日本神話(20)天の岩屋戸隠れ 本当は天の岩屋戸籠(こも)り
天の岩屋戸隠れのくだりは、隠(かく)れるという言葉が定着してしまっている感がありますが、これは本来の意味は籠(こも)るです。天照大御神が驚いて隠れたというのは間違いというより少し理解が浅いと思います。闇は闇というものがあるのではなく光の不在だというのは、谷口雅春先生の言葉ですが、天照大御神は自らのお考えで岩屋戸にお籠りになったのです、これは光の不在、闇の中で様々な禍(わざわい)が出現します。今もコロナ騒ぎでだんだん世の中が暗くなっており光が遮られようとしています。光の不在の状態に近づきつつあります。さて、神々はどんな方法で この危機を乗り越えたのでしょうか。参考になります。
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是(ここ)を以(も)て八百萬(やおよろず)の神 天安之河原(あめのやすのかわら)に神集(かむつど)ひ集(つど)ひて、高御産巣日神(たかみむすびのかみ)の子(みこ) 思金神(おもいがねのかみ)に思はしめて、常世(とこよ)の長鳴鳥(ながなきどり)を集(つど)へて鳴かしめて、天安之河の河上(かわら)の天堅石(あめのかたしわ)を取り、天金山(あめのかなやま)の鐵(かね)を取りて、鍛人天津麻羅(かぬちあまつまうら)を求(ま)ぎて、伊斯許理度賣命(いしこりどめのみこと)に科(おお)せて鏡を作らしめ、玉祖命(たまのやのみこと)に科(おお)せて、八尺勾璁(やさかのまがたま)の五百津(いほつ)の美須麻流(みすまる)の玉(たま)を作らしめて天児屋命(あめのこやねのみこと)布刀玉命(ふとたまのみこと)を召びて、天香山(あめのかぐやま)の眞男鹿(まおしか)の肩を内抜(うつぬき)きに抜きて、天香山(あめのかぐやま)の天波波迦(あめのははか)を取りて、占合(うら)へ麻迦那波(まかなわ)しめて、天香山の五百津眞賢木(いほつまさかき)を根許士(ねこじ)に許士(こじ)て、上枝(ほつえ)に八尺勾璁(やさかのまがたま)の五百津(いほつ)の美須麻流の玉(みすまるのたま)を取り著(つ)け、中枝(なかつえ)に八咫鏡(やたのかがみ)を取り繋け、下枝(しずえ)に白丹寸手(しろにぎて)青丹寸手(あおにぎて)を取り垂(し)でて、此(こ)の種種(くさぐさ)の物は布刀玉命(ふとたまのみこと)布刀御幣(ふとみてぐら)を取り持たして、天児屋命(あめのこやねのみこと)布刀詔戸言祷(ふとのりとごとね)ぎ白(もう)して、天手力男神(あめのたじからおのかみ)、戸(みと)の掖(わき)に隠(かく)り立たして、天宇受賣命(あめのうずめのみこと)天香山の天之日影(あめのひかげ)を手次(たすき)に繁(か)けて天之眞拆(あめのまさき)を鬘(かづら)と為(し)て、天香山の小竹葉(ささば)を手草(たぐあ)に結(ゆ)ひて、天之岩屋戸(あめのいわやど)に汙気伏(うけふ)せて、踏(ふ)み登抒呂許(とどろこ)し、神懸(かむかがり)為(し)て胸乳(むなじ)を掛(か)き出で、裳緒(もひも)を番登(ほと)に忍(お)し垂(た)れき。爾(かれ)高天原(たかあまはら)動(ゆす)りて、八百萬神(やおよろずのかみ)共(とも)に咲(わら)ひき。
於是(ここに)天照大御神(あまてらすおおみかみ)怪(あや)しと以為(おも)ほして、天岩屋戸(あめのいわやど)を細めに開きて、内より告(の)りたまへるは、「吾(あ)が隠(こも)り坐(ま)すに因(よ)りて、天原自(あまはらおのず)から闇(くら)く、葦原中國(あしはらなかつくに)も皆闇(みなくら)からむと以為(おも)ふを、何由以(なにとかも)天宇受賣(あめのうずめ)は楽(あそび)し、亦(また)八百萬神(やおよろずのかみ)諸咲(みなわら)ふぞ」とのりたまひき、爾(すなわ)ち天宇受賣(あめのうずめ)、「汝(な)が命(みことに)に益(ま)さりて貴(とうと)き神(かみ)坐(いま)すが故(ゆえ)に、歓喜(よろこ)び咲楽(えら)ぐ」と言(もう)しき。