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また書き始めようと思います。

セミコンジャパン2023 多くの皆様のご来場ありがとうございました。
また新しい出会いに感謝申します。長く皆様に信頼される会社でありたいと思います。

30年前の活気がある華やかな頃のセミコンジャパン(展示会)を経験した人が少なくなってきました。
私たちの縁深い 岩瀨新午・鎌田晨平 両先生などは展示会の中心人物といってもよい黎明期の情熱から半導体に賭けた人たちでした。先生方がセミコンの会場で語り合う姿の重みは今のショーには感じられません。

展示会が単なる同窓会となって久しいですが、その同窓生たちの再会場所として役目も終わったように思います。
さあこれからは新しい希望と情熱を持って日本の産業を、世界の産業を立ち上げるというような大志を抱く若者が出てくることを願います。

工業系を志す人が減っているのは「モノづくり日本」の痛手です。神話同様、学校で教えない教育が大切です。働くおじさんというNHKのテレビを道徳の時間に見ましたね。手足を動かして働くことの価値もまた尊いということを、もう一度日本人全員が思い返さないといけません。

資源のない日本にとって「モノづくり日本」としての地位がどれだけ必要か。ようやく国も気が付いたようです。インバウンドも確かに良いですが。インバウンドの需要に対して日本が必ず必要なものではありません。TSMCを見てください。世界中が彼らを必要とし、分散してまでも近づく脅威から守ろうとしていますね。本来それは日本であるべきだったのです。かつてはその立場の最も近くにいたのです。

日本はそれを放棄してしまいました。確かに日本の素材が半導体や電子産業を支えている面もありますが優先順位は高くない。そういう戦術的なミスはプラザ合意や日米半導体協定だけが理由ではありません。さあ目を覚ましましょう。
天の岩戸を開くときが来たのです。

思えば令和4年の新嘗祭から記事が止まっていましたね。なぜかというと、書かけたのですが書く気にならなくなってしまったのです。完全に自分の気持ちの問題です。光明思想だの何だのといっても現実に何か起こった時に人間としての強さが分かります。人間としての強さを磨くことも人生の目的だと思ってまた書こうと思います。

書かなかった理由は 人工透析 それも 腹膜透析を始めることになったからです。遠い先のことだと思っていたことが案外早くやってきてなすすべなしでした。心腎連関 という言葉がある通り心腎は密接に関係していて一方が悪くなるともう一方にも影響します。

私の場合は腎臓 多発性嚢胞腎については遺伝で持っていることが30年前から分かっていましたが無責任な街医者の「ホクロと同じようなもの」という言葉に騙されて放置していました。40代後半 拡張型心筋症 になってしまい。投薬中に腎臓機能低下の数値が出るようになりました。心臓をとるか腎臓をとるか的な治療になっていくわけです。そのうち心臓には代替がないので腎臓を諦めましょうということになり早め(eGFRが10を切った)に透析の準備をしました。

「65歳までは普通どおりに働きたい」それが私の願いでしたので心臓の負担も軽い腹膜透析(PD)を選択しました。日本で透析を受けている人の3%が腹膜透析です。私の導入方法は段階的腹膜透析導入法(#SMAP)2回の手術が必要ですが私の場合2回目は通いにしてもらいました。腹膜透析は月1度の通院で済みます。機械を使う#APD(自動腹膜透析)は寝ている間に自動交換を複数回やってくれます。(接続やセッティングは自分で行わなければなりません)一方、機械を使わない場合は自分で落差による注排液を行うわけです。1日に2回交換ならまだしも3回になると時間的に厳しいですね。

(写真は1日2回での1か月分ですが床もつらそうです)

この箱の中に2000ml(約2kg)の袋が4つ入っています。1日2回なら2日で1箱 増えていくと置き場がなくなりそうです。腎臓は水分の調整だけでなく多くのホルモンの分泌や毒素の除去などをしていますから人工でそれを補うのは大変なことです。(無理です) 今現在私は心機能の補助のため水分が抜ける量と尿素窒素(老廃物)の値に注目してをモニタしています。(BNPとBUN)

正常値になるなどとは考えられないのでせめて許される異常の限界内で抑えたいところですが数儒種類の項目のほとんどがどんどん悪くなっていきます。現在、常時1,000くらいあったBNPは100くらいまで下がりましたが逆に脱水でNUNは90になってしまいました。人心連関の皆さんどうですか。
リタイヤした人が透析受けるのなら血液透析のほうが良でしょう。クリニックが沢山ある日本なら3%歯科腹膜が選択されないのも無理ありません。腹膜透析は単純ですがなかなか仕事をしながらやるのは大変ですが、埼玉県北部では夜中(オーバーナイト)や休日にやっている血液透析クリニックが全くありません。勤め人には支障があるでしょう。

顛末は来年の長い正月休みにでも書いてみますが、自分で申請して受け取った身体障碍者手帳の「1級要介護」の文字はショックでした。心臓を守るために透析を始めたはずがこの1年でさえいろいろありました。そんなことで記事は止まっていたのですが仕事は普段通りやっています。リモート会議が多くなって出張には行きにくくなりましたが打ち合わせもできています。

今回 セミコンジャパン2023 東京ビックサイトのため透析開始後初めて1泊してみましたが大変です。1泊でも段ボールを宿泊先に送らないとなりません。恐らく私の透析のやり方はお医者さんに怒られます。(不衛生)腹膜炎になったこともあります。しかしそうでもしないと社会人としての生活は成り立ちません。
1泊2日でさえ段ボールに2Lの透析液3つと排液バックやキャップを送り、フロントで台車を借りて部屋まで運ぶ。

液は本来袋から出して温めてはいけないが時間がかかるので出してお湯に漬ける。温まったところで持参の紐とS時フックで袋を吊る。
毎回緊張の接続。固定側の先端に触れたりホコリが入ったら病院に直行。(これで腹膜炎になった悪くすると透析中止)横になり液が落ちるのを待つ。おなかの中に液があったら(連続投入の場合は)まず排液から始まる。終わった後の排液、ビニールやキャップの始末、なかなかの廃棄物の量です。
5時間以内に液は抜かなければなりません。(再取り込みがおこる) 家や会社でできることも出先では大変です。ちなみにビックサイトでも排液させてもらいました。本当はそんな展示会場などでやってはいけない(衛生的に)と思います。
腹膜透析は腹膜の機能の問題で順調にいっても6~7年しかできません。そのあとも生きようと思うなら血液透析。そうなったら週に2回は早退ですね。私は周りの理解もあって可能かもしれませんが果たして多くの現役世代はどういうおもいをしているのでしょうか。


今後は腹膜透析についても書いていきます。ついでに心臓のほうはEF20から改善の兆しはありません。ただ淡々と仕事をしていくだけです。

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