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こだわった部分は良くなるはず

昨日ラーメン食べたのに、今日もカップ麺食べてしまった。悪玉コレステロール値が要経過観察なのに自制でき無かったことに反省。というわけで朝起きたら腹筋、腕立て、スクワットをとりあえず40回づつやってチャラ(?)にしました。

さて話は変わって、ドラマのワンシーンで、廃れていく街やお店を外から来た新参者が再建を図ろうとし、自分の考えや意思を古参のメンバーたちに伝えると「お前に何がわかる。」「今までこれでやってきたものを他所者が引っ掻き回すな。」など言葉を浴びせられるなんてシーンを見るが、何もこういった事は地域復興のためのまちづくりを一生懸命慢心する政治家や、まちづくり専門コンサルティングに限った事じゃなくて、考え方が凝り固まった人間が集まる小さなコミュニティにありがちな風景です。この同調圧力は先頭立って反対している人達だけでなくて、そう言った状況に迫られている状況に見て見ぬ振りをする人達も無意識のうちに加担している。学校のイジメの構図でいう、いじめられている人間をかわいそうと言いつつ何もしない人種だ。飲食店時代に売上やモラルが下降傾向にある店舗に回される事がありましたが、結果が残ってない店舗ほど、無駄なこだわりと思想、馴れ合い、自分達のやり方への理解を求めてくるパターンが多くて店長経験が浅かった頃はこの同調圧力に潰されて心が病んだことも何度かあった。この同調圧力を跳ね返したら、沢山のスタッフが辞めて店舗が回らないなんて事も何度となく経験した。結局こういった状況は失敗によるものも沢山あったが、思い返せば痛みを伴わないで復活させる方法なんてなかったなと思う。結局その選択肢が正しいかどうかは分からない事が多かったけど、結果として自分がこだわった部分の数字が回復していくのを見るのは達成感がある。なんでこれをやるのか?それをこだわると決めて、どうやるのが結果として残るか。やり方の整合は常に動いてる中にこそ見えるから、トライアンドエラーで改善を図るしかないんだな。

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