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大坂の城④ 芥川山城

おはようございます、ほどほど夫妻のたけちです。

今日は大阪府の続100名城のひとつ「芥川山城」を紹介します。

【天下人の城は安土城でも大阪城でも江戸城でもなく芥川山城!】

芥川山城は大阪府高槻市にある連郭式山城です。
もともとは西国街道芥川宿を本拠とした御家人芥河氏の居館があったところ、応仁・文明の乱に際し、退転した地が現地という説もありますがよくわかっていません😓

1520年に人夫200人以上を使役し、築城したという記録もあります。築城主は細川高国(甕の中に隠れて見つかって自害に追い込まれた人)といわれています。しかし、最初はこの地の国人能瀬氏が城主であったという記録もあり、うーんよくわからない😩

1533年四国から大挙として細川晴元が畿内に侵攻、芥川山城に入り、曲輪の増築等改修を施し、要害化します。


【一部の人に圧倒的な人気を誇る三好長慶氏】

1539年細川晴元は三好長慶(ついに出た!)に京都から追放され、畿内の勢力図が大きく変わります。
1547年三好長慶が芥川山城に入り、1560年飯盛山城に入るまでの13年間三好氏の本拠となります。

【今も残る遺構 大手石垣】

1564年三好長慶逝去後、畿内の勢力図がまたまた大きく変わります。
1568年織田信長(戦国時代の「例のあの人」)が三好氏を摂津から駆逐し、「摂津三守護」(池田氏、和田氏、伊丹氏)のひとつ和田惟政が芥川山城に入ります。しかし、畿内の情勢は落ち着かず😣
1569年三好三人衆が逆襲をかけるも和田惟政これを撃退するに奮戦し、その功績により高槻城の城主となり、芥川山城は高山友照(右近の父ちゃん)に城代として任命します。

【芥川山城の縄張り図、でかい】

しかし、増長したか和田氏と他の畿内勢との確執が生じ、1571年白井河原の戦いで荒木村重(この人の話もいずれしたい)と中川清秀らに攻められ和田惟政敗死😱
その後、和田氏は高山氏に駆逐され、高山氏が高槻城へ入城😮
芥川山城は人知れず廃城したといわれています😵(最後まではっきりしません)

【本丸曲輪からの摂津平野の眺め】
【本丸曲輪から連続曲輪の景況】
【続100名城スタンプ 芥川山城】

スタンプはJR高槻駅内観光案内所でいただきました。御城印についても高槻市立しろあと歴史館でいただけます。ネット情報ですが💦

激動の畿内においてその存在感を遺憾無く発揮した芥川山城

敷地が私有地であることと台風被害により数年前は登城すら危ぶまれていましたが、今は整備されて(山城の中では)比較的行きやすいと思います。山城に興味のある方はおすすめですよ😄

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