「ある人事コミュニティーで出禁になり、コミュニティーマネジメントの難しさを感じた話」(後編:コミュニティーマネジメント編)

はじめまして、限界コンサルタントです。

最近、社外に人脈をつくろうと思い、さまざまなイベントやコミュニティーに顔を出しています。コミュニティーとは、同じような目的や問題意識を持った人が一緒に勉強したり、人脈を広げたりするような場です。

今日は、そういう同じような目的や問題意識を持った人が集まる場で、私自身が出禁になってしまったという話ができればと思います。

私自身の行動がそのコミュニティーにとって頂けなかったということは理解しておりますし、反省しております。ただ、私にもちゃんと伝える場が欲しかったですし、また、出禁になって気づきを得たので、少しでも言葉にできたらと思い初noteをしたためている次第です。
(遠くから、批判するなら論を立てて主張しろと言われたような気がしたので、、、苦笑)

これからやっと、本論というか、この記事のタイトルへのアンサーを書いていこうと思います。

もし、「前編:戦略人事編」が気になる方がいらっしゃいしたら、こちらからお願いします。


なぜ、コミュニティーマネジメントは難しいのか?
それは、コミュニティーが「同じような目的や問題意識を持っている人の集まり」という性質のものだからだと思っています。

具体的には、以下の3つの理由です(なんか、デジャブ。。。苦笑)。

【理由1】同質な人たちはかたまるし、ぶつかる
同じような目的や問題意識を持っている人たちは、目指しているところが近いため、かたまりやすいです。そこには“同じ目的”に対する凝集性が働きます。この点についての異論は少ないのではないかと思います。

一方で、同質的な人たちはぶつかりやすくもあります。有名な劇作家、演出家である平田オリザさんは著書「分かり合えないことから」の中で「文化が近すぎたり、共有できる部分が多すぎて、摩擦が顕在化せず、その顕在化しない「ずれ」が積もり積もって、抜き差しならない状態になったときに噴出し、衝突を起こすという面があるのではないか」と語られています。

また、池田貴将さんの「図解モチベーション大百科」では、ビーガン(動物性のものはいっさい食べない菜食主義者)とベジタリアン(乳製品や卵は食べる菜食家)に「一般の人と比べて相手のことをどう思いますか?」と質問したところ、ビーガンのベジタリアンに対する偏見は、ベジタリアンのビーガンに対する偏見よりも3倍多かったそうです。つまり、人は自分と“主義”が似ているけど、“考えを徹底していない人”のことを嫌う傾向があるのだそうです。

まさに、同じような目的を持っており、同時に、同じ領域で仕事をしているだろう彼を全く受け入れられなかったのは、このような背景だったのではと思います。

【理由2】損得ではない面倒臭さ
コミュニティーへの参加は、基本的に「感情的コミットメント」によるものです。自分が問題だと思っていたり、好きな領域だったり、何かしら内発的動機がないとコミュニティーには参加しないと思います。多くのメンバーが内発的動機でコミュニティーに参加しているのであれば、コミュニティー内のトラブルに対して簡単にお金で解決を図ることが難しいと推察されます。

また、感情的にコミットしがちであるため、コミュニティーに対してあきらめたり、逃げたりするのは自分自身への裏切りと感じてしまうかもしれません。そして、もはや居場所がないにも関わらず、余計にコミュニティーに関与しようとしてトラブルを拡大させてしまう恐れがあります。

損得で割り切れないからこその難しさがあると思います。

【理由3】“想いの大きさ”と“能力・経験”は一致しない
どんなにコミュニティーへの想いが大きかろうが、モチベーションが高かろうが、やりたいことに対して“能力・経験”が追い付いているとは限りません。これは、運営側、参加者側双方に言えると思います。

この“能力・経験”のレベル感を運営側と参加者側、参加者同士でそろえる(コントロールする)ことは非常に困難だと思われます。そうなると、どうしても運営側に高いレベルが求められてしまう気がします。

一方で、運営側が自分たち自身の実力を正しく認識するというのは、認知の観点からもとても難易度が高いでしょう。そのため、コミュニティーというものは、運営側が参加者に対してマウントを取れなくなったとたんに崩壊してしまう恐れを孕んでいるのではないかと思います。


ここまで、コミュニティーをマジメントすることは結構難しそうだということを書いてきました。ここで筆を止めてしまうと“だから、コミュニティーを運営するのはやめよう”というメッセージになると思います。私が大切にしたいのは、批判したいわけではなく、“じゃあ、どうするか?”をみんなで考えることにあります。
では、最後に、私なりの“じゃあ、どうするか?”をまとめて、筆を納めたいと思います。

【運営側】
・目的に立ち返る
コミュニティーには、通常、何かしらの目的があります。そのため、何かトラブルがあった際は、目的に立ち返ることが大事だと思います。上述したように、コミュニティーは同質的な集まりであるため、異質なものを「排除」する傾向にあると思います。目的に照らしても「排除」すべきであれば、そこに正義は無くても大義ありです。ただ、戦略人事の文脈で書いた通り、「異質なもの」を常に「排除」していては組織学習が促進されません。その点をどう捉えるかが大切だと思います。

・コンテクストのずれを埋められるか
異質なものはコンフリクトになりやすいですが、コンテクストのずれ(到達地点や到達方法が少し異なる)というのは、どこがどのようにずれているかをお互いに理解できずにストレスをためやすいものです。運営側は、同質的であるからこそ、この“ずれ”が存在しているということを意識し、 “ずれ”をみんなで乗り越えられるように方向付けしていくことが必要でしょう。

【参加者側】
・人脈を失う覚悟を持つ
コミュニティーは、同じような性質の人が多く集まっています。SWT理論(弱いつながり理論)でいうところの、強いつながりだと思います。そのため、情報の伝達スピードは速く、一度、関係が崩れてしまうとドミノ倒し的に人脈を失うリスクがあります。
コミュニティーに参加する際は、一定程度、人脈を失うリスクがあることを認識しておく必要があると思います。

・潔く去る
コミュニティーは、自分自身も含め感情がうごめいています。そのため、コミュニティーを去る際は、潔く去ることが重要かと思いました。
(このようなnoteを書くこと自体、どうかと思う節もありますが、、、)

以上、「ある人事コミュニティーで出禁になり、コミュニティーマネジメントの難しさを感じた話」でした。

どんなことでも、振り返ることで反省があり、学びがあますね。
本件に関しては、本当に反省しております。

どんなことからでも、学んでいけたらと思います。

限界コンサルタント


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