見出し画像

13.研究ロボット「まほろ」に会いに行こう:理化学研究所 神戸地区 一般公開2023 BDR いきいきいきもん から学んだこと その04

2023年11月03日、私は理化学研究所 神戸地区(以下神戸地区,図05)を訪れ、一般客として理化学研究所 神戸地区 一般公開2023 BDR いきいきいきもん(以下「いきいきいきもん」,[1][2])に参加した。なお、理化学研究所 神戸地区 一般公開は、神戸医療産業都市 一般公開2023の一環でもある([3])。

生命機能科学研究センター(RIKEN Center for Biosystems Dynamics Research:BDR)バイオコンピューティング研究チーム(以下同チーム,[4][5][6])は、以下の研究に関わっている。

1.細胞シミュレーション技術の開発。特にゲノム情報からの自動モデル生成や1分子粒度の離散事象シミュレーション技術、またソフトウェア基盤E-Cellの開発。

2.ロボットと人工知能による実験自動化技術の開発。特に人工多能性幹細胞(iPS細胞)等の培養と分化誘導の自動化や細胞状態の推定と制御。

3.神経科学や細胞内反応ネットワークに触発された新規の情報処理手法の開発。特に全脳アーキテクチャの開発や高性能脳型人工知能基盤ソフトウェアBriCAの開発。

「13.研究ロボット「まほろ」に会いに行こう」で、同チームは汎用ヒト型ロボット「LabDroidまほろ」(以下「まほろ」)を展示した。

高橋恒一チームリーダーらは自動で実験計画を立案するAIを開発し、AIと「まほろ」に自らiPS細胞のより良い培養条件を発見させることに成功した。高橋チームリーダーが提唱する「AI駆動型科学」の将来像を予見させるような成果である。

この研究は、高橋チームリーダーが進める「研究現場のデジタルトランスフォーメーション(DX)」の1つの先行例でもある。生命科学では遺伝子の配列情報やタンパク分子の機能などのデータをコンピュータに解析可能なかたちで公開するオープン サイエンスの文化が比較的成熟しており、デジタル技術との相性が良い。また、分子細胞生物学は実験が実験室の中で完結しており、境界条件が比較的明瞭である。つまり、ロボットが正確な実験を何度も繰り返すことでAIの学習に適したデータを大量に取得できる。生命科学は研究DXの起点に適した分野の1つである。

料理にはレシピには載っていないコツがある。生命科学の実験にも、論文に書かれた手順だけでは分からないコツがある。匠の技や暗黙知と呼ばれるものである。具体的には、実験室の温度や試薬の上手な混ぜ方など、論文には書かれない細かい手順や手技のことである。実験用ロボットである「まほろ」は、室温などの環境条件を含めて、実験の全てを記録できる。その記録を利用すれば、他の研究室でも全く同じ条件でロボットに実験を行わせることが可能だ。つまり、匠の技を世界中で共有できるのである。

実験用ロボットが正確に実験を再現できることは、研究結果の信頼性を高めることにも繋がる。生命科学や医学の分野では、論文に書かれた手順で実験を行っても同じ結果が得られない(再現性がない)ことがあるという問題が以前から指摘されてきた。これは実験を行う人の習熟度や実験環境の違いが一因だと考えられている。こうしたロボットを使えばそのような違いを生む様々な要因の大半を制御下に置くことができる(図04.01,[7])。 

図04.01.汎用ヒト型ロボット「LabDroidまほろ」。

「まほろ」に関する研究成果は以下の通りである。

1.2020年12月04日、同チームの髙橋チームリーダー、落合幸治大学院生リサーチ・アソシエイト、網膜再生医療研究開発プロジェクトの許沢尚弘大学院生リサーチ・アソシエイトらの共同研究グループは、これまで人間が行ってきた基礎研究における細胞培養の動作・判断を、ロボットとAIに置き換えるシステムを開発したことを発表した。これは、培養動作を行う「手」に相当する部分として「まほろ」を用い、細胞の観察結果を判断する「頭」に相当するAIソフトウェアを新たに開発し、結合させたものである。本システムの性能の実証実験としてヒト胎児腎(HEK293A)細胞の維持培養を行い、実際に自律細胞培養が実行可能であることを示した。

本研究では、汎用ヒト型ロボットとAIソフトウェアを組み合わせることで、人間が途中介在することなく、哺乳類細胞を維持培養し続けることに成功した。今後は、対象細胞の拡充や、より複雑な条件分岐が実装されることにより、さまざまな細胞種の培養や、生命科学研究の効率向上や加速に寄与するものと考えられる。

また、昨今の新型コロナウイルス感染症の流行は、研究施設の停止や立ち入り制限など学術研究に多大な影響を及ぼしているという指摘がある。本研究の結果は、遠隔実験・自動実験が要請されるコロナ時代の新研究スタイルの確立に資するものとして期待できる。

