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Dear Mr.Songwriter Vol.5

NIAGARA TRIANGLE VOL.2 

佐野元春 杉真理 大滝詠一

NIAGARA TRIANGLE VOL.2
COVER DESIGN 中山 泰

『ナイアガラ トライアングル Vol.2』は、1982年3月21日、2ヶ月遅れて『SOMEDAY』が5月21日にリリースされます。この2枚のアルバムに収録する曲を作りレコーディングをしつつ、週一でラジオDJもして、1981年の初めから毎月の様にライヴを行い、1982年からは全国ツアー"Welcome to the Heartland Tour"も続いている。そう考えると、かなりの忙しさだったのは想像がつきますね。今回はこの『トライアングルVol.2』に収録されている元春サイドをまとめていきます。



そもそも元春の参加のいきさつはどういう流れだったんだろう。大滝さんのインタビューからいってみよう。

Cha.1 トライアングル構想

いきさつはまるっきり大笑いなんだけど、八〇年に録音始めてるわけ、『ロング•バケイション』は、出たのは八十一年の三月なんだけど、七十九年の暮れに暇だった頃、"ビックリハウス"って本の主催で何かゼミみたいので講師やったのよ、一回。それでステレオとモノ録音についてみたいな下らない話をしたんだけど(笑)。その時に銀次を連れて佐野元春がやってきたの。銀次が佐野元春を連れてきたんじゃなくて、佐野元春が銀次を連れてやってきたんだ。それで僕の講義を聞きに来たって言うんだよ。それでビックリしてさ、銀次とも久しぶりに会ったし、たまたまそこに漫画家の高信太郎さんがいてね。新宿の飲み屋とかずーっと一緒につき合わされて、佐野君とはあんまり言葉は交わさなかったんだけど、ビートルズが好きでどうのこうのって言ってて、それが最初の出会いでね。その時は何もトライアングルとか考えてないんだよ。その後よく会ったんだよ、林美雄さんの赤坂ライヴというラジオの番組があって、そこで表彰状をもらったんだけど、その日のゲストが佐野君だったんだよ、で、ライヴ聞いたら、シャウトするんだよ、けっこう。レコード聞いた時は全体的に細い感じがしたんだけど、ライヴは太い感じだった。僕の場合、男は太くなきゃダメなのね(笑)いや細い人はダメなんだよ、最終的にダメ。どっかに野太いものがないとね。それで一気に気に入っちゃって。でもその時もまだトライアングルって考えてないんだよね。八十一年の七月に、翌日静岡でDJパーティーがあるっていう日に寝れなくてずーっと起きてた時に、朝方ふと思いついてね、トライアングルやるんだ、って。覚えてるんだよ。しっかりその日のこと。そういういろいろな出会いが点在してるんだけど、その時にすぐそのネタを使おうとは思わないタチなわけ、ある日突然バシーッと磁力が働いて寄ってくるんだよ、自然に。これだ!って思ったわけ。そういえばあの日銀次がついてきたのも不思議だったなぁ、みたいな感じで。だったら、銀次と佐野君だったら、山下君に誰かみたいな感じでトライアングルできるなぁって思った。

ROCKIN'ON JAPAN 1987年4月号
インタヴュー 渋谷陽一

1981年4月25日にTBSホールで行われた林美雄さん主宰のラジオ番組「赤坂ライブ」では1980年に活躍したアーティストの年間表彰式が行われました。年間最優秀男性新人賞が佐野元春、最優秀女性新人賞が山下久美子が選ばれ、ライヴを行い、大滝さんも「A LONG VACATION」で特別賞に選ばれて会場にいたという。その1週間後に大滝さんから銀次さんに連絡があったようです。

