9年前の自分の1日
2011年3月11日金曜日 14時46分
忘れもしません。あの日のことは。
今でも鮮明に明確に覚えてる。
当時 僕は高校2年生。3学期ももう終わろかとしてる時。学校は学年末テスト終わって、テスト返し真っ只中の時だった。学校の授業も昼で終わり。
9年前のその日もいつも通り学校に出向き、現代文·保体·政経·数字の授業。保体と政経のテストが返ってきた。得意の政経がクラストップの点数で嬉しかったのよく覚えてる。自慢気になってたっけ。
4限の授業終えて、放課後 図書室に寄って下校。図書室行くのは図書委員でもあったし、毎日の日課でもあったから。
9年前のこの日は、部活もないし、友達と遊ぶ約束もなかったし、何も予定がなかったから真っ直ぐお家に帰宅。13時半過ぎだった記憶がある。
家では、母がお昼御飯を作ってくれた。焼きそばだったはず。母もその日は仕事が休みで家にいた。
制服から部屋着に着替えてお昼を食べる。リビングには、僕と母2人だけ。
食べ終わってからは、テレビゲーム。この時で、時計の針は、14時回ってたかな。
この当時の僕は、野球にドまはりしていたこともあって、プロ野球スピリッツというゲームを毎日のようにやってた。当然この日もいつも通り始めた。
そして、このゲームをやっている最中だった。
14時46分が訪れます。
最初は、ん?ってなって、何か変な感覚を感じる。何かおかしい。横に揺れてる?地震?いやでも違うか。気のせいか?分からなかった。地震って最初にいきなりドンとくる感じの経験が多かったから、本当に最初は地震とは思わず、何なんやこの感じは?っていう印象だったし、初めての経験だった。ゆっくり ホントゆっくり のらりくらり のらりくらり、していた。
「お母さん。地震?何か揺れてない?気のせい?」
って同じリビングにいたお母さんに聞いたけど、「えー、うそー」って言い全く気付いていない様子。
直後に少し大きめの横揺れを感じて、「ほら、やっぱ揺れてとるやん」
咄嗟に僕はゲームを中断して、テレビに切り替えた。ミヤネ屋の放送を見る。ちょうど東京のスタジオからニュース伝えてた後で、東京のスタジオと中継結んでいたとき。日テレのアナウンサーさんと宮根さんが会話を交わしていた。宮根さんが大阪も揺れてますって言ってた記憶がある。東京の方が揺れは酷いというのもこの時知った。
そして地震速報の文字。次の瞬間 目を大きく見開いた。「震度7 宮城県」ゾクッとした。えっ うそやんってなったのも事実。さらに間もなくして、今度は津波速報の文字。大津波警報 って出て、「いや待って。これからどうなるんや?」凄く怖くなった。
もうそこからは、テレビに釘付け。無我夢中で見ていた。お願いだから死者だけは出ないくれ。高校生ながらそう願いながら見ていた。
地震発生時の映像。津波が押し寄せる映像。怖かったけど、背けることは出来なかった。ただじっと見つめていた。
入ってくる情報も悪い情報ばかり。
本当にこの日ばかりは、無気力になって、何もする気になれなかった。夜寝るのも怖かったなー。
夜が明けて朝起きてニュースみたら、話題が原発のことになってた。被害の状況も深刻になってた。
まさか、こんなことになってしまうなんて、思いもよらずだけど、自分が住んでいる所もいつか南海トラフ巨大地震に巻き込まれる。決して他人事ではない。
この震災から学ぶべき事が沢山ある。
自然の脅威に負けたくない。だからこそ しっかり学んで、来る大地震に備えだけは万全にしたいと思う。
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?