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『死』を予感できない人

東日本大震災の被災者、そして犠牲になられた方々に対し、侮辱的な動画が公開されたと話題にあがりました。
公開したのは高校生の男性。素顔を晒しての投稿であったため、本名、通っている学校が特定され、批判が殺到しているとのことです。

※尚、検索すると津波映像がありますのでご注意ください

これに関してはまあ当然でしょうね。同情の余地はこれっぽっちもありません。
ご本人はショックを受けているらしいですが、この問題を本質的に理解できているかどうかも怪しいです。何が悪かったのか、それによって何を起こしてしまったのか、よく考え、学び、理解していただきたいと思います。

さて、今回のような件が起きてしまう背景について、私なりに考えていることを書こうと思います。

まず、震災から12年という年月が経ち、風化が始まっていること。
高校生くらいであれば、当時は何が起きたか理解できず、また関心を持っていない限り、そのまま忘れてしまうことは不思議ではありません。
人間誰しも『他人事』には無関心なもの。学校で震災のことを学んだとしても、それは遠い昔の出来事と等価として捉えられる可能性があります。

賢者は歴史に学び、愚者は経験に学ぶ

の言葉通り、大多数の人間は自身の経験にないものから学ぶことは少ないでしょう。
戦争もそう、災害もそう、本来それらは他人事ではなく、自分にも降りかかる恐れのある出来事なのですが、そう思える人間は実は少ない。次世代へどう伝えてゆくか、様々な取り組みがされていますが、難しい課題です。

そして若者は『死』を身近に感じられないこと。
人間は誰でもいつか死にます。それは今日かもしれないし、何十年後かもしれない。しかし、それ故に忌避すべきこととして遠ざけられます。
生存本能ですね。
子供は『死』に恐怖します。お化けを怖がるのは、それが『死』を想起させるからです。成長と共に、「お化けなんていない」と学習し、同時に『死』から遠ざかります。
自分が今日死ぬかも、と思って生活している若者はあまりいないでしょう。同時に自分の周りの人間が死ぬことも想定されません。常に『死』は遠くにあり、それが訪れることはない、と思い込んでいるのです。

最後に、現代の若者の活字離れが叫ばれて久しいですが、読書体験の少なさは私も憂慮しております。
物語を読むことは、疑似体験をすることです。知らない世界を知ることができる、貴重な体験です。
子供時代に紙の本を読む、ということは、その後の人生に大きな影響を与えます。こればかりは電子書籍ではなく、紙の本を読むことが重要です。
読書は想像力を育みます。人間を人間たらしめるものは、この想像力ではないでしょうか。

今回の高校生は、自分の行為が愚かなことだということを想像できませんでした。『死』がどういうものか想像できませんでした。大きな災害が今も被災者を苦しめていることを想像できませんでした。
「明日は我が身」だということを、想像できませんでした。

日本は災害の多い国です。南海トラフ地震も首都直下地震も近い将来に起こる可能性が非常に高いです。
日本全国、安全な所などありません。そういう場所なのです。日本に住んでいる限り、「他人事」では済まされません。
防災意識を高め、少しでも被害が減るよう備えることしかできません。
もし、今回の高校生のように「自分事」として捉えることができない若者が多いのなら、実際の映像を見せることもアリなのではないかと私は思います。

「トラウマになるから子供には見せたくない」

という親御さんもおられるかと思いますが、むしろトラウマにするべきだと思います。それが未来の命を守ることに繋がるのではないでしょうか。

今回の高校生が、あの映像を観ていたら同じことができたでしょうか。
おそらくそんなことはできなかっただろうと私は信じたいです。

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