Cha.2 驚きの電話

「ひとつアイデアを思いついたんだけど、銀次にも意見を訊こうと思ってね」
その日かかってきた大滝さんからの電話はいつもとトーンがちがっていた。挨拶もそこそこに大滝さんから出た言葉にちょっと驚き!!
「久しぶりにナイアガラ•トライアングルをやろうと思うんだけど」
すっかり勘違いした僕は思わず、
「え?また山下君と3人でですか?」
「ははは!いやいやそうじゃなくて。新しい世代のミュージシャン2人がメンバーの"ナイアガラ•トライアングルVol.2"だよ」
そのメンバーはなんと佐野元春杉真理。そして、そのメンバーによる"Vol.2"の発想が生まれたのは、なんと、赤坂ライブでの表彰式のときだというからまた驚いた。
佐野君の横でギターを弾きコーラスを歌う僕のステージ上の姿を客席で見ていた大滝さんは、
うん?"トライアングルVol.1"のメンバーの銀次と佐野元春が一緒にバンドをやっている。これはなにかの因縁かもしれない。
 それは強い印象として大滝さんの中で湧き上がったようだ。
大滝さんは佐野君がデビューした当時から注目していてくださっていたようで、僕が関わっていたのもあって関心が深かったとは思うが、やはり2人が一緒に演奏するリアルなシーンにでくわしたときに、このアイデアにいきなりボッと火がついたようなのだ。
(中略)
「それからずっと佐野、杉、僕のレコードを交互にかけてみてはどんな感じになるのか試してみたよ。悪くなかった。銀次はどう思う?このメンツでVol.2をやるのは?」
いやはやこんなうれしいことはなかった。『Back To The Street』『Heart Beat』と2枚のアルバム作りを手伝ってきた僕としては、佐野元春の知名度がいまいち上がってこないことを考えると、『ロンバケ』を大ヒットさせた大滝さんと組むことで、間違いなく佐野君が檜舞台に立つ大チャンスに感じた。
「やったーっ!!」と言いながら、もうそこらじゅうを走り回りたい気分だったが、大滝さんの元を離れて、しっかりと一本立ちしたプロデューサー気分でいた僕は、本心とは裏腹に、
「いいですね、いい話だと思いますよ」
とクールに答えたのでした。

大滝詠一から驚きの電話!
伊藤銀次が語る「NIAGRA TRIANGLE Vol.2」秘話
Re:minder web記事

この「赤坂ライブ」の模様は40周年記念エディションのディスク4の3曲目に収録されています。とてもいいテイクなので機会があれば聴いてほしいな。

Cha.3 特別な出来事
 

一九八一年七月二十一日から二十四日までの四日間、ルイードで「ジャパニーズ•コンテンポラリー•サウンズ」(日本のミュージック•シーンの中でさまざまなジャンルのシンガーに曲を提供するコンポーザーとして活躍するアーティストを、ひとまとめにしてプロモーションするという、レコード会社サイドの宣伝マンたちが発案したシリーズ•コンサートで、初日に佐野元春、二日目が網倉一也、三日目が浜田金吾、四日目に杉真理が出演した)が開催された。
 当時、レギュラーでルイードに出演していた元春にとっては、この企画はあまり特別な意味を持つものではなかったが、このシリーズ•コンサートの最終日に出演した杉真理のコンサートに友情出演するために、二十四日ルイードを訪れた元春を待っていたのは"特別な出来事"だった。

路上のイノセンス 下村 誠
 

大滝 最終日。杉くんのライヴにゲスト出演する予定だった佐野くんをルイードの下の喫茶店に呼んで、あの日、初めて言ったんだからね。あとは俺、誰にも言ってないんだから。
ー 杉さんは?
大滝 杉くんは上の会場でライヴやってた(笑)。その間に佐野くんと喫茶店で話して。『トライアングル』やらない?どう?って。佐野くんにあの日、初めて訊いたんだよ。佐野くんの答えは三通り予想していた。即、"やります"って言うのがひとつ。ふたつめは"ありがたいお話ですが考えさせてください"っていう選択肢。で、"ありがたいお話しですが、相談する人がいます"と。この3つのどれかだろうと思ってたわけ。後のふたつだったら、瞬間に"ごめん、なかった話にしてくれ"って言うつもりだった、俺はね。そういう男なの。ところがね話が終わるか終わらないかのうちに佐野くんは目を燦々と輝かせて、"ぜひやらせてください"って前のめりになったんだよ。びっくりしたね。
杉 そうなんだぁ•••。でも、それ、ぼくがライヴをやってるときの話ですよね。そんなことも知らずに、もう(笑)。
佐野 ぼくの場合、そのころはいつも伊藤銀次がいたから。彼は"佐野くん、大滝さんと仕事するのは素晴らしいことになるから、ぜひやって"っていつも言ってた。それも大きかった。もちろん、ぼく自身、とてもやりたいという気持ちが強くあったけど。
大滝 で、よし決まった、と。それで杉くんのところに行って。佐野くんは自分がその日ステージに出たかどうか覚えてないって言うんだけど•••。
 いや、出たよ。佐野くんは初日にやって、最後は一緒にやるってことになってて。で、今日は大滝さんが会場に来てるってことで、ぼくがステージで紹介して。そのとき、大滝さんが何の話をしてくれるのかなと思ったら、70年代の『ナイアガラ•トライアングル』の話をし始めて。はぁ〜•••って聴いてたら、『Vol.2』の話になって。確かそこで佐野くんをステージに呼んだんですよね。それで"佐野くん、どうだい?"って訊かれてて。俺なんか、"どうする?"って言われて、もう"やるやるやる!"って大興奮状態だったのに、佐野くんはぐっと溜めて"•••やります"ってクールに答えて。うわー、すごいな、よくこれだけ溜められるな、この余裕はいったい•••って思ってたのに。違うんだ(笑)。そうだったのか、下ではそういう話になってたんだ。

