モノサシ
最近、渋沢栄一の
「論語と算盤」を読みました。
最近、東洋哲学は気になっていて、新しい1万円札にもなるらしかったので読んでみると、すごく面白かったんです。
本筋ではないですが、
その本から自分が思ってることをだらだらと書きます。
この本はいわゆる「儒教」とよばれる中国の哲学と、商売を組み合わせて、近代日本の経済的な土台を作り上げた渋沢さんの言葉達を現代語でわかりやすく書いてる本です。
すごく面白かったのが、「今の人は信心が足りない」とか、「道徳ができてない」ということを、100年以上前に嘆いているということです。
自分はてっきり、戦争に負けたから日本人は宗教観もなく、道徳も薄れてると思っていたのにですが、そんなことは無く、戦前から西洋の価値観を表面的に輸入してしまって、日本人としての良さみたいなものが、薄れてしまってたみたいです。
そこで、そもそも日本人のよさってなんやろ?って考えました。
ただ、海外に行ったことがないので、その良さをあまり、体感することはできないんですが、よく言われるのは真面目で勤勉だと言うことです。
これは、おそらくそうなんだと思います。定刻通り色んな物事が動いたり、不良品が少なかったり、サービスが過剰なほど良いのは、真面目と勤勉の賜物だと思います。
ただ、逆に日本人の良くないところ、問題もあると思います。今回のコロナでそれがよく見えました。
それは、「自分の物差し」を持ててない人がとても多いということです。
これは、本当に根深い問題だと思います。この物差しがないせいで、多くの人は物事の表層的な所しかみず、重箱の隅をつついて、揚げ足を取ることしか出来ないんだと思っています。
自分の物差しが無い状態だと、あらゆるモノ、コトの良し悪し、ひいては自分自身の趣味嗜好すら分からないかと思います。
一番致命的なのは、幸せを感じにくいことです。
自分の物差しが無い人は、人の物差しでモノ、コトを測ろうとします。つまり、自分がどう感じるかという"絶対的"な視点ではなくて、人からどう思われるか、見られているかという、"相対的"な視点でしか世界が見えないんです。
そうすると、自分がどう思うかは2の次になってしまって、延々とやりたくないことを、自分で選んでやる人がとても多いように感じます。
そして、極め付けにその苦しい状況を、環境のせいにしてみたり、自分のせいじゃないと言い張り出します。
そうすると、優越感と射幸心ぐらいでしか幸せを感じ取れない、なんとも燃費の悪いヒトになってしまうんです。
なので、この物差しをみんながそれぞれ持つことこそが、これからの時代大事なんやないかなと、思います。
はじめは、自己中でもいいんです。そこから自分本位に持っていけばいいんです。
と思った今日の電車の中でした。
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