見出し画像

JC論:なぜ今ビジネスの機会なのか

2018年、日本青年会議所の定款にビジネスの機会が明記されました。JCIでは1994年に既にビジネスの機会が定款に記載されていましたが、なぜ今日本JCの定款に改めてビジネスの機会が明記されたのでしょうか。

そもそもビジネスありき

青年会議所の始まりから考えると、1949年に日本で最初に設立された東京青年会議所の設立趣意書にはこう書かれています。

新日本の再建は我々青年の仕事である。あらためて述べる迄もなく今日の日本の実情は極めて苦難に満ちている。この苦難を打開してゆくため採るべき途は国内経済の充実であり、国際経済との密接なる提携である。

そもそも日本では青年会議所は国内経済の充実と、国際経済との提携を目指して始まっているのです。だとすると、ビジネスの機会が定款にそもそも入っていないのが不思議なぐらいです。

ではなぜビジネスの機会が入っていないのか、理由は推測ですが、一つは公益法人格を取る上で、ビジネスの機会を声高に叫ぶことが憚られたこと、もう一つは、経済の充実という目的があまり社会に必要無いと思われたこと、あたりではないかと考えられます。

しかし、この定款変更にあたって内閣府に確認を取ったところ、共益目的としてビジネスの機会を定款で掲げることには全く問題ないということでした。では、経済の充実という面ではどうでしょうか。

経済の充実とは何か

そもそも経済の充実とはどういうことでしょうか?普通は経済の発展という言葉を使うのではないでしょうか。

その理由は1949年という戦後4年目という時代背景を考えれば容易に推測できます。当時は日本には足りない産業がたくさんあったのです。日本を荒廃した状況から回復し、発展させるためには、産業を興し、自律的に経済が発展していけるように、まさに充実を図っていかなければならなかったのでしょう。

その後日本が高度経済成長を遂げ、足りない産業がなくなっていくにつれて、経済の充実ということはあまり重要なテーマではなくなってきます。

しかし、今の日本の状況を見るとどうでしょうか。2011年にはじめて日本は名目GDPで中国に抜かれました。この時アメリカとの差は約2.5倍で人口比から考えると不思議な数字ではありませんでした。しかし、2019年には、日本とのGDPの差は、中国とは2.7倍、アメリカとは4.1倍まで広がっています。日本が横ばいだったのに対し、中国とアメリカは成長したからです。

産業的に見てみると、デジタル分野やバイオ分野など、日本の成長に必要なのに明らかに足りていない産業分野がどんどん増えています。

もはや日本経済が充実を欠きはじめていることは明らかです。

今こそ日本経済の充実のための機会を

東京青年会議所の設立趣意書にはこう続きます。

その任務の大半を負っている我々青年は、あらゆる機会をとらえて互いに団結し自らの修養に努めなければならぬと信ずる。

日本経済を再び充実させる任務の大半を負っているのは私たち青年なのです。

だからこそ、今ビジネスの機会を再度捉えて経済の充実を図らなければなりません。ビジネスの機会といっても、それは大抵今やっているビジネスの延長線上ではありません。パイの食い合いをするようなことをやっても、経済の充実につながらないことは明らかです。JCがビジネスの機会をうたっているからといって、JCに入れば仕事がもらえるというのはナンセンスです。

JCで得られるビジネスの機会とは、新情報、人脈、マネジメントといったようなものです。これについては別途どこかで詳しく書きたいと思います。

価値デザイン社会へ

そして日本JCでは2019年度、経済を再び充実させるための新たなビジョンとして、価値デザイン社会という考え方を推進しています。

内閣府知的財産戦略推進事務局長  住田孝之氏資料より

少し難解ではありますが、価値デザイン社会のビジョンには、青年が今後取り組むべき未来の姿があります。このビジョンを元に、供給と需要の両面からビジネスの機会を提供していくのが、2019年度の経済グループの各会議・委員会ということになります。

誰もが挑戦できる幸せな国へ

最も重要なことは挑戦する人を増やし、挑戦に報いる社会にしていくことです。それは一攫千金の夢のある社会ではありません。どんな人でも挑戦できる社会を作り、真摯に挑戦する人は、成功すれ、失敗すれ、報われる社会にしていかなければならないのです。そのためには、機会の平等を実現し、不公正を糺し、誰も取り残さない社会を作ることが必要です。

幸せの定義は人それぞれですが、どんな条件下においても、誰もが幸せになるために挑戦し続けることのできる社会は明らかに幸せな社会でしょう。

それは夢かもしれませんが、できないことではありません。事実100年前から比べれば私たちは遥かに良い社会に生きています。それは多くの先人の努力によってなされたことです。私たちがその努力を続ければ、より良い社会を作ることは可能なのです。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?