見出し画像

自分探しをしている人へ(特に見つからないとき)

不肖若かりし私です。免許証の取得年月が昭和56年1月ですから軽く30年以上前の写真。本当に年月の経つのは早くてそれぞれの写真を撮ったときのことが鮮明に思い浮かびます。当時言われたオトキチ時代ですね。

なぜこのカテゴリにこの写真なのか、単に自分の写真を載せたいだけか。とお思いでしょうか、この写真は16~19歳の写真なのですが、このときでさえ自分は将来どんな仕事をするか考えていなかったのです。

このことに関しては、自分の子供に何もいえません。反面教師として将来を考えなさいということは言えますが、実は将来のことは何にも考えなくても何処かに収まるようになっている。というように信じています。

条件があります。どの場においても『一生懸命に自分の本分を生かす』という事です。これをやっておくと、自然に自分の運命が決められた方向に導かれて収まる。少なくても私はそうでした。

免許を持っていない高1春から、毎日欠かさずバイク屋さんに通っていました。閉店までいて、バイクを仕舞うお手伝いをして帰ってきていましたが お店には迷惑だったと思います。そこで知り合った水道屋の社長のところで休みの日にアルバイトをしていました。高校から社会人までベテランの職人さんの期間助手をしていました。水関係の仕事との出会いです。

就職率100%を謳う専門学校を 親に出させていただいたにもかかわらず何がしたいのか、卒業間近でさえ決められず。自分で決められないなら学校が指定したところに就職してもらうといわれました。

求人票のどれもがピンと来なかったのです。期限前に週間就職情報という雑誌を買い、自動車ディーラーの営業マンになりました。別なところにも書きましたが、恥ずかしい話、当時はお金を稼ぎたかったのです。全戸飛び込み訪問セールスです。車は売れましたがお金のことばかり考えているので、色々なことでトラブルになります。結局サラリーマンでは売れる車も限られるし先も見えるしで退職し、水道屋さんの頃の伝で 大手ポンプメーカーのメンテナンス下請け会社に、いずれ独立することを前提に雇ってもらいました。また液関係に戻ったわけです。一人前になるのに普通2~3年掛かるところ、物欲と向上心があるもので半年後には1人でどんな現場にも行けるようになりました。  ただ、どうしても汚水ポンプだけは苦手でした。

ポンプはセントラルヒーティングの冷暖房の切り替えの時期、動作させていなかったものを使い始めるのでトラブルが多いのです。ある高級住宅に行ったとき。ポンプが古くて部品がなく、その場で直せませんでした。そのお宅の奥様からかなりヒステリックに罵倒され、それ以降仕事に身が入らない、今でいうパニック障害みたいな状態になってしまいました。会社や工場には行けるのですが個人宅には行きにくい。

そんな時、ある商社が、これまた2~3年奉公すれば北関東の販売権を譲っても良いという話を真に受け東京に出たわけです。この販売権の話は又聞きだったですが、社員500人の中堅商社でエレクトロニクス事業部は非常に儲かっていたのです。行ってみたら、実は立ち行かなくなった製造会社を買い取ったのだが人手が足りないので手伝ってくれという全く違った話に替わって。1週間だけたのむ → 1ヶ月 → 3ヶ月 → 半年 → 何年か とやっているうちに、その商社そのものが倒産してしまい。全てのお話が無かったことになりました。

お察しかもしれませんが、その買い取った製造会社というのが半導体の洗浄装置メーカーだったのです。それ以降も紆余曲折はあって今に至るのですが、結局私の運命は、一番最初にバイク屋で常連の水道屋の社長に会ったときから、液関係へ液関係へと進んでいって今ここに至ったということなのです。自分が望んだこと、やろうとした事は実を結ばなかったけれど、どの場面でも一生懸命やっていたら、自然とここにいたのです。

長々申してまいりましたが、自分探しとは、見つけることではなく、既に与えられた(知らされていない)天分に載ること。だと私は考えている訳です。それは自分で見つけられるに越したことはないのですが、どうしても自分が見つからない人には、『どこででも自分に与えられた場所でベストを尽くしなさい、あなたが考えなくても本当の自分が出てきます』ということをお伝えしたいと思います。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?