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現代の価値観で過去を批判したり、肯定したり。

大学で歴史を教えている人が、この頃そういう学生が増えていてなんともモニョるとTwitterで呟いていました。

結論からいえば、我々は現代に生きている以上現代の価値観を通してしか、過去を見られません。これはもう大前提です。

だって大航海時代のイエズス会によるキリスト教の布教活動なんか、現代の価値観でめちゃめちゃ批判、断罪されているし、免罪符と聞けば笑うでしょう?

あくまでも日本国、大日本帝国がやったことを、神の目線で語り断罪するなということなんです。
概ね神風特攻隊の隊員を無駄死にというと怒る人たちだ。確かに英霊を先祖に持つ人たちから、そういう抗議が出ることはあるでしょう。
しかし神風特攻隊という、我が国にほんの数年しか存在しなかった、しかも帝國陸海軍の深い思慮も反省もなく行われた戦技戦術によって、歴史を見る目が歪められては、やはりいけないのです。

現代の価値観で過去を裁くなというのなら、宜しい、明治政府が江戸幕府にしたことはなんなのか?
古臭いものと断じて、限定貿易を鎖国と呼んだりしたのは、明治新政府が開国という新しさをもとめたゆえでしょう?

正直ね、神風特攻隊のご遺族で断罪される方は、ただでさえ辛い思いをしておられるのだから、あれは間違っていたといえば、現代の価値観でゆるされますよ。

問題は死人に口無しの人たち。

なにゆえ死者の代弁します?
霊能力お持ちなんですか?

それどころか、あの戦争は欧米列強からの植民地解放の戦いだったとかいうんですよ。
あのね、少しは近代史を復習しましょうよ。

1862年、つまり明治政府樹立より2年前のことだけど、リンカーン大統領が奴隷解放宣言をして、欧米列強はすべての奴隷を解放終わったんです。一応プランテーション(農園)は残りましたから、植民地ではありました。

だから日本が欧米列強の植民地になり、日本国民が奴隷になるなんてことはないんです。
勿論少数の人々は奴隷として売られてゆきましたよ。

でもそれは、1945年まで日本が日本国内でやっていた人身売買も、まったくそうなんですよ。

さて、その1862年ころの世界地図を眺めますと、世界の約半分が英国、続いてフランスにより植民地となっていた植民地経済は、限界を迎えていたのです。いくら収奪しても、買う人が少なければ儲かりません。
当時の日本や大韓帝国、清を併せれば四億人の大消費地です。
そんなところを植民地にしたら、大損です。
したがって幕末には植民地経済は終わりを告げ、新たに自由貿易時代に入ったのです。

そして1918年に発足した国際連盟では、植民地問題の公正な処置についても、解決していくべき課題として掲げられていたのです。
大日本帝国は、その国際連盟の常任理事国だったんですから、そこで強く訴えてゆけばよかったのです。
今の国連の常任理事国と同じです。立場はメチャメチャ強いんです。
イギリスは最後まで止まるよう説得してくれましたよ。
なのに日本は陸軍や内務省の高級官僚達の独断専行による、張作霖爆殺や満州事変を隠したかった。内閣や天皇が、彼らを制御出来ないのを隠したくて、もし国際連盟がリットン調査団の調査結果を採択するようなら、連盟を脱退すると宣言してしまったのです。

仮にも常任理事国です。リットン調査団の調査結果が関東軍だったとしても、知らぬ存ぜぬを決め込むことだって出来たはずなのです。

外務省の基本方針は、連盟に残るだったのに、松岡洋右全権大使に原稿なしの演説をさせた。
80分に及ぶ英語による演説は、東洋人がこんな見事な英語を話すのか、と感嘆はさせたけれども、この大事な大一番に、無原稿で、しかも滅多に全権大使に全権を持たせない大日本帝国が、なんと松岡に全権を委ねたのです。

演説を終えた後松岡は「失敗した…失敗した」と項垂れたそうです。

そして、国民の多くは松岡の演説を、大歓迎したのです。

それも宜なるかな、国内では張作霖爆殺は中国国民党の仕業であると喧伝され、関東軍一味であった石原莞爾が我々がやりましたと、昭和30年に告白するまで、騙されていたも同然なのですから。

お分かりですか?

歴史をただ肯定的に捉えるとどうなるか?
教科書に載っているのは、歴史のほんの表面でしかないのです。

そこから掘り下げるときに「昔の人のしたことだからね」というのなら、数々の暴動を当時の価値観とやらで肯定できますか?二・二六事件をどう扱いますか?
皇道派の起したクーデターは、もちろん手段は許されざるものでしたが、その主張に強く影響を与えた北一輝の考え方は、今の価値観でいえば当たり前の民主主義を求めていたに過ぎないのですよ。

だから、皆さんは批判的であることを恐れずに、歴史を眺めてください。部分部分で肯定的になったり否定的になったりするでしょうが、それもこれも全て人間がしたことだからなのです。

人間の考えることを、人間が理解するのは、犬や猫の思考をトレースすることよりも容易いんですよ。

だから、必ず理解はできます。
ただ同調するかどうかは別として。
それはいま、他人の考えと同意するか、批判するかってことと、なんら変わりはないでしょう?

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