マガジンのカバー画像

中山道音速スライド旅行

51
東京日本橋から京都三条大橋までの中山道六拾九次(約540km)をGoogleストリートビューもなかった2005年に歩いて記録した5,300枚を超える連続写真を大公開!
運営しているクリエイター

2020年5月の記事一覧

いよいよ近江に突入です

まさに国境ですね。この日は美濃から近江に入ります。道路の案内板にも見慣れた表示が見られるようになってきました。私は当時、滋賀県(彦根)の大学に通っていたので、ようやく帰ってきたという気持ちでした。 垂井を過ぎると関ヶ原。そう、関ヶ原の戦いのあったあの「関ヶ原」です。下の写真は西首塚の史跡。 そして、いよいよ近江に突入。 小さな溝を挟んだ美濃側と近江側の旅籠で寝っ転がりながら話ができたという逸話から「寝物語の里」と言われています。 近江に入るとベンガラ塗りの建物がよく見

再生

《第21日目》垂井宿〜高宮宿

近江の国に入ります。垂井宿,関ヶ原宿,今須宿,柏原宿,醒井宿,番場宿,鳥居本宿,高宮宿と宿場の数で言えば、この旅最多の旅程です。 《マガジン|中山道音速スライド旅行》 https://note.com/takecomai/m/ma5c815b6b7ed

菅笠

私の撮った写真ばかりなので見てくださっている方はつい忘れてしまいがちだと思いますが、歩いている本人、このような格好です。前にも書いた通り、古いまち並みの宿場では被写体となり、群馬や長野では菅笠というこのアイコンのおかげでたくさん声をかけていただいたりお茶をごちそうになったり、またある時は虚無僧かなにかと思われたのか向かいから歩いてくるおばあさんに手を合わされたこともありました。 さて、この菅の笠は奈良井宿で調達した3代目です。初代は、高校の友人がくれた富士山みやげの笠、2代

再生

《第20日目》加納宿〜垂井宿

もう残り1週間を切っています。今日は垂井まで。 《マガジン|中山道音速スライド旅行》 https://note.com/takecomai/m/ma5c815b6b7ed

中山道音速スライド旅行

2005年5月11日。 15年前のこの日、大学生だった私は旅をはじめました。東京日本橋から京都三条大橋を目指す中山道(時に木曽街道とも呼ばれる)540km徒歩の旅。Googleストリートビューもなかったこの時代、私は旅の道中、進行方向に向かって約100mに1枚写真を撮り続け、なんと5,363枚におよぶ街道の連続写真を記録として残していました。 あれから15年が経ち、新たなウィルスの出現によって旅に出づらくなってしまった今、この連続写真を1枚0.3秒のコマ送りスライド(映像)

さよなら木曽川

第19日目には木曽川に別れを告げ、うとう峠を越えて鵜沼の宿に向かいました。すっかりまちに降りてきた感じですね。 この旅の道中さまざまなものを写真に残していたのですが、その中でもちょっとしたコレクションがこちら。そう、ブロック塀です。かなりいろいろな種類があるんですね。 これ、この1日だけで撮影したものなんです。個人的には上から3枚目や4枚目の下段のシンプルなものが好みです。多少、地域性もありますが、このあたりはわりとバリエーションが豊かですね。 《マガジン|中山道音速ス

再生

《第19日目》鵜沼宿〜加納宿

うとう峠を越えて岐阜の中心部に突入です。この日の到達した加納宿は岐阜駅からすぐの都会です。 《マガジン|中山道音速スライド旅行》 https://note.com/takecomai/m/ma5c815b6b7ed

1回休み

すごろくで言えば1回休み的な1日です。太田宿のある美濃加茂市のすぐ隣町である関市出身の大学の友人が、前日に太田宿で出迎えてくれて、実家に泊めてくれました。そして翌日のこの日は関周辺を案内してくれて、夕方中山道に復帰。次の坂祝駅まで歩いてあっという間に終了。 というわけで、この日は関の写真ばかりしかなかったので、地図のご紹介。街道ウォーカーにとって地図はとっても大事なアイテムです。それも旧道が現在の地図に照らして示された地図が必要で、さらにコンパクトで携帯性に優れたものでない

再生

《第18日目》太田宿(〜坂祝)

この日は、前日に太田宿で出迎えてくれた大学の友人が、実家に泊めてくれて周辺をいろいろ案内してくれたので、ほとんど歩いてません^^;わずか12秒のスライドですがどうぞ。 《マガジン|中山道音速スライド旅行》 https://note.com/takecomai/m/ma5c815b6b7ed

姫街道

あの狭い谷をすり抜けるように流れてきた木曽川、こんなに大きな川に成長しました!なんだか感慨深いですねぇ。このカバー画像は橋の上から撮影したものです。これこそ中山道最大の渡し場「太田の渡し」です。 中山道は、江戸時代には東海道の裏街道として大変栄えた街道です。東海道に比べ約40km長く、宿場も16宿も多いのですが、非常に人気のある道でした。特に別名「姫街道」とも言われ、皇女和宮がよく知られていますが、京都から将軍家に嫁ぐ姫行列が通ったことでも知られています。 その大きな理由

再生

《第17日目》御嶽宿〜太田宿

中山道三大難所のひとつ「太田の渡し」。今はやすやすと立派な橋を渡っていきます。この日は太田宿で大学の友人が出迎えてくれるというので少し短め(37秒)。 《マガジン|中山道音速スライド旅行》 https://note.com/takecomai/m/ma5c815b6b7ed

街道はエピソードの宝庫

自分で選んでおきながら、なんとも衝撃的なカバー画像ですね。左の地蔵は頭がありません。見た目のとおり「首なし地蔵」と呼ばれています。 ある時、2人の旅人がここを通りがかりこの地蔵の前でひと眠りしていたそうです。そして、ひとりが目覚めると隣で眠っていた仲間が盗賊(たしか…)に襲われて殺されてしまっていたというのです。「目前で見ていたのになぜ助けてくれなかったのだ!」と逆上したその旅人は、この地蔵の首をはね飛ばしてしまったとのこと。その後、村の人たちが何度も据え直したそうですが、

再生

《第16日目》大井宿〜御嶽宿

大井から大湫にかけては十三峠と呼ばれる比較的小さなアップダウンを繰り返す峠道。そして現代では食堂も自販機もないという意外な難所です。 《マガジン|中山道音速スライド旅行》 https://note.com/takecomai/m/ma5c815b6b7ed

追いやられる旧街道

岐阜に入って建物の雰囲気もガラッと変わりました。壁は黒くうだつのあがる建物が多く見られます。カバー画像は中津川宿の家並み。右は日本酒「恵那山」を醸造する蔵元「はざま酒造」。正面のうねるうだつもすごい迫力ですね。 なんだかいかついですね。存在感がスゴい。写真はいずれも中津川や大井の宿場で見かけた建物です。 そして、この辺りは木曽の谷あいを抜け、少しひらけて空も広く感じます。 しかし、一方で街道を横切るものも増えます。 中山道はまっすぐ進むのですが・・・大きな道路に阻まれ