事に腹が立った。
しかし、怒ったところで何が変わるというのだろう。
過ぎた事に執着するより、今からできることを着実に進める。
そう思うより他無かった。

古典的ホジキンリンパ腫は、日本人が罹患するリンパ腫の中に占める割合としては、10%に過ぎないそうだ。
だから、ほぼ情報がない。
闘病日記とか見当たらない。

それで、闘病日記を書いて公開すれば、他の古典的ホジキンリンパ腫に罹患された方に役立つのではないかと思い、妻と話して書くことにした。

お役に立てば幸いです。

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