レコード•コレクターズ2012年4月号
佐野元春×杉真理×大滝詠一インタビュー 完全版

エピソードを繋ぎ合わせると、大滝さんは誰にも言っていないとは言いつつ銀次さんには相談していて、元春も銀次さんから具体的な話はなかったかもだけど、それらしい事を聞かされていた。なんて推測もできちゃいそうです。そして、それぞれ別の事務所とレコード会社、大滝さんと杉さんは同じCBSソニー。元春はEPICソニー。正式に交渉すると困難するとの考えで本人たちに先に承諾をとり、ファンの前で発表してしまうというゲリラ作戦にでたという事らしいですね。その後はいろいろ大変だったらしいが、ここで遂に3人が揃いトライアングルがスタートする。でも、自分がライヴやってる時に2人がそんな話をしてたなんて、夢にも思わなかっただろうし、元春の溜めにすっかり騙されてた杉さん、それはびっくりしますよね。

では収録曲を聴いていこう!

1.彼女はデリケート M22

彼女はデリケート 1982年3月21日

もともとはジュリーのアルバム『G.S. I LOVE YOU』1980年 に提供した楽曲。(その他"I'm In Blue"と"Vanity Factory"がある)シングルとしては、『トライアングルVol.2」と、同じ3月21日にリリース。冒頭の詩の朗読とエンディングのツイスト&シャウトがカットされています。ライヴでは、イントロからの掛け合いが楽しかったな。

僕がイメージしていたのはコントゥアーズでした。〈ドゥ•ユー•ラヴ•ミー〉みたいな活気のある感じ。しかも途中でマリアッチっぽい感じがでてくるという、すこし中南米な要素もある、リッチー•ヴァレンス風のロックンロールといったらいいかな。ようするに、聴けば自然と身体が動くようなロックンロールを作りたかったんです。でも、80〜81年という時代にはとても古くさいスタイルとみなされていたので、若いリスナーに届くかどうか、正直わからなかったけれど。僕の父親や母親が聴いていたバディ•ホリーやリッチー•ヴァレンス、早熟だった僕が聴いていたコントゥアーズ、そして、その線上にあるビートルズの〈ツイスト•アンド•シャウト〉•••そうした系譜の延長線上にある日本語のロックンロールを書いてみたいと思ったのが、この〈彼女はデリケート〉でした。

