パラレルキャリア振り返り

約6年前、2015年頃から、パラレルキャリアを意識し始めました。部品メーカーで働くかたわら、日々盤面と呼ばれる部品のデザインや、枠や筐体などのデザインをしていましたが、「このままではいけない!」という焦りと、家計を強化する為に課外活動を始めたと記憶しています。アミューズメント系のプロダクトデザイナーとして毎日モクモクとスケッチを描いていましたが、隣で3Dデータを作っているモデラーの仕事内容が最高に面白く、このスキルを身につけたい!と一念発起「モデリングの仕事がやりたいです!」と部長に直談判して、グループを異動してモデラーになりました。
3DCGを覚え、CADを覚え、動画制作まで一通り出来る様になりました。表現の幅が広がりました。

当時部品業者の中でもデザイン力が飛び抜けていた会社に勤めていました。アミューズメントマシンのデザインとはいえ、プレゼン資料も、モックも、かなり拘って作り込んでいました。このデザインスキルは恐らくは、アミューズメントだけじゃなく、他分野でも発揮できるはずだ!と思い、コンペに出品を試みました。次第に、オープンイノベーションプロジェクトなどでも少しずつ評価されていき、当時富士ゼロックスが主催する「価値あるコミュニケーションを実現する新規事業提案」でグランプリを獲得。企画した提案内容が事業化検討されることとなりました。

富士ゼロックス 価値あるコミュニケーションを実現する事業アイデア

パラレルキャリアを実現させる為に、クラウドソーシングでデザインの依頼などを細々と請け負ってアウトプットを繰り返していくうちに、仕事でやっていた事が、個人のお客さんにも役に立つんだ!という感触を覚えました。
親しくなった企画マンとアイデアコンペに応募をしたり、スタートアップ事業を始めようとしている人たちとの交流が増え、そこからデザインの相談を受ける事も多くなって行きました。

家計の支えになるようにと始めたパラレルキャリアですが、お金よりも人脈が少しずつ繋がってきた気がしています。それによって本業でも一目置かれるようになり、デザイナーからモデラーへ転身しましたが、そのあとは企画者に推薦されたりと、課外活動と本業が相乗効果をあげられるようになっていきました。

どうでも良い付き合いは辞めて、本当の友人と共に切磋琢磨しようという橋本左内のメッセージに共感してから、飲み会という誘いには一切乗らないようになりました。子供が産まれて、家事育児も手伝うようになってからは、一切飲みに行っていません。そういう事を同僚に話をすると可哀想だなとか慰めの言葉をかけられることがありますが、そもそも価値観の転換を図ったので、慰めも不要なんですよね。そんなとこで立ち止まってなくて、もっと面白い事をする為にスキルアップしようよ。修練しようよ!と橋本左内は言っている気がしました。甘い誘いなどには乗らずにコツコツと、着々とやってきた感じかもしれません。成果がすぐ出るわけでなく地道にやってきました。

自分の時間は全てクリエイティブに投資して、副業やパラレルキャリアの時間として、有意義な時間を過ごしてきました。企画仲間も増え、デザイナーとの交流や共創も増えてきました。一緒に企画しよう!という自主的なプロジェクトの立ち上げなどにも参画したり、コンペに誘われて参加したり。そんな中で自分の役割は割と明確になってきた気がします。想いの強い人達の考えとかアイデアとか思想を見えるカタチに伝搬していく事。これが僕が今までやってきた事なんだろうなと思い始めて、自分個人のパーパスを、「想いをカタチに」としました。

社内とか社外とか呼んで境界を区分けするのもなんだか変です。面白いテーマやアイデアがあったら自主的に集まって、お互いのチームが自然と出来ていく。スクラム組んでやっていく。そんな流れがもっとも自然なんじゃ無いだろうかと。一般的な仕事では業務の依頼があってその上で自分の役割を全うしていくと思いますが、外から言われたことなので、どこかにやらされてる感が否めませんし、責任の押し付けあいになったりすることも結構ありますよね。

アントレプレナーとか起業家とか企画プロデュースする立場の人達は180度視点が違うかもしれないですね。この分野は未開の地だからやってみたい。社会的に意義があることだから、やりたい。なぜやりたいのかをとことん突き詰めて考えてから、行動に移している人達は真の意味で強い存在だと思います。そんな方々にも出会ってきたので余計にそう思います。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?