如此言(かくもう)す間(あいだ)に、天児屋命(あめのこやねのみこと)布刀玉命(ふとたまのみこと)其(そ)の鏡(かがみ)を指(さ)し出(い)でて、天照大御神(あまてらすおおみかみ)に示(み)せ奉(まつ)る時に、天照大御神(あまてらすおおみかみ)愈奇(いよいよあやし)しと思(おも)ほして稍戸(ややと)より出(い)でて臨(のぞ)み坐(ま)す時に、其(そ)の隠(こも)り立てる天手力男神(たじからおのかみ)、其(そ)の御手(みて)を取りて引(ひ)き出(いだ)しまつりき。即(すなわ)ち布刀玉命(ふとたまのみこと)尻久米縄(しりくめなわ)を其(そ)の御後方(みしりえ)に控(ひ)き渡して「此(ここ)より内(うち)にな還(かえ)り入(い)りましそ」と白言(もう)しき。
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天の岩屋戸のくだり
あらゆる神々(八百萬)が天安之河原に集まって対策会議を開き、ここは造化三神(一番初めにご登場の姿のない神様)高御産巣日神の子(みこ)知恵の神でもある思金神(日本書紀では思兼神)(おもいがねのかみ)に御指導いただこうということになりました。その内容とは。
常世の長鳴き鳥を集めて鳴かせる(夜明けをおもわせる)
天金山の鐵(かね)で鏡を作る(八尺鏡 皇室の三種の神器現代に伝承)
八尺勾璁の五百津の美須麻流(みすまる)の玉(たま)を作る(八尺勾璁 皇室の三種の神器現代に伝承)
天香山の五百津眞賢木(いほつまさかき)を根っこから持ってくる
上枝に美須麻流の玉 中枝に鏡 下枝に白・青の和幣(にぎて)を垂らす
鹿の肩甲骨を焼き割れ目の模様で占なう(答え合わせと確認の儀式)
天児屋命布刀詔戸言祷(ふとのりとごとね)ぎ白す(祝詞をあげる)
天手力男神を岩戸のわきに隠れ立たす
天宇受賣命が小竹葉を手に天之眞拆を鬘に神懸りし胸もあらわに踊る
八百萬神がそれを見て愉快に笑う
天照大御神は外の様子がおかしい、高天原(天上界)も葦原中國(地上界)も光の不在の状態なのにこのにぎやかさは何。とお思いになります。お籠で御自らの御立場についても整理がついたのでしょう。ちょっと戸を開けて聞いてみます。「天上開も地上界も暗いはずなのに天宇受賣は楽しそうに踊り八百萬神は笑っているのか」と、天宇受賣は答えます「天照大御神様に遜色ない貴い神様が お出ましになったので歓んでいるのです」その時、天児屋命、布刀玉命が鏡を差し出します。どんな神様だとさらに戸を開いて覗こうとしたとき天手力男神が御手を取り岩屋戸よりお出ましになったのです。岩屋戸は天手力男神が放り投げて戸隠山(長野県)に当たって山が今の形になったという伝説があります。尻久米縄を引き渡したことが注連縄(結界縄)の起源とも言われています。
ということで、天上界、地上界とも光が差し込んだことで闇が駆逐され、すべてが明るく生き生きと復活した次第です。思金神、天宇受賣命は後でまた御出ましになります。
中村天風先生の言葉にも「人生あまり難しく考えなさんな。暗かったら窓を開けろ、光がさしてくる」というのがあります。光は元々射しているのです。それにカーテンや戸を立てているのは私たちのほう。暗い時こそ明るく前向きに取り組むことの必要性がこの神話によって諭されていると思うのは私だけでしょうか。
新型コロナウィルスの影響が世界中で大変なことになっています。これからの状況読めませんが、私たちは今回紹介した神話を戴き、日清・日露・大東亜、隠忍自重・臥薪嘗胆の先祖を持つ民族であることを忘れているでしょう。思い出しましょう。こんな時こそ天照大御神の御出ましを待ちましょう。ちょっと日が陰っていますが、その上には常に燦燦と太陽が照り輝いているのです。明けない夜はないのです。
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