さらに近年、特に生命科学分野において、人間の手作業による実験操作では、実際にどのように操作したのかの客観的な記録(ログ)が欠落しており、後から検証することが極めて難しいという問題が指摘されている。実験をロボットに任せることにより、トレーサビリティ(追跡可能性)が担保された客観的なログの取得が可能になるため、実験の実行記録と結果の生データを結合した新たなデータサイエンスの創出につながると期待できる([8])。

2.2022年06月28日、理化学研究所(理研)生命機能科学研究センター網膜再生医療研究開発プロジェクト(研究当時)の神田元紀上級研究員(研究当時、現バイオコンピューティング研究チーム上級研究員)、髙橋政代プロジェクトリーダー(研究当時、現バトンゾーン研究推進プログラム眼科領域遺伝子細胞治療研究チーム客員研究員、株式会社VC Cell Therapy代表取締役)、同チームの髙橋チームリーダー、ロボティック・バイオロジー・インスティテュート株式会社の夏目徹取締役、エピストラ株式会社の都築拓取締役・CTO、および、小澤陽介代表取締役・CEOらの共同研究グループは、「まほろ」と新たに開発したAIソフトウェア(最適化アルゴリズム)を組み合わせたシステムを設計し、このシステムがiPS細胞から網膜色素上皮細胞(RPE細胞)への分化誘導工程において、分化誘導効率を高める培養条件を人間の介在なしに自律的に発見できることを実証したことを発表した。

本研究の成果は、科学の自動化を達成するための要素技術となり、生命科学実験全般の効率的な試行錯誤や再現性の向上に寄与し、生命科学研究を加速するものと考えられる。本研究では、iPS細胞からRPE細胞への分化誘導工程をモデルとした実証を行ったが、原理的には「まほろ」と最適化アルゴリズムの組み合わせを用いることで、多くの生命科学実験における試行錯誤を自律的に遂行可能になると考えられる。

分化誘導や細胞移植を伴う再生医療の基礎研究では、高水準の細胞培養が求められるが、培養者の手技の差や暗黙知に起因して効率的な技術移転が難しいことが知られており、研究の進展における大きな問題の1つになっている。本研究の成果は「専門家の手技に依存することなく、ロボットとAIのみで専門家と同等の高品質な結果を得る条件の探索に成功した」とも捉えることができる。技術移転がかなわずに共有されてこなかった「匠の技」を広く世界に開放するための1つの方法論になりえると期待できる。

これからの生命科学分野の実験室では、ロボット・AI・人間の協同作業がこれまで以上に増えることが予想される。今回のシステムでは、対象工程・探索範囲・評価値の定義は専門知識を持つ人間が担当し、ロボットとAIが実験の試行錯誤をするという役割分担がなされている。この役割分担により、研究者は知的創造に専念することが可能になる([9])。

3.2023年11月30日、同チームの神田 元紀 上級研究員(神戸市立神戸アイセンター病院研究センター 研究員)、株式会社VC Cell Therapyの髙橋 政代 代表取締役社長(神戸市立神戸アイセンター病院研究センター 顧問)、ダイダン株式会社技術研究所の古川 悠 課長代理、ロボティック・バイオロジー・インスティテュート株式会社の松熊 研司 代表取締役社長らの共同研究グループは、ヒューマノイドロボットを実際の網膜再生医療の臨床研究で利用するために、移植用細胞の調製に不可欠な実験空間の清浄度をクリアしたロボット用細胞培養加工施設「R-CPF(Robotic Cell Processing Facility)」を世界で初めて開発したことを発表した。

このR-CPFで培養したiPS細胞を用いる臨床研究は、2022年02月に厚生労働省の承認を受けた。今後、ヒューマノイドロボットを臨床の現場で使用可能とすることで、再生医療の拡大に貢献すると期待できる。

再生医療に用いられる移植用の細胞の製造は、培養環境の無菌化と高い操作再現性が求められ、作業者への負担が大きいことが課題となっている。この課題の解決策として、ロボットの導入による細胞製造工程の自動化が注目されている。今回、共同研究グループは、「まほろ」と、コンパクトなクリーンルームユニットAll-in-One CP Unitを組み合わせたシステムを設計し、臨床研究に必要なレベルの清浄度での細胞調製の自動化が可能であることを実証した。

本研究の成果は、これまで作業環境が整わずロボットを導入できなかった臨床研究での細胞培養工程へのロボットの導入を可能とした。ロボットの導入による作業者の負担低減、作業者の教育コストの低減、作業の再現性の向上は、再生医療・細胞治療コストの低減につながることが期待される。

神戸市立神戸アイセンター病院に設置したR-CPFを細胞培養加工施設として利用する臨床研究は、2022年02月に厚生労働省の承認を受けた。また、2022年12月には本臨床研究において細胞調製作業の一部にR-CPFを利用したことを公表した。この臨床研究では、ロボットによる作業は、凍結解凍したRPE細胞の培養の一部工程のみが承認されている。今後、対象工程は順次追加されていく予定である。

