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突撃洋服店・安田さんと

突撃洋服店という伝説的な古着屋さんがある。1985年にOPENし、神戸と渋谷で長年店舗を構えられていた。古着屋さんにクールな、かっこいいイメージがあるとすれば、突撃洋服店が寄与している部分が大きいかもしれません。もしあなたが、かっこいい古着屋さんに出会ったことがあるとすれば、その場所は多かれ少なかれ突撃洋服店から影響をうけている。

突撃洋服店をつくった安田美仁子さんと、縁あってお付き合いが続いている。最初はお客さんとして突撃に通っていた。ご本人はdirectorと名乗られているんですね。


安田さん、普段は関東にいらっしゃるのですが、神戸に住まれていた時期も長く、こちらに帰ってくるたびにお声がけいただき、ご飯をご一緒させていただいている。今回は居留地で異彩をはなつニューラフレアという場所でPOP UPをおこなわれていて、そのタイミングに合わせて。

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ご一緒させていただいたご飯は難なく消化できたんだけれど、安田さんのお話は時間をかけて咀嚼しないと消化できない。なので今回、安田さんに教えていただいたことをきちんと咀嚼したくて書いている。

もしかしたら、安田さんのbeの部分を少し見させてもらったのかもしれないんじゃないかなと想像しています。


フォーマットからつくる

安田さんは「古着屋というフォーマットをつくった」んだと思うのですが、一方で、既存のフォーマットに乗ることに徹底的に興味関心が向いていかないと教えてくださった。たとえば「Tシャツをつくる」ことでも、安田さんにいわせると、それは、フォーマットに沿った表現。

安田さんといると、ぼく自身がどれだけフォーマットに縛られているかを痛いほどに感じる。必ずしもそれが悪いことではないけれど、24時間「どう合わせるか」を無意識に考えてしまうと心が死ぬし、残念なことに、そうなってしまいがちだ。意識しないとフォーマットから自由にはなれない毎日を生きる人は多いんじゃないかな。

手探りのなかで歩むプロセスそのものが楽しいのであり、準備されたフォーマットに沿って表現していく、自分自身をフォーマットにあわせていく作業が発生した瞬間に、興味が失われていく。

安田さん、「ネガティブ・ケイパビリティ」という言葉があります。イギリスの詩人、ジョン・キーツが「不確実なもののなかにいることが、いったいどれだけ大切か」を表した言葉。

「特に文学において、人に偉業を成し遂げしむるもの、シェイクスピアが桁外れに有していたもの――それがネガティブ・ケイパビリティ、短気に事実や理由を求めることなく、不確かさや、不可解なことや、疑惑ある状態の中に人が留まることが出来る時に見出されるもの」

ー ジョン・キーツ 往復書簡より引用

だそうです。

ネガティブ・ケイパビリティは特に対人援助の場所において大切だと思っていたんだけれど、「フォーマットごと発見、開発していく」といった表現においてもとても大切なんだ、というより、不可欠なんだ。

このことは安田さんと一緒にいるときに、特にお仕事のシーンで、意識するポイントとして大切なのかもしれないと感じます。多分、安田さんになにか提案するタイミングがあるとすれば、まず「それはフォーマットからつくってるの?」という視点で見られることになるので。

着るだけじゃなく、脱ぐ場所としての

あらゆる年代の、性別の、ひとが、突撃洋服店と出会い、安田さんと話される。ものすごいレベルでの対話が日々起きている。きっと突撃に行き、安田さんとお話しされたことがあるひとは想像できるはず。

そのことを安田さんは「着るだけじゃなくて、脱ぐ場所にもなってるのよね」とおっしゃられていた。すごい。そっか、洋服って「着る」と同じ回数「脱ぎ」ますもんね。

そう思うと「脱ぐ場所としての洋服店」っていったいどれだけあるんだろう。「脱ぐ」って、すごくリスクがある行為です。安全が確保されていないと脱ぐことってできないじゃないですか。洋服の話であり、こころの話をしています。安田さんがつくられているのは脱ぐ場所でもあるということ。すごい。


徹底的にボーダレス


安田さんは徹底的にボーダレスだ。ジェンダーレスであり、エイジレスであり、「お客さんと売る側」という立場からすらフリーだと思う。そして、モノに対するまなざしもボーダーレスなんです。イスをイスとしてだけ見ていないし、洋服を洋服としてだけでは見ていない。

特にエイジレスであるということは今後の安田さんが「どう他者に影響していくか」においてキーワードになるかもしれないのだそう。

たとえば「自分より若いひとから学ぶ」という態度。これができるひとでさえすごいと思うんですけれど、もう、そうですらないと教えてくださった。

「好きな音楽はなに?とか。いまなにが流行っているの?とか、もうそういうものですらなくって。その考えかたって前提に「わたしとあなたは年齢で区切られている存在」という認識があるから出てくる言葉でしょう?」


ぼくは安田さんのこの態度をその場でとっさに「存在まるごとと対峙されてるのですね」といったのだけれど、「存在まるごと対峙する」ほうが、安田さんにとっても得られることが大きいのだと思う。

立場にもとづいたコミュニケーションで得られるものはたぶん「権威性」とかなんじゃないかな。「わたしの方が(年齢的に、あるいは立場的に)上だよ」とするコミュニケーション。群れ社会はこうした力の論理でできているのだと思います。

難しいのは、こういったフォーマットのあるコミュニケーションじゃないとうまく話せないひとも多いことだなと思う。むしろ相手の期待に応えてきた結果、「立場を明確にして」はじめられるコミュニケーションの型を身に着けてきたひとも多そう。どっちも悪くないし、もしかしたら社会を支えているのはそういったコミュニケーション、けれどぼくは選べれるなら、ボーダレスでいたい。



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「DoとBe」という考えかたがある。Doは「そのひとがなにをやっているか」で、Beは、「その人がどう在るか、なにを感じているか」といったニュアンス。

安田さんというひとはDo ー 突撃洋服店のdirectorとしてのさまざまな活動、ももちろん限りなく魅力的なんだけれど、はっきりと、DoをBeが支えているひとだ。DoとBeが接続しているひとが少なすぎる。そういうぼくもそうですね。安田さんほどBeを色濃く感じるひとはなかなかいないな、と思う。

ぼくらは安田さんからもう少し学べるものがあるだろうなと毎回感じます。「洋服」、それは、Doだけで安田さんを見てしまうのはもったいない。一助になれたらと思い早数年なんですが、いつかそのタイミングが訪れますように。


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