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JC論:なぜJC論を書いたか

日本青年会議所2019年度会頭としての京都会議スピーチ原稿を掲載して以来、130本以上の記事をJC論マガジンとして掲載してきました。目次に現れている通り、内容も入門的な所から、ややテクニカルなところまで非常に多岐にわたるものになりました。平均約2000文字として、約26万字以上書いていることになります。途中からは、JC論編集プロジェクトチームの皆様とともに、内容の整理・整頓や追加、さらには逆引きQ&Aの作成などを行ってきました。

会頭、直前会頭の2年間にわたりこのようにJC論を書き続けることができたのは、日本青年会議所1972年会頭小野正孝先輩の影響を強く受けています。私の所属する高松青年会議所では、小野先輩は唯一の特別名誉会員であり、新入会員には「我発の心」という小野先輩の言行録が必ず配られ、JCのあるべき姿を学ぶことになっています。私の知るだけでもいくつかのLOMが「我発の心」と同じテキストを使っているようです(タイトルはそれぞれで違うようです)。

青年会議所は常に青年のための団体です。自分たちがどうあるべきなのかを、自ら議論し、自ら決めていくことが求められます。だからあるべき姿というものは常に動いています。ただ、一応それなりのJC経験を積み、日本青年会議所の会頭を経験したものとして、何を考え、何を重要視してJC活動を行ってきたのか、というスナップ写真を残しておくことは、後に続く若者に一つのヒントになりうるのではないかと思い、このJC論を書きました。

重要なことは、「○○であるべき」ということではなく、「なぜそう考えるのか」という考え方にあります。本と違って、noteの特性として字数制限はありませんのでできるだけ「なぜそう考えたのか」を記載することを心掛けました。

少子高齢化の中で、青年層の割合は年々減少しています。シルバー民主主義という言葉に代表されるように、青年の発言力はますます低下し、青年は社会の主役というより高齢化社会を維持するための奴隷という趣になっています。いくらインターネットで声を上げられるといっても、それが本当に社会を変える運動、社会ムーブメントになるのでしょうか?実際に行動を起こし、社会を変えようとする若者は、ごく一部の特権階級なのでしょうか?

私はそうは思いません。若き一市民であっても、人を動かす能力を身に付け、地域的・年代的に広範なネットワークを築き、実績に基づく自信を身に付けることで、身近なところから社会を変えることは可能なはずです。では、社会の中でそのような若者を育てる場所はあるでしょうか。日々の仕事をしているだけで身に付くものでしょうか?

そう考えると、日本全国に広く存在し、幅広い年代にネットワークを持つ青年会議所という場所は、少子高齢化社会の中でますます重要性が高まっていると思えて仕方ありません。ただ、会員減少をし続ける様子を見ると、明らかに青年会議所の組織としての仕組みが時代遅れになっていることも同時に感じます。

私は1980年生まれで、ちょうど団塊ジュニア世代と、ミレニアル世代の端境期の存在です。次の世代においても、青年会議所がその価値を最大限に発揮できるよう、どうあるべきかの議論を積み重ね、青年を惹きつけられるように自ら変わり続ける存在であることを心から祈っています。

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