またねってあの日に手を振るよ

思い込みかもしれないし、決してそんなこともないし、それを望んでいるわけでもないのに、これが最後かもな、って思う時がある。最後のつもりで惜しみながら会っているだけかもしれないし、ただ自分の中で区切りをつけたいだけかもしれない。終わったことにしたいだけかもしれない。

愛する仲間と、もう会えないわけじゃないのに、僕の旅立ちを見送る会では、どうしても惜しくなって、過去を愛しくなって、多摩川のほとりでビールの飲みながら感謝を伝えたこと。

勉強会で、僕宛に送ってくれたメッセージを受けとって、もうちゃんと会うのは最後かもな、だから伝えてくれたんだな、だからありがとう、と伝えたこと。

雨が降る中、坂道を、話しながら家まで帰ったこと。

今夜は、もしかしたら最後かもな、別に意識してなかったけど、「またね、また飲もうね」と言ってくれたときに、ハッとしたから、最後だと思ったのかもしれない。

最後でも最後でなくてもいいけれど、またねがこんなに嬉しいとわかったのは、僕の中に少しだけ最後があったからなんだと思う。

いつでも最後なんだな。

"場所が変わっても、またすぐに会えるよ" それは、その発言をする時点では紛れもなく事実だけれども、現実はそうはならないことも、薄々わかる。

区切りは、大事だと思う。

別れはいつでもさっぱりまたね、でもあるけれど、大好きな仲間と、大きく場所が離れるときは、しっかりありがとうを、伝えたい。

会えたらもちろん嬉しいし、会えなくても、ありがとうを、残して区切りたい。

"またね"と言っても会えないひともいるのだから。

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