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私が恐れているものとそれを超える想い。

記念すべき1記事目✨
読んでくれている人、心から感謝です!!

今回は、題名にもある通り、「私が恐れていたこと」と「それを超えて今度どう生きたいのか」について言語化する。

これを書くに至った背景は、今月の8月2日に私が所属しているキャリア支援団体STARSが開催しているMAXIMIZEと言うイベントに参加者をサポートする立場として参加し、改めて自分を見つめ直したから。

MAXIMIZEのゴールは、
「自分の恐れ、弱さを認めた上で、どう生きていきたいのかという自分の想いに覚悟を持つこと」であるため、そこで感じたことを記事にする。


私が恐れていたこと

私が恐れていたことは、
人に「ダメなやつだ」と思われること。そして、相手にされなくなること。

これを恐れるようになったきっかけは、幼少期から漠然と感じている「ひとりになりたくない」という強い気持ちから。幼少期に寂しい思いさせられた記憶はないが、4,5,6歳の頃、「手を繋いでいた家族とある地点を境に離れ離れになる」という悪夢を繰り返し見ていたほど、生まれながら心の奥底に「寂しさへの恐怖心」があった。

この恐怖心は、勉強や運動で人より優れた結果を出すことで解消された。
理由は、人より努力をして人よりいい結果を出し、家族から褒められ、友人の中で人気者になることに「人の安心感」を感じたから。そこから私は、漠然とした寂しさから自分を守るために、人より優れた結果を出すことに夢中になった

しかしその反面、人より劣ることや失敗することへの強い恐怖心が芽生えた。
それは、逆に、人に負けるようなダメな自分だったら、誰にも相手にされなくなり、一番恐れている「ひとり」になってしまうと感じたから。

ここから、「人に劣り、ダメなやつと思われること」は自分の中で、あってはならないことであり、そんな自分ではダメだという強い意識が生まれた。


それからの自分

それからの自分は、
人を惹きつけるため「強くなければいけない」と思って生きてきた。
確かに、この思いは時に強い原動力となり、勉強も運動も絶対に負けるものかと泥臭い努力を続けることができた。

しかし、弱い自分は認めることができなかった。
失敗する、人より劣る、負ける、足りない、期待を裏切る、そんな「ダメな自分」を許せず、そんな自分ではダメだと、自分を責めていた。

一生懸命頑張っている自分を、自分で認めてあげられない。どんなに頑張っても、心の中の自分が許してくれない。それではダメだと訴えてくる。
こんなに辛くきついことはない。でも、今思えば、自分を恐怖から守るためだった。

そして何より、必死に強くあろうとしている自分は、自分らしいありのままの自分ではなかった。

無意識のうちに、「自分は人にどう思われているのか」を考え、人を惹きつける強さがあるように見せてきた。



これからどう生きていくのか

自分の「恐怖心」や「弱さ」を認識し、
私は、これから「どう生きていきたいのか」

今回、強く想ったことは2つあるが、そのひとつは、

ありのままの自分で生きていきたい。
ありのままとは「良い面も、ダメだと感じる面も含めて、自分自身を認めること」ではないだろうか。今回イベントに参加してそう感じた。

イベント中に、どっちの生き方がしたいのか自分に問いかけた。
「ダメなやつと思われることを恐れて生きていくのか」「怖いけどその自分を認めて、本当の自分で生きていくのか」。

後者だった。自分らしく生きていきたい。恐れを抱きながら自分らしく生きれないよりも、弱い自分も含めて「これが自分ですけど、どうですか?」と胸張って生きていきたい。

本当の自分は、家族が見当たらないと寂しくて泣いていた自分や大好きな彼女に振られるのが怖くてずっと正直になれなかった自分。それでいいじゃないか。カッコ悪くていいじゃないか。自分の弱さと真正面から向き合い、それを認めることが、成長の第一歩だろう。

そして自分は、「強さ」と「優しさ」を兼ね備えた人は、どんな人だろうかと長らく考えてきた。今回その答えが自分なりに明らかになった気がする。

本当の強さとは「自分の弱さを認めることができること」そして本当の優しさとは「相手の弱さを理解し、受け入れてあげられること」だと感じた。

よって、

「自分が、ありのままで堂々と生きており、そして人のありのままを引き出し、受け入れることができる人が強さと優しさを兼ね備えた人」

私は、そんな人ととして生きていきたい。

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最後まで読んでくれた方、ありがとうございました(><)

次回は、「竹山、努力やめます。」

です!!!お楽しみに!!!!



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