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02.史上最強のモデル生物 キイロショウジョウバエ:理化学研究所 神戸地区 一般公開2023 BDR いきいきいきもん から学んだこと その01

2023年11月03日、私は理化学研究所 神戸地区(以下神戸地区,図01)を訪れ、一般客として理化学研究所 神戸地区 一般公開2023 BDR いきいきいきもん(以下「いきいきいきもん」,[1],[2])に参加した。なお、理化学研究所 神戸地区 一般公開は、神戸医療産業都市 一般公開2023の一環でもある([3])。

「02.史上最強のモデル生物 キイロショウジョウバエ」で、生命機能科学研究センター(RIKEN Center for Biosystems Dynamics Research:BDR)動的恒常性研究チーム(以下同チーム,[4],[5],[6])は、キイロショウジョウバエを用いて、以下の疑問の解決を目指していることを伝えた。

1.がんは生物にどのような影響を与えるのか?

2.老化のメカニズムはいったい何か?

3.生物は栄養異常にどう対応するか?

4.組織幹細胞はどうして死なないのか?

5.新しい細胞死エレボーシスはどのように制御されるか?

同チームは研究用モデル生物として、キイロショウジョウバエを紹介した(図01.01,[7])。なお、キイロショウジョウバエの研究には100年もの歴史がある(図01.02,[8])。

図01.01.史上最強のモデル生物 キイロショウジョウバエ。
図01.02.ショウジョウバエ研究 100年の歴史。

キイロショウジョウバエには、5,000種類を超える遺伝子変異体(ミュータント)が見つかっているが、白眼のショウジョウバエ(遺伝子名(遺伝子記号):white(w))は、1910年に偶然発見されたキイロショウジョウバエの変異体の1つである。キイロショウジョウバエの眼の赤い色素は、人間の眼の虹彩と同じような役割を持っているので、白眼の個体は、像がシャープに見えないと考えられる(図01.03,図01.04,[9],[10])。

図01.03.ショウジョウバエ研究の必殺技:ミュータント。
(a)野生型:眼が赤い。
(b)白眼:変異遺伝子white(w)を有するので、眼が白い。
図01.04.ショウジョウバエ 20倍。

同チームは、キイロショウジョウバエの成虫原基(Imaginal disk:イマジナル ディスク)を解説した(図01.05)。

図01.05.キミはイマジナル ディスクをみたことがあるか?。

キイロショウジョウバエの幼虫では、将来成虫の体を構成する組織(成虫原基)の細胞が増殖・分化している。がん遺伝子Srcは翅の成虫原基において、細胞増殖と細胞死の両方を誘導することが知られている。 

2021年04月27日、ユ・サガン チーム リーダー(同チーム、理研開拓研究本部Yoo生理遺伝学研究室主任研究員、神戸大学大学院医学研究科客員准教授)、西田弘大学院生リサーチ・アソシエイト(開拓研究本部ユ生理遺伝学研究室)、および、南康博教授(神戸大学 大学院 医学研究科 細胞生理学部門)らの国際共同研究グループは、Srcによるがん化を再現するため、翅成虫原基でSrcが常に活性化しているキイロショウジョウバエを遺伝子組換えで作り出すことで、Srcが活性化するとslpr遺伝子が活性化し、その結果、p38が細胞増殖を、JNKが細胞死を促進することを突き止めたことを発表した。また、食餌中のメチオニンを操作することで、p38による細胞増殖だけを抑制することができ、細胞のがん化を抑制できることを突き止めたことも発表した。

本研究は、ショウジョウバエの成虫原基を用いて、がん遺伝子Srcが細胞増殖と細胞死を同時に駆動することを明らかにしたものである。細胞ががん化する分子機構は、ショウジョウバエと哺乳類で同じ分子機構が存在することが知られているため、本研究成果は、将来ヒトのがん発生機構の解明にも貢献すると期待できる。

ヒトの多くのがんでも、Srcが活性化していることから、今回のショウジョウバエで発見した分子機構がヒトの細胞のがん化機構にも関わっているのか、また、ヒトにおけるメチオニンと細胞増殖の抑制の関係を調べることが今後の課題である([11])。

最後に、同チームはキイロショウジョウバエの腸や腸細胞のイラストを展示した(図01.06)。

図01.06.キイロショウジョウバエの腸や腸細胞のイラスト。
Gut:腸。Enterocyte:腸細胞。Intestinal Stem Cell:腸幹細胞。Enteroendocrine cell:腸内分泌細胞。