レコード•コレクターズ2022年4月号
「ナイアガラトライアングルVol.2」特集
佐野元春インタヴュー 聞き手 木村ユタカ

ここで出てくるマリアッチというのは、あまり聞き馴染みのない言葉だけど、メキシコの民族音楽という事なんですね。

The Contours
Do You Love Me1962

Richie Valencs
La Bamba 1958

弾けてるなー、弾けてる。過去2作品を振り返ってもこれだけ弾けてるのはないんじゃないかな。まずシャウトが素晴らしい!えー、数えてみました。11回!その中で、マイシャウトベスト3の発表です。まず第3位 1:25あたりの"ウー、フッフー!"第2位 歌が始まる前0:29あたりの"ヴァーヴ" そして第1位は サビのデリケート🎵1:55くらいの"アウ アウ アウ アウ アウ アウ!です!いやー、何やってんだか、だけど、好きなんだよね、この曲のシャウトが!もともとは当時、台頭していたニューウェーヴなクールな感じのヴォーカルで録音したらしいんだけど、大滝さんがそれを聴いて「うーん、やっぱりエディ•コクランでいこう!」ライヴでの太い感じに惚れた大滝さん、少し物足りなかったんでしょう。ヴォーカル•スタイルもエディ•コクランもそうだけど、エルヴィスみたいに震えてる感じもいいんだよ。それでベースラインもいいんだよね、イントロからサビに入るところで変わるところ、これはブルース•ブラザーズのライヴのオープニングの"I Can't Turn You Loose"の高速バージョンだ!(モノマネのTVも浮かんじゃうけど)もうノリノリ。で、最終ヴァースでのドゥーワップ•コーラス。蒲田野次馬ブラザーズなんてクレジットされてるけど、同じEPICレーベルの先輩のシャネルズによるもの。これは元春は知らずに大滝さんがレコーディングしているときに、頭の中で聞こえていたものを後から足したらしいです。これが入っている事で盛り上がりが大分違うね。素晴らしいです。
曲はじめの詩の朗読は詩集『ハートビート』に"彼女はデリケート"という題名で載ったのが初。実際、羽田空港のロビーで元春が録音したもの。当初の予定ではこの曲が1曲目構想だったみたいだけど、この詩の朗読を活かす為に後半に入れる予定の「A面で恋をして」を1曲目にしたと大滝さんは語っている。
この曲も「マンハッタンブリッヂ•••」とともに『SOMEDAY』に収録予定だった。銀次さんに言わせると野球に例えて"SOMEDAY"が4番ならこの2曲は3番、5番といってもいいクリーンアップ•トリオの2曲。ここで揉めると、歴史に残るかもしれないポップス•プロジェクトが台無しになってしまうという事でトライアングルに譲る事になったみたい。
The Blues Brothers  
Opening :I Can't Turn You Loose 1978

それから、これも近年発覚した事件簿、エンディングカットアウト問題(笑)です。大滝さんの一言。「ロックンロールはフェイドアウトじゃだめだよ、カットアウトじゃなきゃ」すでにフェイドアウトで録音済みだったエンディング。さてどうするか?銀次さんが頭を悩ます"彼女はデリケート事件"の顛末は?

「もっと早く言ってくれ…」って言っても埒があかないので、ここは一休さんみたいに知恵をしぼってこの窮地を脱出するしかないとばかり、テイク•ワン•スタジオに入って録音された「デリケート」をあらためて最後まで聴いてみた。
すると、この曲を叩いてくれたシマちゃんこと島村英二君が、フェイドアウト用に演奏している長いエンディングの最後に、ダトト、ダトト、ドコドン、ジャン. ..というフレーズで終わってくれて、いるじゃないか!「おぉこれだ!!」
急いでハートランドのベーシストの小野田清文君に「ベースを持ってすぐ来てくれ!」と電話して、佐野君のツアー用の楽器車に載っている僕のギターとアンプを持って来てもらい、2人でそのシマちゃんのフレーズに合わせて演奏して急遽エンディングを作っちゃったのだ。あとはフェイドアウト用に録音されてる長いエンディングをはしょって、テープをつないでなんとか大滝プロデューサーの注文に応じることができた。
そのつもりで聴いてもらえばよくわかるが、曲の本編にはいろいろな楽器が入っていたのに、このエンディングだけは3人だけの演奏ーーこれが僕らにとっての"彼女はデリケート事件"の顛末である。

大滝詠一のやっかいな依頼!
伊藤銀次が語る「NIAGARA TRIANGLE Vol.2」其の弍
Re:minder web記事

とてもやっかい(笑)な依頼だったみたいですね。ちなみにプロデューサーとして楽曲をアドバイスされたのはこの「彼女はデリケート」だけみたいで他の曲はほぼノータッチだったようです。

2.Bye Bye C-Boy   M23

Bye Bye Christian Boy これは元春の"横浜時代"の経験から出来た曲なんだろうね。ここら辺のエピソードは少し個人的な話になるので詳しくは書かないけど、高校3年生の時、家出をして、横浜で出会った年上の女性に恋をした時の心情。それをソングライターとして女性目線で描いている。歌詞だけ見ると切なすぎるぞ。それをビートリーなポップソングにしてしまう十代の元春、"情けない週末"もそうだけど、早熟すぎるぞ!ビートルズの"サージェント•ペパーズ"の世界を再現したくてフレンチホルンが2つもあるバンドを立教大学在籍時に組んだ《バックレイン元春セクション》の時のレパートリー。後の元春自身の発言では、ビートルズの「ユア•マザー•シュッド•ノウ」をモデルしたという。これは偶然にも大滝さんに同曲をモチーフにした「空飛ぶくじら」という楽曲がある。

