日本神話(11)伊邪那岐命 御身滌(みみそぎ)のくだり 1/4
『御身滌(みみそぎ)のくだり』
この段(くだり)は重要だと思っているので刻んで書いていきます。
しかし書き下し文の神の名(みな)にとらわれず、さらっと読んでください。
大切なのは今回の章ではありません。ここは真実を淡々と読みましょう。
伊邪那岐命は黄泉國での穢(けが)れを清める為お祓(はら)いをされます。
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是(ここ)を以(も)て伊邪那岐命 詔(の)り給(たま)はく「吾(あ)は伊邪志許米志許米岐穢(いなしこめしこめききたなき)國(くに)に到りて在り祁理(けり)。故(かれ)吾(あ)は御身(みみ)の禊為(はらひせ)な」とのり給ひて、竺紫(つくし)の日向(ひむか)の橘小門(たちばなのをど)の阿波岐原(あはぎはら)到(い)で坐(ま)して、禊祓(みそぎはらひ)給(たま)ひき。
故(かれ)投げ棄(う)つる御杖(みつえ)に成りませる神の名(みな)は、衝立船戸神(つきたつふなどのかみ)。次に投げ棄つる御帯(みおび)に成れる神の名は、道之長乳歯神(みちのながちはのかみ)。次に投げ棄つる御嚢(みも)に成りませる神の名は、時置師神(ときおかしのかみ)。次に投げ棄つる御衣(みけし)に成りませる神の名は、和豆良比能宇斯能神(わづらひのうしのかみ)。次に投げ棄つる御褌(みはかま)に成りませる神の名は、道俣神(みちまたのかみ)。次に投げ棄つる御冠(みかがふり)に成りませる神の名は、飽咋之宇斯能神(あきぐひのうしのかみ)。次に投げ棄つる左の御手の手纏(たまき)に成りませる神の名は、奥疎神(おきざかるのかみ)。次に奧津那藝佐毘古神(おきつなぎさびこのかみ。次に奥津甲斐辯羅神(おきつかひべらのかみ)。次に投げ棄つる右の御手の手纏に成りませる神の名は、邊疎神(へざかるのかみ)。次に邊津那藝左毘古神(へつなぎさびこのかみ)。次に邊津甲斐辯羅神(へつかひべらのかみ)。 右の件(くだり)船戸神(ふなどのかみ)より以下(しも)、邊津甲斐辯羅神(へつかひべらのかみ)以前(まで)十二神(とまりふたはしら)は、身に著(つ)ける物を脱ぎ棄(う)てたまひしに因(よ)りて生(な)りませる神なり。
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日向(ひむか)については実在する場所、象徴的な地、等 諸説ありますが、場所はそれほど重要ではない、というより実在の地上と考えない方が良いのではないかというのが私の考えです。(写真は宮崎県のみそぎ池ですが)何処でより何をどうしたほうが大切だからです。
伊邪那岐命は海辺で身を清めますが初めに身に着けているもの全て、穢れを払うように投げ棄てます。そのものからは悉く神が生まれ各々意味もあるのですがそれを掘り下げると気力が失せますので読み飛ばしましょう。少しだけ言うと(あきぐひのうしのかみ(食うのに飽きる))や(わづらひ(煩い)のうしのかみ)などの言葉から良くないものだということはわかるでしょう。
要は身に着けていたものには黄泉國の棄てた方が良い観念みたいなもの(欲望や迷い)が付いていて生まれた神によって洗い流れ捨て去られることが書いてあります。
現代の私たちにも日頃の生活で罪や迷い穢れが知らず知らずに蓄積していくものです。この伊邪那岐命の禊祓いを起源として現在でも6月に「夏越(なごし)の祓い」12月の「年越の祓」(大晦大祓(おおつごもりおおはらい))が各神社で行われています。昨年末のブログにも書きましたが我が家の氏神様で年末にお札のセットを買うと人形代(ひとかたしろ)が入ってきます。我が家は他の神社にお願いしてしまうのですが家族全員、人形(紙です)に名前と年齢を書き、身体の各部を人形の紙で撫でて息を吹きかけます(罪や迷い穢れを移す)。神社でこれをお祓いしていただきます。リセットした後には、神社に参って新たに誓いを立てる。その繰り返しです。大変良い風習です。
せっかく日本人に生まれたのなら、この伝統的なリセット方法を体験してみたらいかがですか、地元の氏神様(神社に)聞けば教えてくれるはずです。
本日はここまでと致します。
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