老化したショウジョウバエの死因の1つとして、腸幹細胞のがん化が知られている。

2021年04月06日、ユ・サガン チーム リーダー(同チーム、理研開拓研究本部Yoo生理遺伝学研究室主任研究員、神戸大学大学院医学研究科客員准教授)、佐々木彩伽研修生(研究当時:開拓研究本部Yoo生理遺伝学研究室)、高野智美テクニカルスタッフ(生命機能科学研究センター動的恒常性研究チーム、Yoo生理遺伝学研究室特別技術員)、および、西村隆史チーム リーダー(研究当時:成長シグナル研究チーム)らの共同研究グループは、野生型ショウジョウバエの老齢個体では腸幹細胞でwhite遺伝子の発現が増加する結果、葉酸代謝物が蓄積し、細胞が過増殖することを突き止め、さらにwhite遺伝子の機能もしくは葉酸代謝物の蓄積を抑えることで、腸幹細胞のがん化を抑制し、個体の寿命が伸びることも発見したことを発表した。

この研究で、ショウジョウバエで最初に発見された白色眼変異体であるホワイト(white)が着目された。野生型では老化に伴う腸幹細胞の過増殖が観察された一方、white変異体では過増殖は認められなかった。

white遺伝子がコードする膜タンパク質の一種であるATP結合カセット輸送体 (ATP-binding cassette transporters、ABCトランスポーター)は、葉酸代謝物の膜を隔てた輸送を促進する働きを持つ。腸幹細胞でのwhite遺伝子の発現は若齢では低く、老齢では高い。そのため、老化に伴い腸幹細胞に蓄積した葉酸代謝物がDNA合成を促進し、細胞の過剰な増殖を引き起こすことが示された。

人為的に腸幹細胞でwhite遺伝子の発現を抑制したり、葉酸代謝物の蓄積を抑制したりすることで、腸幹細胞のがん化が抑えられ、ショウジョウバエの寿命が伸びることが分かった。さらに、DNA合成阻害薬を投与した場合も、老化に伴う腸幹細胞のがん化が見られなくなった([12])。


また、2022年04月26日、ユ・サガン チーム リーダー(同チーム、理研開拓研究本部Yoo生理遺伝学研究室主任研究員、神戸大学大学院医学研究科客員准教授)、ハンナ・シエシエルスキー国際プログラム・アソシエイト(研究当時:開拓研究本部ユ生理遺伝学研究室、現:神戸大学大学院医学研究科博士課程学生)、西田弘(研究当時:特別研究員、現:ハーバード大学研究員)、および、古瀬幹夫教授(生理学研究所)らの共同研究グループは、ショウジョウバエを用いて、腸の細胞ではアポトーシスが起きるのではなく、これまで知られていなかったタイプの細胞死が腸細胞の入れ替わりを制御することを発見したことを発表した。この新しい細胞死は、その過程でさまざまなタンパク質が失われ、蛍光顕微鏡下では細胞が黒く見えることから、「エレボーシス(暗黒の細胞死)」と命名された。

共同研究グループはまず、腸細胞のターンオーバーを制御すると考えられてきたアポトーシスを止める操作を行い、それが腸の恒常性維持に影響するかどうかを調べた。その結果、定説とは異なり、アポトーシスを止めた場合でも、腸の恒常性維持には全く影響しないことが分かった。

この結果を受けて、アポトーシス以外の原因で腸細胞が恒常的に死ぬ仕組みを探る過程で、アンギオテンシン変換酵素(angiotensin converting enzyme:Ance)が腸の管腔側の腸細胞の一部で発現することを偶然見出した。

Ance発現細胞の形態は非常に扁平で、細胞機能にとって重要な核膜、ミトコンドリア、および、細胞骨格などを失っていた。

最終的には、Ance発現細胞はDNAを失い、死にゆく細胞であることが分かった。この細胞は多くのタンパク質を失い、顕微鏡下では真っ黒に見えることから、共同研究グループはこの新しい細胞死を「エレボーシス」と名付けた。「エレボス」は古代ギリシア語で「暗黒」を指す単語で、エレボーシスは「暗黒の細胞死」という意味になる。

これまでに知られている細胞死は、病理学的な特徴からアポトーシス、ネクローシス、および、オートファジーの大きく3種に分けられてきたが、エレボーシスはこれら3つの細胞死のいずれの特徴も示さない。

さらに、エレボーシスが起こっている細胞を詳細に調べたところ、その周りに腸幹細胞が集まっていることが観察された。これにより、エレボーシス細胞は腸幹細胞から分化した新しい腸細胞に置き換えられ、腸のターンオーバーが成立していることが分かった。以上の結果から、ショウジョウバエの腸の恒常性維持は、従来考えられていたアポトーシスではなく、新しい細胞死であるエレボーシスによって制御されていることが明らかになった。