佐野 自分でも書きっぱなしにしていて、忘れてた曲だったんだけれども、「ナイアガラ•トライアングル」プロジェクトへの参加が決まって、はっと思い出したんだ。確かにちょっと変わったソング•プロダクションだと思う。途中で転調があったり、聖書に出てくる一部が含まれていたり。ぼくはプロテスタント系の学校に通っていたので聖書をよく読んでいて、そこに描かれた好きなストーリーがあったんです。ノアの箱舟に関するもので。神と人類が約束を交わすときに言った言葉。それをぼくは「Bye Bye C-Boy」に、ハーモナイザーで声を加工して、神の声のようにして挿入したんですね。

『NIAGARA TRIANGLE Vol.2 VOX』
佐野元春×杉真理 対談 2021年10月29日
聞き手•構成 萩原健太

Uucle Cornel Thundersとクレジットされている声は、加工した元春の声だった!

The Beatles
Your Mother Should Know 1967

大瀧詠一 
空飛ぶくじら 1972

https://youtu.be/UrWQdB6Mmgc?si=DKF_artwnUCPr79U

3.マンハッタンブリッヂにたたずんで M24

この曲の歌詞は外に向かっていくというよりか何か人間の心情の内側へ入りこんでいく感じがする。未だによくわかってないんだけど、とても抽象的な世界。"そんな夢をみてた"なのだから、それはそれでわからなくてもいいのかも知れない。"愛はここにある"のだから。マンハッタンブリッヂという言葉はでてこないが、もうこの時にすでにニューヨークに行く事を決めてマンハッタンブリッヂにたたずむ姿を想定していたのかもしれない。

「街で暮らしていて、あまりにもプレッシャーが多すぎるので、コメディにならざるをえなかったとか、自分の心がねじくれてしまうのがわかるけど笑ってしまったとか、とにかく世の中に真面目に取り組めば取り込むほど無意味ナンセンスになってしまう••••••ということが度々あるんだよ。つまり、それこそがラディカルな世界がもっているコメディなんだ」

路上のイノセンス 下村 誠

もともと『SOMEDAY』のB面2曲目という事が決まっていてマスターもできてたんだけど、大滝さんの説得によって『ナイアガラ•トライアングルVol.2』に収録される事に。

大滝 同じアルバムに「SOMEDAY」は2曲いらないだろうっていうのがぼくの考え方だったんだよ。確かにあの時点でもうシングルの「SOMEDAY」はリリースされていたけど、まだ知る人ぞ知るというか、残念ながら大売れしたってわけではなかったでしょ。で、『トライアングルVol.2』に入れる佐野くんの曲に関して、「彼女はデリケート」「Bye Bye C-Boy」「週末の恋人たち」の3曲は決まったんだけど、もう1曲どうしようか、と。何か他にも候補曲があったと思うけど、いや、それよりも「マンハッタンブリッヂ•••」のほうが4曲として完璧になるから、と。
(中略)
もちろんシングルの「SOMEDAY」は出てはいたけども、まだ大衆にまで届いていなかった。でも『トライアングルVol.2』は間違いなく大衆にまで届く。とはいえ、「SOMEDAY」をこっちに入れるわけにはいかないから、ここは是が非でも「マンハッタンブリッヂ•••」だと。あの曲を聞いて初めて佐野元春を知った人が、次に何か聞きたいと思ったときにようやく「SOMEDAY」に気づく。あ、こういう曲があったのか、と。実際、佐野くんのアルバム『SOMEDAY』が出るのは『トライアングルVol.2』のあとになるわけだから、流れとしては、「マンハッタンブリッヂ•••」を先に聞いたって人が多かったはずなんだよ。「マンハッタンブリッジ•••」がリード•シングル的なものになると考えたの。で、もう強引に説き伏せたね。頑強に。

レコード•コレクターズ2012年4月号
佐野元春×杉真理×大滝詠一インタビュー 完全版

サウンドのイメージとしては、バーズやサーチャーズのギターリフをキーボードに置き換えて、フィル•スペクター的な要素を加えたフォーク•ロックに仕上げたという。この頃の元春がキーボードサウンドにこだわっていたのかがよくわかるエピソード。"Love Is Here"のところはT.Rexの"Get It On"のフレーズが元になっている。確かにアルバム『SOMEDAY』に入っていると、曲の系統としては「SOMEDAY」に似通っている印象を受けたかも知れないですね。

