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自由な三つ編み


4歳の子どもが三つ編みに凝っている。

ビニールテープを使って三つ編みにする遊びを保育園の先生が教えてくれて、クラスのみんなで作っているらしい。


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大量に三つ編みヒモを作っては、大量に家に持って帰ってくる。

それで今日、シャワーを浴びているときに、子どもがシャワーに向かって両手で指揮者のような真似をしているので、何をしているか聞いたら、照れながら

「三つ編みできなかったー」と返ってきたのでビックリした。

シャワーの細かい水の線で三つ編みを編もうとしていたのだ。

面白い発想だなと思った。


子どもの発想はどこまでも自由で、迷いがない。

大人はいつ、その発想を失ってしまうのだろうと考えた。

一つわかるのは、失うわけではなく、自分が素晴らしい!と思う発想は突然閃くことはないということだ。

また、自分の発想をアウトプットすることを恐れないということだ。

(冒頭の子どもの発想は面白かったけれど、実際そういうものは1割もなくて、残りの9割は親の私でも大体いつも「あーウンウンそうだね」と聞き流している(笑)。)


それは仕事や遊びでもこのnoteでもそうだ。

突然良いもの、クオリティの高いもの、センスの良いものを生み出せることは余程の天才じゃないとできないだろう。沢山のトライ&エラーを重ねて、打率を上げていく。

でも、大人になればなるほど、恥をかきたくない・自分を良く見せたい気持ちの方が勝って、自分のアウトプットにバイアスをかけてしまう。もしくは、アウトプット自体をしなくなってしまう。

それが自由な発想を妨げる最大のバリアになっているのかもしれない。


例えば自分のnote。自分の文章を見返すと拙いし、読むのも恥ずかしいけれど、それを躊躇していると多分一年経っても一記事もあげられないだろう。そして、突然「ああ、このことnoteに書きたいな」と思っても、書くこと自体が習慣化されてないとなかなか難しいことがここ一年くらいでわかった。

細々と続けているランニングも、2週間あくと身体が思うように動かないが、2、3日くらいの間隔だと、随分楽だ。

子どもも、毎日アホだなと思うことや、時々感心することを次々とアウトプットしながら、思考のトレーニングを無意識に続けて成長していっているのかもしれない。

私も4歳児のように、自由なアウトプットのトレーニングを重ねていく。






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