また、基礎研究の成果を臨床の現場に応用する「トランスレーショナル・リサーチ」では、応用しようとする研究成果の各工程を担当する者が異なる場合が多く、基礎から臨床への橋渡しがうまく進まない事例がある。本研究でR-CPFに用いたロボットは、これまでの基礎研究で用いているものと同じヒューマノイドロボットを採用した。これにより、基礎研究の研究室(理研など)のロボットで発見・確立した培養条件を、そのまま臨床現場(神戸市立神戸アイセンター病院など)のロボットで実行することが可能となる。人間を介した技術移転の必要がなくなるため、基礎研究と臨床現場の橋渡しが容易となり、治療開発をさらに加速させることが期待される([10])。


また、同チームは「まほろ」以外のロボットを用いる研究も発表している([11])。

 

この種のロボットの普及により、再生医療が広範かつ低価格で普及されることが期待される([12])。



参考文献

[1] 国立研究開発法人 理化学研究所 神戸事業所.“理化学研究所 一般公開 in 神戸 2023 ホームページ”.https://www.kobe.riken.jp/event/openhouse/23/#outline,(参照2024年02月18日).

[2] 国立研究開発法人 理化学研究所 神戸事業所.“いきいきいきもん”.理化学研究所 一般公開 in 神戸 2023 ホームページ.https://www.kobe.riken.jp/event/openhouse/23/bdr_ja.html,(参照2024年02月12日).

[3] 公益財団法人 神戸医療産業都市推進機構.“神戸医療産業都市(KBIC) 2023 一般公開 ホームページ”.https://www.fbri-kobe.org/kbic/ippankoukai/2023/,(参照2024年02月18日).

[4] 国立研究開発法人 理化学研究所.“バイオコンピューティング研究チーム チームリーダー 高橋 恒一(Ph.D.)”.理化学研究所 ホームページ.研究室紹介.生命機能科学研究センター.https://www.riken.jp/research/labs/bdr/biochem_sim/index.html,(参照2024年02月18日).

[5] 国立研究開発法人 理化学研究所 生命機能科学研究センター.“チームリーダー高橋 恒一 Ph.D. バイオコンピューティング研究チーム”.理化学研究所 生命機能科学研究センター ホームページ.研究.研究室.https://www.bdr.riken.jp/ja/research/labs/takahashi-k/index.html,(参照2024年02月18日).

[6] 国立研究開発法人 理化学研究所 生命機能科学研究センター バイオコンピューティング研究チーム.“バイオコンピューティング研究チーム トップページ”.https://lbc.riken.jp/,(参照2024年02月18日).

[7] 国立研究開発法人 理化学研究所.“DXとAIが新しい科学の世界を切り開く”.理化学研究所 ホームページ.広報活動.クローズアップ科学道.クローズアップ科学道 2022.11月.研究最前線.2022年11月04日.https://www.riken.jp/pr/closeup/2022/20221104_1/index.html,(参照2024年02月18日).

[8] 国立研究開発法人 理化学研究所.“ヒューマノイドロボットとAIによる自律細胞培養-遠隔・自動実験によるコロナ時代の新研究スタイル-”.理化学研究所 ホームページ.研究成果(プレスリリース).研究成果(プレスリリース)2020.2020年12月04日.https://www.riken.jp/press/2020/20201204_1/index.html,(参照2024年02月18日).

[9] 国立研究開発法人 理化学研究所.“再生医療用細胞レシピをロボットとAIが自律的に試行錯誤-ロボット・AI・人間の協働は新しいステージへ-”.理化学研究所 ホームページ.研究成果(プレスリリース).研究成果(プレスリリース)2022.2022年06月28日.https://www.riken.jp/press/2022/20220628_2/index.html,(参照2024年02月18日).

[10] 国立研究開発法人 理化学研究所.“ヒューマノイドロボットは再生医療の現場へ-移植用細胞の調製を自動化する細胞培養加工施設を開発-”.理化学研究所 ホームページ.研究成果(プレスリリース).研究成果(プレスリリース)2023.2023年11月30日.https://www.riken.jp/press/2023/20231130_1/index.html,(参照2024年02月18日).

[11] 国立研究開発法人 理化学研究所.“周りを見て考えて手を動かす自動実験ロボ-実験環境を認識しロボットを動かす生成系AIの開発-”.理化学研究所 ホームページ.研究成果(プレスリリース).研究成果(プレスリリース)2023.2023年12月25日.https://www.riken.jp/press/2023/20231225_1/index.html,(参照2024年02月18日).

[12] 株式会社 日経BP.“再生医療の普及を進めるか?ロボットによる実験自動化”.日経メディカル ホームページ.医師TOP.記者の眼.2023年07月10日.https://medical.nikkeibp.co.jp/inc/mem/pub/eye/202307/580344.html,(参照2024年02月18日).

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?