【漫画考察記事】鬼滅の刃

なぜ炭治郎は錆兎たちの姿を見れたのか?

※こちらの記事は僕の現文章力の参考資料として作っています。一部文章として未熟な部分があると思います。内容記事の更新も随時行っていますので、ご了承ください。


今尚人気が右肩上がりの作品『鬼滅の刃』。この作品の魅力を語り尽くすには、筆舌に尽くしがたい。

いろいろ語ることができればと思い、もう一度アニメ鑑賞を行っていた。
そんな時ふと気づいたことがある。
山で修行していた炭治郎は、なぜ錆兎たちの姿を見ることができたのか?
鬼滅の刃は別に幽霊を扱ったストーリーでもなく、退治する相手もそれとは違う。
また炭治郎に霊力はないだろうし、そんな伏線は何もなかった。
にも関わらず、錆兎と真菰の姿を視認でき、話すことができたのか?

仮説:人は死後、人の心に魂が宿る!?
ここで『鬼滅の刃』で人が死んだ後、魂はどこに行くのか
人の心に宿ると仮説して、根拠を提示していきたい。

根拠①精神の核にいた小人たち
無限列車編で炭治郎の精神の核に小人が存在していた。劇場版ではその数が全部で五人分確認できる。
この人数は家族の人数と合致する。
つまり炭治郎の心の核にいたのは、死んでいった家族の魂だと考えられる。

根拠②錆兎と戦う場面が夢だった話
劇場版鬼滅の刃を観に行った人限定で配布される、鬼滅の刃零巻にて炭治郎の夢の話が書かれている。
大正コソコソ話
そこには「炭治郎は夢の中で鍛練している時や戦いの場面を見ている」そうです。
では今まで亡くなった人たちが彼の回想シーンや夢の中で出会えたのは、そのためだと考えられる。
また錆兎たちと出会えたのは鍛練している山の中だが、実際には夢の中であの場所に残ってた匂いを嗅いだから、見えた姿だと予想できる。

根拠③無意識下でも語りかけてくる
遊郭編で上弦の陸と戦って、炭治郎の命が危機に瀕した時。また禰豆子の鬼化が進み、人間の心を失いかけた時、炭治郎に兄弟が語りかけている描写がある。
兄弟が気絶している炭治郎を起こして、禰豆子を止めるためだ。


以上より、
炭治郎は常人より鼻が利く。実際鬼の匂いや、彼らから放つ悲しみの匂いも嗅ぎわけている。
修行によって初めて炭治郎自身が追い込まれた時に、彼らの姿が見えたのは、あの場所や鱗滝左近次の悲しみの匂いを嗅いだからだと考えられる。

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