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クリエイティブなキッズたち


#創作大賞2022

子供のクリエイティビティーは無限大である。そのことを実感したのは子供が産まれ、子供が成長し、色々な体験を一緒にしてきたことと、僕自身がクリエイターであったことから証明が出来る。

ただし、世間一般的には子供は子供扱いされることが多いだろうと感じる。
「うちの子は絵が下手なので…」
「創造的な事を考えるのは苦手なんです…」
「何もないところから産み出すのは私たちが苦手だから子供にどうやって教えたら良いか分からないんです…」
などなど、大人側が謙遜してしまって自分のわが子をへりくだって過小評価しがちなのである。

勝手にレッテルを貼られて、勝手に大人側でコミュニケーションを取られ、自分の殻を破りたくても出来ない状態になってしまっている。これでは子供からすると、たまったもんじゃないはずである。なぜなら子供達は元来クリエイティブだからだ。

確かに、「自分はクリエイティブである」と答えている日本人はごく少数であり、世界と比較してもその自己肯定感の低さは顕著に低い。それに比して世界からみた日本はクリエイティブな国だとみられている部分もあるのだ。アニメやゲーム、映画などのエンターテイメントは日本が牽引していることは間違いない事実である。

主観的な評価を高めて、家族内の子供達の評価も高めて、自分たちは創造的な活動をしているんだ!と胸を張れるような日本にならないといけないと危機感を感じている。もっとみんな親バカになった方が良いだろう。「うちの子なんて…」という口癖を辞めよう。「うちの子はこんなこと出来るんだよ!すごいでしょ!」と自慢しても良いじゃないかと思う。そして周りは褒め称え合う環境こそが子供にとってのクリエイティブスペースになるはずだと確信している。

子供達の創造性は無限大だ。お風呂に入れば超巨大な壁画を描き始めるし、夜に寝なさい!と言ってもなかなか寝ずに絵を描き始めたりする。観察力や色の配色センスもあり、オリジナルのモンスターを描かせれば、出るわで出るわで無限にアイデアが出てくる。

この子たちが本当にクリエイティブではないのか?周りの子供達も果たして本当にクリエイティブではないのか?それを確かめるべく、僕は研究の旅に出かけたのだ。

AdobeのZ世代の創造性に関する調査がある

12歳から18歳までの日本のZ世代は自分たちを「創造的」とは捉えておらず、自らを「創造的」と回答した生徒はわずか8%でした。この割合はグローバルの同世代(平均44%)に比べて著しく低い結果となりました。同様に、Z世代の生徒を「創造的」であると回答した日本の教師は2%に留まり、グローバル平均の27%を大きく下回る結果となりました。

【2017年6月29日】

アドビ システムズ 株式会社(本社:東京都品川区、代表取締役社長:佐分利ユージン、以下アドビ)は、本日学校経営者および教職員向けに開催している教育フォーラム「2017 Adobe Education Forum」において、日本の生徒と教師を対象とした、学習、クリエイティビティ、将来の仕事についての認識に関する調査結果「Gen Z in the Classroom: Creating the Future(教室でのZ世代*1:未来を作る)」を発表しました。

この結果は極めて遺憾である。子供達の事を過小評価している大人側の都合や、旧態依然として変わらない義務教育とその教師の文化や価値観、親が謙遜する日本の文化に根差したコミュニケーション方法によるものである。クリエイターからすれば子供たちこそがクリエイター先生であり、大人側が子供の発想や着想、創造のエネルギーから学ばなければいけない立場にあるのである。

そこで、私は、大人側はクリエイターでなければ子供達を正当に評価しきれないと考えた。クリエイターが子供の表現するものを評価しなければいけないのだ。クリエイターと子供のマッチングを早急に図り、子供達の自己肯定感を回復し、親の価値観を見直して頂かなければいけないのだ。そこで描いた図がこちらである。

子供が描きたいという衝動をそのまま表現することが出来、尚且つクリエイターがその表現から影響を受けて、自己に昇華し作品化する。そして子供はクリエイターが表現した2重化作品によって、社会と接続されるのである。子供だけでは接続は難しくてもクリエイターという社会性のある人達が支援することによって、社会に子供の表現が表出する。その時にどのような反応があり、どのような事を子供が感じて、自己成長していくのかを見て行く。

例えば子供が社会に参加するという取り組みは既に色々と誕生している。だが、大人の社会に子供を合わせる、つまり大人都合のゲームしか世の中には存在していないのだ。大人になるためにはこういう体験をすると良いんだよ、だからあなたもやってみなさいというサービスである。これによって、大人の職業や働き方を追体験することは出来るであろうが、子供自身のクリエイティビティーが発揮される環境ではないことは明白である。
クリエイティブキッズでは子供が自分が考えた表現や伝えたいことをあるがままに表出出来る環境を用意することが先決だと考えている。アドバイスは求められればするが、基本的には子供が自ら考えて、行動し、考察し、試した結果をあるがままに受け入れるスタンスだ。

例えばこのようなことがあった。
学校の作品展で子供が描いた絵のネーミング「BURIKO」を先生が勝手に名前を変えてしまったのだ!!
「ピリリンコが良いと思うからピリリンコにしましょう!」
と。。。

何がピリリンコだ!

