紀元節 皇紀2684年 日本国のお誕生日 <依存性からの脱却(自主独立)>
晴れやかな本日は『紀元節』。2年前、北京冬季オリンピックの年にも同じ自タイトルの記事を書きました。
祝日法では『建国記念の日』は建国をしのび、国を愛する心を養う」(内閣府HP)となっています。昭和41年の祝日法改正により設けられた「国民の祝日」として復活した元(もと)祭日です。
祭日と祝日が曖昧になっていますが現在日本に祭日はありません。祭りは国民と切り離されたからです。祭りとは何かとうと宮中(皇室)祭祀ですから神道で行われるものです。国民も祭日として祝うことになっていたのです。これら神道と関連していた祭日は廃止され別の名前になっています。もっとも祝祭日の多くは明治に決められたものですからもう廃止になってからのほうが長くなりました。明治の人は日本の歴史上最強だと思います。堂々としています。ある人は当時の日本は民主主義ではないと言います。しかし何も決められず、曖昧な方針しか建てられない現在の民主主義をみると、これはこれで衆愚政治の過程のように思います。
連合国軍最高司令官(SCAP)総司令部(GHQ)は「国家神道、神社神道ニ対スル政府ノ保証、支援、保全、監督並ニ弘布ノ廃止ニ関スル件」という所謂、神道指令を出します。昭和20年、敗戦の年です。
国家と神道を切り離したのですが何故でしょうか。多くの人は天皇による専制的な戦前の体制が戦争を起こしたと教えられてそれを信じています。戦後の教育方針もGHQによってそう決められ日本人全体がそう思わされてきたのです。
もう戦後80年です。そろそろ日本人も目を覚ましたほうが良いでしょう。(遅いかもしれませんが)明治の人が描いた国家は間違っていたと占領軍から教えられました。それさえ忘れている日本人が多いですが、昭和20年9月2日から昭和27年4月28日までの7年間まさに戦後直後の日本は外国の勢力下におかれた自主権のない国だったのです。昭和23年の祝日法によって四大節は廃止になりました。祭日は祝日として名前も変わり本来の意味も解りません。日本国憲法は昭和21年の発布です。これらが日本国の日本国民の幸福のために外国が与えてくれたものだと思いますか、日本人が外国の影響を受けずに自分で決めたことだと思いますか。
普通に考えれば反対です。戦争直後と考えれば日本の力を削ぐ政策だったということは想像できるでしょう。その柱が国家神道の廃止。天皇と神道と政治と国民をバラバラにすることが目的だったと私は思います。戦後80年、戦前全否定を省みてもう一つの側面も知ってもよいのではないでしょうか。「分割して統治せよ」は古代ローマ帝国による支配地域の統治法のことですが、今でも占領政策の鉄則です。
小さな日本ミツバチでも纏めて行動するとスズメバチにも立ち向かう。日本とアメリカのようでしょう?
日本人は皇室の制度が残ったことで「国体護持」という最低の目的は守ったと敗戦時に思ったのでしょう。しかし天皇を象徴としてしまい最も大切な祭祀を表に出さず。天皇と国民との結びつきの手段である神道を国民から遠ざけ事実上分離しました。この分割によって日本は「自主独立できない国」になったのです。三島由紀夫はそんな国の方針により国民も劣化することを憂いていましたがその通りになりました。日本ミツバチの巣から女王バチがアクシデントでいなくなったら群が滅びるそうです。
<依存性からの脱却(自主独立)>は日本人伝えたい事です。いつも誰かが守ってくれて自分では何もしないかのような憲法の下で育った日本。現実には有事がおこっても外国は守ってくれないことがわかりました。自国で戦って防ぐしかないのです。次元は違いますが個人のレベルでも、これらの歴史的経緯も踏まえて自己判断するべき時が来ています。近いうちには無理のようですが将来もう一度日本の復興を期待したいと思います。