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広島の城④ 広島城


【広島城天守閣跡】

こんにちは、ほどほど夫妻のたけちです。
今日は広島の100名城のひとつ広島城について紹介します。

【広島城表御門】

広島城は輪郭式平城
築城時期は1589年 築城主は毛利輝元
うん、100名城はここら辺がしっかりしていていいですね🤔
完成当初は、堀は三重、馬出し多数を備える実戦的な縄張りで、当時の大坂城に匹敵したと言われています😳
しかし、1600年関ケ原後、毛利氏は長府へ移封となり、代わって福島正則が広島城に入城します。
主な改修はこの正則が実施することになるんですね。

【二の丸太鼓櫓】

正則により大規模な城整備と城下町作りにより、広島は中国地方の中心となる基盤を整えることになりますが、規模があまりに大きかったこと、また、正則が豊臣恩顧の大名であったことから徳川幕府に睨まれてしまいます。
1609年に謹慎処分、1619年には武家諸法度違反(洪水による被害修復の無届け)により改易となってしまいます。

【中御門跡】

その後、浅野氏が広島城に入り、明治維新まで続くことになります。
幕末は対長州の本拠地となった広島城ですが、明治維新後、1871年に廃藩置県を契機に廃城
廃城後は日本陸軍の司令部(当初第11歩兵連隊、その後第5師団)がおかれ、日清戦争時は大本営が置かれるなど軍都の中心となります

【原爆により赤く変色しひび割れた石垣】

広島城は昭和まで現存天守を維持していましたが、1945年8月6日原爆投下により跡形もなく破壊されます😱
まさに戦争、ひいては人間の愚かさの極致だとたけちは思います😩

【復興天守】

戦後、1951年広島国体のため、仮木造天守を再建しますが、国体後解体
1958年広島復興大博覧会にあわせて天守を再建し、改修工事を経て広島のシンボルのひとつとして今もその勇姿を見ることができます。

【御城印】
【名城スタンプ】

最初は大坂城に匹敵する規模の縄張りを備えていた広島城、しかし、一回も戦うことなく明治維新を迎え、明治から昭和にかけ軍都の中心となるも、原爆のため、全てを失った広島城😣

令和は平和のシンボルとして後世に引き継がれていけばいいなぁ😉

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