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あれから11年。

写真は岩手県岩泉町、宇霊羅(ウレイラ)山にある「龍泉洞」。地下空間が3,600mまで確認されていて、総延長は5,000m以上に及ぶと推測されていて今でも未開の領域が残る鍾乳洞です。吸い込まれそうなぐらい綺麗な青で、本当は恋人と一緒に行くところだそうだが、恋人(現妻)を置いて一人旅でいきました。置いてかれて怒った恋人と一年後には妻として一緒に福島で大内宿、相原合掌造りと足を運びました。我々夫婦にとって東北は思い出の地です。

震災の日のことは今でも覚えている。私は市ヶ谷駅にある弁護士事務所の補助者として働いてました。いつもより大きく揺れてるなと思ったらさらに揺れが大きくなり、中々揺れも治らない。棚から書類や本がバサバサ落ちてくる中、棚だけは倒さないようにみんな本棚を抑えてたのを覚えてる。今思えば明らかに間違った行動だったなぁ。揺れも落ち着き、床に散らばった書類を拾って、とりあえず親や彼女(現妻)に連絡をとるも携帯はずっと回線がパンクしてるし、固定電話も繋がらない。こんな時に役に立ったのが、mixiの足跡機能やTwitterのタイムライン。災害対応におけるソーシャルメディアの活用ご有効的で政府も災害情報や物資の支援に関する呼びかけを積極的に行っていて、この辺からSNSを本格的に情報拡散の場として使い始めていたと思う。その日は電車やバスと言った公共インフラは全て止まっていて、タクシーも大渋滞で全く動かず、家まで帰る手立てが無くなった仕事場の先輩達と朝まで飲み屋とカラオケで過ごしたのを覚えてる。早朝になって電車が動き始めたが、とりあえずJRは運転再開が遅く、メトロや私鉄が最初に動き始めたので、都営新宿線で新宿駅まで出て小田急線で藤沢駅、そこからタクシーと3時間以上かけて家に帰った。でも帰る場所があるだけよかったんだな。家に帰ってテレビを見たら、倒壊する建物、津波で流された家、帰る事ができない人たち。11年たった今でも3万8139人が避難生活をしている。他人事ではない。微力ながらも復興の力になりたいと思う。そして必ず後世に伝えていきたいと思う。

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