本研究成果には2つの大きな意義がある。

1つ目は、腸の恒常性維持において、細胞の置き換わりの分子機構がアポトーシスによるものではないことが明らかになったことである。

2つ目は、新しい細胞死「エレボーシス」の発見である。

共同研究グループは今後、エレボーシスがヒトの腸などでも存在するかの検証や、エレボーシスの詳細な分子機構の解明に取り組む予定である([13])。


最後に、同チームによる最新研究を2つ紹介する。

2023年02月02日、ユ・サガン チーム リーダー(同チーム、理研開拓研究本部Yoo生理遺伝学研究室主任研究員、神戸大学大学院医学研究科客員准教授)と池川 優子 大学院生リサーチ・アソシエイトらの国際共同研究グループは、ショウジョウバエにおいて従来存在しないと考えられていたアポトーシス関連遺伝子を発見し、サヨナラ(sayonara)と命名したことを発表した。サヨナラ遺伝子は、これまでの定説とは異なり、哺乳類や線虫と同じ仕組みのアポトーシス制御に関わる重要な遺伝子であることが分かった。

この研究成果の最大の意義は従来の定説を覆し、ショウジョウバエ・線虫・哺乳類でアポトーシスの起こる仕組みが、予想されていた以上に似ていることを示したことで、現在教科書に書かれている細胞死の記述を書き換える学術的発見である。

これまでショウジョウバエ・線虫・哺乳類での研究が、細胞死の仕組みの理解につながってきたように、今回発見されたサヨナラ遺伝子の機能をさらに詳細に解析していくことで、将来、哺乳類を含めた普遍的な細胞死の分子機構の解明につながるものと期待できる([14])。


2023年05月16日、岡田守弘 研究員(同チーム、理研 開拓研究本部 Yoo生理遺伝学研究室 研究員)とユ・サガン チーム リーダー(同チーム、理研開拓研究本部Yoo生理遺伝学研究室主任研究員、神戸大学大学院医学研究科客員准教授)らの研究チームは、ショウジョウバエ幼虫の将来眼になる組織に発生させたがん細胞から、タンパク質のネトリンが分泌されることを発見したことを発表した。ネトリンは、がん細胞から離れた脂肪体に作用し、全身の脂肪酸代謝の恒常性を乱していた。一方、がん細胞からのネトリン分泌や脂肪体組織におけるネトリンの作用を阻害すると、がん細胞自体には影響はなかったものの、個体の生存率が上昇することが分かった。

最終的に、がん細胞で生成されたネトリンは、がん細胞から離れた脂肪体組織においてカルニチンの産生を抑制し、個体全体でのカルニチン量を低下させていることが分かった。カルニチンは細胞内の脂肪酸をエネルギーに変える脂肪酸代謝に必須なため、カルニチン量の低下がエネルギー不足を引き起こし、個体を死に至らせることが示された。

がん細胞から離れた脂肪体組織のネトリン受容体やその下流のシグナルを抑制すると、カルニチン量が上昇し、個体の生存率が著しく上昇した。その際、がん細胞自体には影響はなかった。また、がんを発症した個体に不足しているカルニチンや、カルニチンの働きで作られるアセチルCoAを投与すると、生存率が回復できることも分かった。

この研究成果の最大の意義は、ネトリンが、離れた臓器同士を連関させる液性シグナルとして機能し、がん悪液質に関与することの発見である。ヒトの場合でもがん患者には、血液や尿におけるネトリン量の上昇と、血液で検出されるカルニチン量の低下が認められる。この2つはこれまで一見無関係な現象と考えられてきたが、この研究のショウジョウバエがんモデルは、がん患者のがん悪液質の生理状態を反映したモデルになる可能性がある。ネトリンを標的としたがん治療について、今後の検証が待たれる。

さらにこの研究では、がん細胞自体を変化させなくても、がん細胞から離れた組織の代謝状態を変化させるだけで、個体の死を回避させられることが示された。この成果は、たとえがんが存在したとしても、全身症状のコントロールにより生存率の改善を目指せる可能性があることを示している([15])。


本記事で、キイロショウジョウバエを紹介しただけでなく、それを用いる同チームによるがん関連研究を紹介できたことは、私にとっては非常に有意義なことである。

また、ショウジョウバエががん研究のモデル生物として、長年使用されていることを、私は初めて知った。

その意味では、私は同チームに感謝している。


参考文献

[1] 国立研究開発法人 理化学研究所 神戸事業所.“理化学研究所 一般公開 in 神戸 2023 ホームページ”.https://www.kobe.riken.jp/event/openhouse/23/#outline,(参照2023年11月06日).

[2] 国立研究開発法人 理化学研究所 神戸事業所.“いきいきいきもん”.理化学研究所 一般公開 in 神戸 2023 ホームページ.https://www.kobe.riken.jp/event/openhouse/23/bdr_ja.html,(参照2023年11月06日).

