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京丹後とHoliday Homeへいった

京丹後へ行ってきた。神戸から車で約2.5時間ほど。
ずっと泊まってみたいホテルがあり、もろもろ重なり実現できた。

Holiday Home


室内。清潔の匂いがした。

コーヒー豆とミル、ドリッパーをカバンに、そんなことするガラじゃない恥ずかしさと闘いがあったんだけれど、もう仕方ない、パイ生地からアップルパイを焼きえいや!の気持ちで持っていった。


せっかくならカニも食べようかということで。もう、ぼくが知ってるカニじゃない。これはcrabってよんだほうがいい、カニっていうの禁止ゲームを開催する運びとなった。「いやーー昨日のcrabまだ残ってるわーー」。出入り禁止になっても仕方がない。

朝もいい。朝食前にバスルームの窓をあけお湯をはり、部屋に帰ると準備万端にして。本を持って。良かった。これは、行かれることがあればぜひやってみてほしいな。

隠れキャラで猫までいてくれている。撫でると「いや違います、こっちです」と彼(彼女?)に心地いい向きへと身体を動かしてくれる。人間が仕えるタイプの、かつホスピタリティまで満ちみちている猫だ。


2月に行けてほんとうによかったな。夏の緑もさぞきれいだろうなと思う。けれど。

カレンダー的な美しさだったらスイスに行けば充分堪能できるだろう。澄んだ明るさだったらカナダや北欧で浸ることができる。だがなんだろう、このもの悲しさ、廃れていくものの美しさ、胸を締めつけてくるような懐かしさ......。それは私の中ではここレイク・ディストリクトから始まり、スコットランドに渡り、そしてアイルランドで決定的になる何かだった。

『春になったら苺を摘みに』梨木香歩 著


もの悲しさも廃れていくものの美しさも似つかないない場所だったけれど、まだ葉がついていない木、モノクロに見えてくる海辺の群生………。「この季節だからこそ」のものが心に残っている。
冬の寒さが厳しい地域特有の、冬は寒さにこもり生活を重ねる季節、ちいさな変化に目を凝らす暮らしを感じることは、まさにマインドフルに自分を向かわせてくれると思う。太陽にありがたさを感じられるのはこの時期だからこそだなと思いながら、南向きの玄関、扉をあけたところにイスをおく。


つきすぎず、けれど、とてもフランクでユーモアまでばっちりなスタッフのみなさん。すべての時間にホスピタリティを感じながら過ごした。

この場所を保つ努力を想像する。このレベルの体験と場所を保つには基本的な接客スキル、とかだけではなく、チームとしての具体的な工夫がたくさん施されていると思う。ほんとうのホスピタリティはそのひとらしさにしか根差さないと思うので、そのひとらしさを殺さない、心理的な安全性を保つ具体的な工夫もあるのだと想像する。

さまざまな背景をもつひとが、ひとつの場所を保っていくということ。停滞することなく。それを担うのはもちろんお一人ひとり、最高のホスピタリティを提供してくださったみなさんだ。すごいな。

ぼくはテンションが上がってしまい、たぶん、お客さんという立場を超えたコミュニケーションを試みていたことが数度あったと思い返している。それでもこころよく受け止めてくださってありがとうございました。

京丹後がすごいぞ

いや、それにしても京丹後がすごい。こんなに透んだ水辺ですごせると想像もしていなかった。


砂の模様がほんとうにキレイだ。これだけで観光資源として十分に成り立つんじゃないかなという気さえする。

食べものはそれこそ牛に乳製品、野菜に、なんといっても魚に……!天橋立みたいな景観でひとを呼べる場所もありますし。なんでもある。それらを滞在型の観光地として活かせるところが強い。京丹後、すごいぞ。惹かれるひとも多いだろうな。機会があればぜひ。



ずっとトルコとシリアのことが頭にあります。そのことを抜きにしても、この1泊2日を過ごせる自分がどれだけ恵まれているんだろうの気持ち、何度も頭をもたげる。

上質さしか存在していない空間に身を置くことはマインドフルに過ごすことに近道だ。けれど、日常が雑多で散らかっていて煩わしいことも多いものであったとしても、その日常のなかでこそ、そうありたい。

こういう時間の過ごしかたの積み重ねがあるからこそのもろもろがたくさんあると思うな。自分の積み重なったそれを、活かしてあげたいなと思う。

元気で過ごそうね✌️

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