おかしいじゃないか!?

ウ〇チのキャラクターを創っているのに、ピリリンコってなんなんだ?

「AIちゃんのブリコの方が良いよねぇ~」

子供たちのひそひそ話である。

教師という強権が発動された瞬間を目の当たりにして私は愕然とした。

そして、これではいけない!

彼女を救わなければと思い、全力でクリエイターとしての表現を追いかけた。

子供が先生で私が生徒である。

全てのディレクション権限は子供にある。

モデリングを行った。

監修は全て子供にお願いした。

細かな部分まですべて指示が入り修正した。

目のまつげ、足の内またの角度。。。

そして自信満々にこの絵を提示してみた。

これでどう???

ダメ。

前々ダメ。

色がダメ。

ということで、子供センセイの講義が始まった。

この動画を観て頂きたい。素晴らしいではないか。カラーリングに関してしっかりとロジカルかつ感覚的に説明出来ているではないか。右脳と左脳のバランスが取れたカラーリング講座である。思わずうなずいて納得してしまった。これが子供センセイの本領発揮なのである。何も教えなくても、子供はしっかりと観察しているし、様々な条件や制約も考えつつ、最適なアウトプットを瞬間的にしているのだ。

カラーリングを修正したイメージはこちらである。確かに私がアウトプットしたものよりも軽やかに見えるし、可愛くなった!学びました!

たまたま私の子供は、たまたま絵が上手だったのか?

配色センスのある才能を持っているのか?

そうではないと思う。

子供が絵を描いた時の親の反応を子供は必ず見ているのだ。

子供扱いしたリアクションを取れば、それは見抜かれる。

「上手だね~!」の一言に何を感じているのかを見ているのだ。

子供を子供扱いせずにイチクリエイターとしてリスペクトする眼差しがあれば、子供は思い切って表現してくるのだ。

本気で来るので、こっちも本気の反応を返してあげる。

受け止める。

素晴らしければ、素晴らしい!

どこのどうこうしている、ここの表現がオモシロい!

細かい部分まで、感じた事をフィードバックしてあげる。

そうすると子供は自分の表現した物に対して、客体化して作品を見ることが出来るようになる。

この繰り返しだ。


粘土をこねれば、どんなものができるのか?

表現するものは自由だ。

自分が作りたいと思ったものを自由に作れる。

自由に制約なく作れるということ。

この感覚を繰り返しアウトプットすることで鍛えられる感覚がクリエイティブなパワーに変換されていく。

末っ子が作ってパパとママから
「すごーい!」「かわいい~!」
と褒められているのを見ると長女も負けじと作ってくる。
これならどうだ!と。
お互いここは本気の戦いだ。
片方が褒められればもう片方は嫉妬する。
この人間の本能的な反応は「負けず嫌い」という形で社会化されていく。

クリエイティブキッズでやっていることは社会的な実験である。
この実験をレポートにまとめたものがこちらである。

実験をやっていくうちに、会社の同僚が興味を持ち、実験に参加してくれた。
そして末っ子が描いたスケッチを商品化してくれた。
そして一枚売れた。

これはどういうことなのか。
一枚しか売れていないが、売れた事実がある。
子供の表現にクリエイターの編集力が加わり、魅力となったのだ。
社会化されたのだ。
そして誰かの心を打ち購入された。

そしてさらに子供は応用をし始める。

テーマ性のあるキャラクターを描き始めるのだ。

何も指示していない。

自由に描いてもらった。

これは絵本になっている。

ストーリーがある。

その絵本を読み語りしてもらった。

絵を描くだけでなく、テーマを持った作品として脚本化してみせた。

何も教えていないのに、勝手に提案してきたのだ。

凄い!と感じたし、寝る前のちょっとした時間にタブレットを渡してなんか描いて~と言ったらアウトプットされてきたのだ。

SDGsをテーマにしていて、バナナとの相性も良いと感じたし、トレンドでもある。

これはエッグモンスターを描こうという実験の結果である。

そして同僚はこのスケッチからSDGsグッズ化を図った。

エコバッグにもなった。

この試みは色々な繋がりと共感を生んだ。

子供の創造力を発揮する環境とはどんなものなのだろうか?

何もしなくても勝手にやり始める。

大人側が彼らにレッテルを貼らなければ、自由に飛んでいく。

私は、そっと後押し出来る人でありたい。

私自身は親から漫画家になりたいと言った時に、辞めなさいと止められた経験がある。

もし後押しされていたら、今やっていることも変わっているだろう。

実験の最終報告書をまとめた。

まだまだこの社会的な実験は続けて行きたい。

そしてもっともっと波及して、世の中の子供たちみんなクリエイターであることを証明したい。

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