反省会しがちな僕ら

先週、友人とご飯を食べにいった。「一旦電車乗ろう」「降りたい駅で降りるか」と雑に動きながら、わりと人気そうなハンバーグ屋を選んだ。

ハンバーグの上に大きいトマトが丸ごと乗っているものを2人とも選んだ。結構量が多く、ゆっくり口に運んだ。休みながら、完食。

店を出て、「めっちゃトマトやったね」


そう、トマトの味が強すぎたのだ。ハンバーグが浸かっているソースもトマトになり、ハンバーグそのものもトマトになり、結果トマトとハンバーグを分けて食べてもハンバーグはトマトになり、やがて世界はトマトになった。

「やっぱり見た目で選んじゃいかんね」「トマトに手を入れる前に先にハンバーグからよけて別々に食べたらよかったね」なんて、食事中まったく同じことを考えていたほど、笑いながら歩いた。

反省会をしがちな僕らだった。そのことに気づいて、また笑った。


別の日、カレーを食べにいこう、どうせなら遠出して、ということで、横須賀に行ってみた。神奈川のカレー好きとして、何やら横須賀にはカレーが名物らしい。いつか行かないといけないと思いつつ、タイミングがめぐって来たので2つ返事でいくことにした。

本当はこの日、僕の家に忘れているものを届けるついでに、カレーでも食べに行くかとなったのだが、横須賀となった時点で僕はその目的を当然忘れ、わざわざ取りに来てもらったのはまた別の話。


なぜか僕は検索して目についた、「海軍カレー」ブランドではないカレー屋が気になってしまい、そちらに入った。調べた結果の「海軍カレー」はおそらく普通のカレーであろう、そんな高い普通のカレーを食べるよりは、たまたま入ったカレー屋でおいしいカレーを食べたほうが良い、などといつものように捻くれた思考をしていた。

ここのカレーが驚くほど美味しくない。いや、美味しくないわけじゃない。ただ、外食で900円出すほどのカレーではない。確実に自分で作ったほうがもっと美味しいし、(これは僕が専門的技術があるというわけではなく)言ってしまえば学校や会社の食堂のカレーレベルだった。こんな経験をしたことははじめてで、僕は落ち込んだ。(友人が食べたシーフードカレーは、カレーではなくシーフード具材が美味しく、その味が溶け込んだカレーも自然と美味しかったそう)


迷った。ひどく迷った。このまま帰るなんてことはしたくない。でも、もう1件スタンダードな海軍カレーを食べられるほど若くない。結局僕らはどこにでもある磯丸水産で苦しい思いをしながらビールを飲んだ。

「遠くに来たという無意識な期待値ががっかりにつながった」「遠出するにしては調査をしてなさすぎたところが甘え」など、なぜ今回は失敗したのか?について自然に話した。

あげく、「僕らは何のためにカレー活動をしているんだっけ?」という根源的疑問にすらたどり着いた。休日をよりよくするためだろ?そりゃそうさ、でも遠出した時点でありふれた日常からいつもと違う非日常を期待してしまっている。期待はすべての敵だ。

おいしいカレーにたどり着くために僕らはどうすべきなのか。口コミサイトとの付き合い方についても考えた。僕らは人気店に行きたいわけではない。足で稼ぐしかない。それなら失敗も当然ある。その気持ちがなかったことが一番の失敗だ。


反省会しがちな僕らだった。昼から酒を飲むことにはとっくに慣れた。



言われるまで気づかなかったほどに、自然に反省会をしていた。いつから反省会をカジュアルにできるようになったのか、よく覚えていない。でも確かに、こういった日常の、友人とのさりげない日常の節々で、僕は反省会をしがちな気がする。

反省会というと、スポーツの試合の後だとか、あるプロジェクトが終わったあとだとか、次回につなげるための振り返りだが、飲食店1つとっても、やっぱりこうしたらよかった、こう考えたのはダメだったねと、真摯に、かつラフに振り返りができる、そんな友人たちに感謝。


きっと僕はめんどくさいけど、そのめんどくささが僕になりつつあるし、それをめんどくさいと思わないひとだけが残っている気がする。


真面目な話をしてるんじゃない。真面目な反省会を、不真面目にしていることが最高だってこと。

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