[3] 公益財団法人 神戸医療産業都市推進機構.“神戸医療産業都市(KBIC) 2023 一般公開 ホームページ”.https://www.fbri-kobe.org/kbic/ippankoukai/,(参照2023年11月06日).

[4] 国立研究開発法人 理化学研究所.“生命機能科学研究センター 動的恒常性研究チーム チームリーダー YOO Sa Kan(M.D., Ph.D.)”.理化学研究所 ホームページ.研究室紹介.生命機能科学研究センター.https://www.riken.jp/research/labs/bdr/physiol_gen/index.html,(参照2023年11月08日).

[5] 国立研究開発法人 理化学研究所 生命機能科学研究センター.“チームリーダー YOO Sa Kan MD, Ph.D. 動的恒常性研究チーム”.理化学研究所 生命機能科学研究センター ホームページ.研究.研究室.https://www.bdr.riken.jp/ja/research/labs/yoo-sk/index.html,(参照2023年11月08日).

[6] 国立研究開発法人 理化学研究所 生命機能科学研究センター 動的恒常性研究チーム チームリーダー YOO Sa Kan MD, Ph.D..“SCIENCE”.Physiological Genetics / Homeodynamics ホームページ.THE YOO LAB.https://www.yoolab.website/science,(参照2023年11月08日).

[7] 学校法人 東邦大学.“ショウジョウバエ (fruit fly)”.東邦大学 トップページ.理学部.生物分子科学科.高校生のための科学用語集.生物用語.https://www.toho-u.ac.jp/sci/biomol/glossary/bio/fruit_fly.html,(参照2023年11月08日).

[8] 国立大学法人 新潟大学 脳研究所.“シンプルなモデル生物、ハエを利用したヒトの疾患研究”.新潟大学 脳研究所 ホームページ.研究活動.脳研コラム.2020年05月18日.https://www.bri.niigata-u.ac.jp/research/column/001335.html,(参照2023年11月08日).

[9] 東京都公立大学法人 東京都立大学 理学研究科 生命科学専攻 進化遺伝学研究室・細胞遺伝学研究室.“ショウジョウバエに関するFAQ”.東京都立大学 ショウジョウバエ ホームページ.https://www.biol.se.tmu.ac.jp/fly/FAQ.html,(参照2023年11月09日).

[10] 東京都公立大学法人 東京都立大学 理学研究科 生命科学専攻 進化遺伝学研究室・細胞遺伝学研究室.“ショウジョウバエ実験法(初級編)”.東京都立大学 ショウジョウバエ ホームページ.https://www.biol.se.tmu.ac.jp/fly/method-basic.html,(参照2023年11月09日).

[11] 国立研究開発法人 理化学研究所.“増えるべきか死ぬべきか、それががん化の分かれ道だ -食餌によりがん細胞の生死を操作できる-”.理化学研究所 ホームページ.研究成果(プレスリリース).研究成果(プレスリリース)2021.2021年04月27日.https://www.riken.jp/press/2021/20210427_2/index.html,(参照2023年11月11日).

[12] 国立研究開発法人 理化学研究所.“老化による幹細胞のがん化機構の発見-ショウジョウバエwhite変異体の発見から111年目の新展開-”.理化学研究所 ホームページ.研究成果(プレスリリース).研究成果(プレスリリース)2021.2021年04月06日.https://www.riken.jp/press/2021/20210406_2/index.html,(参照2023年11月11日).

[13] 国立研究開発法人 理化学研究所.“暗黒の細胞死の発見-腸の恒常性維持の仕組みに迫る、従来の定説を覆す発見-”.理化学研究所 ホームページ.研究成果(プレスリリース).研究成果(プレスリリース)2022.2022年04月26日.https://www.riken.jp/press/2022/20220426_2/index.html,(参照2023年11月11日).

[14] 国立研究開発法人 理化学研究所.“細胞死を引き起こすサヨナラ遺伝子-存在しないと考えられていた遺伝子の発見-”.理化学研究所 ホームページ.研究成果(プレスリリース).研究成果(プレスリリース)2023.2023年02月02日.https://www.riken.jp/press/2023/20230202_1/index.html,(参照2023年11月11日).

[15] 国立研究開発法人 理化学研究所.“がん悪液質に関わるがん細胞分泌タンパク質の発見-がんが引き起こす全身症状を治療するための新たな標的の可能性-”.理化学研究所 ホームページ.研究成果(プレスリリース).研究成果(プレスリリース)2023.2023年05月16日.https://www.riken.jp/press/2023/20230516_2/index.html,(参照2023年11月11日).

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