写真を撮る意義
こんにちは、ピッピです。
スレッズに書いた内容で詳しく書きたいなと思ったことがあります。
それは、改めてなぜ私たちは写真を撮るのだろう。
それは、高いカメラで綺麗な風景を残すこと、家族写真を記念に残すこと、友人と遊んだ時に思い出を残すこと、または写真を撮るのが趣味な人。
昔、高校の時に英語の授業で出てきた長文の内容が、印象的で今でも覚えています。
その内容は、「写真に撮って記録として残していた人と、写真を撮らずに過ごしていた人はどちらが記憶に残っていたか」という実験の文章でした。
統計での結果なので、人によりけりかもしれないですがそのお話では、「写真を撮らずに過ごしていた人の方が、その間を出来事をよく覚えていた」というのが結果でした。
私もその時は、衝撃でしたがよく考えてみると、私は友達と撮った写真や、ランチで食べに行ったおしゃれな洋食屋さんの風景などほとんど後から見ないような気がします。小学校の卒業アルバムはどこにあるのかすら覚えていないです。
他にも、私が印象に残る言葉が映画出てきました。
写真撮るすべての人には、その人の哲学が多様なりともあると思います。
「正解がないからこその面白さ」だと思いますしどれも素敵だと思います。
是非とも、これを見てくださった方の哲学を知りたいです。
しかし、私のこのふたつの「あえて自分の目で見て、写真を撮らない」という考えがすごく素敵だと思いました。
写真は、ときにコンマ数秒の戦いがあります。その決定的瞬間を撮り流してしまうといつも残念な気がしてしまいます。
今日も、下り坂を自転車で両手を話して下っている外国人が、シュールだったのに撮り流してしまって残念でした。
なぜ、写真に残すのか
しかし撮ったところで、覚えていなくほぼ見返さないのが人間です。
では、私自身にとって写真を撮る意義とは、、わざわざこのようにブログまで書いているのはどうしてなのか。
それは、自分が「写真作家」で写真で表現をしている人間だからだと思います。
表現というと抽象的で、自分はピンと来ていないので、自分は結局写真を通してなにがしたいのかは、具体的に言うと海外や絶景を求めて何時間もかけずとも「すぐ近くに、どこにでも美しい瞬間がある」「自分の写真を見て、気にも留めていなかった風景の見方を変わってほしい」がしっくり来ます。
写真をやっている人は、「美しい」「心が動いた瞬間」を切り取るのでみんなそうかもしれないですが、自分はスナップ写真を専門にするので、それが根本です。
写真は、この映画での名言のように自分の目で見た方が何倍も綺麗というより記憶に残ります。
しかし、カメラには「長時間露光」や「マニュアルフォーカス」など人間では見れないものを見せてくれるときがあります。
写真の面白さは、現実を自由自在に遊べるのが面白さなのではないかと―思います。
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?