The Searchers
Don't Throw Your Love Away 1964

4.週末の恋人たち M25

大滝さんを聴いている20代の聴き手を想定してナイアガラ用に書いたと語る。メリー•ウェルズの「My Guy」をモチーフにしたモータウンを感じる曲。モラトリアムの状態、自分の人生の意味みたいなのを模索している人たちに向けての曲という事。"自分はとにかくかせがなきゃいけない。それでかせいだ金っていうのは、自分が生活するよりも何よりも君にいかしたバースデイ•プレゼントを贈りたいためなんだ"

Mary Wells
My Guy 1964

5.こんな素敵な日には M26

シングル「彼女はデリケート」のB面に収録される。3人各自シングル•レコードを出す時B面はアルバムに収録しないという事から。「週末の恋人たち」と同様にナイアガラ•ファンの為に書いた曲だという。(大学時代に書いたという記述もある)マイケル•フランクスやベン•シドラン、いわゆるトミー•リピューマがプロデュースした楽曲の系統を目指したという事。この背景にはデビュー前に佐藤奈々子との共同作業で、アダルト•オリエンテッドな曲をたくさん書いていて、その要素を持ち込んだという。ヴォーカルはクルーナー•スタイル。これはツアー続きで喉がへたっていたことが要因で、苦肉の策だったみたいだね。少し肩の力を抜いて、冬の景色を思い浮かべながら聴きたい曲です。

最初、『ナイアガラ•トライアングル』の話があった時に。同時に自分のアルバムもレコーディングしてましたから、区別しなければならない、という意識があったんですよね。そして『ロング•バケイション』を聞いてるファンの人達 ー その時点で、僕が考えた大滝さんのファンの層というのは、19歳〜25歳の男の人や女の人達で、そしてモラトリアムな状態にある様な人達に向けて書かなければいけないっていう様な気持ちがあったんです。で、僕のはしたない部分は抑えて、少し上品ぶっちゃったんだ。お洒落な感じでやってなきゃと思って。で、途中で大滝さんが僕んとこにやって来て、その考えは間違いだ、と。今や「A面で恋をして』(注:1981年10月リリース)が14位というヒットをして、そして聞いてくれたお客さんというのは、大滝詠一は知らなくても、ナイアガラ•トライアングルは知ってる、というお客さんなんだ、という事です。すなわち大滝詠一さんのファンの数より「A面で恋をして」で掴んだファンの数の方が多いんだ。と。その人達に向けてお前が曲を発表する時に、お前らしさを出さなければ損なんじゃないのか、という事を言ったんです。それで、僕はなるほどなぁ、と。そして「彼女はデリケート」と「マンハッタンブリッヂにたたずんで」という曲を入れたんです。

季刊ミュージック・ステディ1982年4月号

この発言を読むと、少しお洒落にしすぎたという後悔と自分らしさをだすという事を改めて発見したという思いがあったのかな。

そして、アルバム『ナイアガラ トライアングルVol.2』はオリコンチャート最高位2位、1982年の年間チャートでも10位になり、佐野元春の名前は全国に知れ渡り次の『SOMEDAY』でブレイクする事になります!!

次回はアルバム『SOMEDAY』を取り上げます。

A面で恋をして

ナイアガラ•トライアングル
作詞 松本 隆 作曲 大瀧詠一 編曲 多羅尾伴内

A面で恋をして 1981.10.21

元春ソロ•パートは"君に逢ったら Baby"と"シリアスな気持横に置いて 夜明けまでドライブ 今夜 君を帰さないさ"のところかな、"Oh Baby"のところはいろいろ歌い直してたみたいだね。

大滝 あのシングルを録音したとき、"Oh, Baby!"ってひとことだけをうまく乗っかるまで何度も何度もやり直してるんだ、ひとりで。関係者一同、みんなあきれたけど、気のすむまでやらせたよ。思いきりやれよって(笑)。あの人は"Oh,Baby!"のやり方ひとつで他の部分が光もするし、陰りもするってことをよく知っているんだ。だから、どの"Oh,Baby!"にするかっていうのは大きいんだね、彼にとって。スタジオの隅の方に行って何度も練習してたもの、"Oh,Baby! Oh,Baby!'って。まいったね。だから、かなり考えて、いろいろなところでたくさんやってるに違いないね。今日はこういう歌をうたうから、朝からこういう雰囲気を作っておく、とかね。なんかいつもそういうことをやってるんじゃないかな」

路上のイノセンス 下村誠

#佐野元春
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#大滝詠一
#伊藤銀次
#ナイアガラトライアングル


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