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自分探しなんてクソくらえって思ってたけど、スニーカーにおいては探しておけよって話

私が大学生の時、よく叫ばれていたワードがある。それは、

自分探し


「自分探しの旅」って使い方が多かったように思う。バックパッカーのように海外に出て行き、違う価値観に触れ、新しい自分を見つける。そんなふあッとしたイメージがあるこの言葉だけどあながち間違っていないはずだ。

少々嫌いだ。いや、私はだいぶこの言葉には嫌悪感があった。今なら”なぜ嫌いだったか”がよくわかる。それは「自分探し」をする理由自体が明確でない場合が多いからだ。

本来は何かを成す、達成するために「自分探し」というアクションがあったのだろう。しかし、いつしかそのアクションに集中すること、やり続けることが目的になってしまった。手段の目的化の典型的な例だ。だから、なんだか嫌いだったのだ。

スニーカーに対しても同じようなことが見えることがある。


"スニーカーを買う"。これ自体は趣味であり、もっと言ってしまうと娯楽だ。好きなものを買えばいい。単純に言えば「自分の好きなものを買うことがこの娯楽に置いての最高点」と言っていい。

ここで見落としがちだが、「自分の好きなもの」ってなんだという話。

人間は生きている中で、自分が考えている以上に周りからの影響を受けている。「影響を受けない」なんてことは不可能だ。

自分が「これ好き、欲しい」と、思うことは様々な影響の結果だ。100%コントロールすることは不可能でも少し客観的な視点を持って自分と向き合えば自分が「これ好き、欲しい」と判断を下す傾向がわかる。

私は毎週何かが新作が発売されるNIKEのスニーカーの世界から一旦距離多くことで、客観的な視点をしっかり持つ余裕ができた。

その結果、自分がスニーカーを買うときに求めていることはわかりつつある。

でもこれには数年かかっている。

そう、「自分探しの旅」をしているのかもしれない。

でも、それはアクションであり目的ではない。

あくまでこのアクションをしている目的は一つ。このスニーカーの趣味において自分が満足のいく最高点を出し続けることである。

現状、かなりうまくいっていると思う。「自分の好みというモノサシ」の輪郭が見えてからは「自分の買い物への満足度は異常に上がり、他人への妬み嫉みは激減している」。ライフハックだと思う。

特にスニーカーは「買える・買えない」で幸福度が真逆なので人間の悪意に襲われるケースが多い。その根源である妬み嫉みが減っているのだ。これは私にとってもプラスだし、私の周りの人間にも悪い影響ではない。

私の満足度の向上は良い形で表になっている。それは「購入したスニーカーの紹介」だ。私は自分で買ってきて紹介したYoutubeの動画ではもれなく、「自分が欲しくて買ってきたものだ」。

企画だから、一応○○から出てるから、という理由で買って紹介をしたことは一度たりともない。


皆さんにはよく「熱量高い」と評価いただく私の出演の各動画だが、正直当たり前なのだ。私のモノサシで納得して買ったもの。その良さや自分の好きなポイントを語ることがむしろ喜びである。それが形になっているのが私が出演した動画だと思ってもらっていい。いつも皆さんありがとうございます。

そんな私だから言い切りたい。自分の趣味の最高得点を意識して見て欲しい。そのために何をすればいいのか。

本当に日々の発売情報を追うことは自分の趣味のマストアクションなのか?自分を追い込んでないか?判断を曇らせてないか?

みんなにも自分のスニーカーライフを楽しんで欲しい。そんなことを思って。

遅れましたが、告知です。

お読みただいた通りTAKE・スカイウォーカー、note始動です。

これからもどうぞよろしくお願いします。




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